紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

アーサー=ランサムの本

2008-11-17 06:56:49 | 13・本・映画・演劇・音楽など
今年は夏以降、いろいろ創作に迷い、登山にも迷い、迷ってしまった結果、ひさしぶりにアーサー=ランサムの本を手にとった。
ランサムの本のことは、何回かこのブログにも書いたことがある。


アーサー=ランサムとの出会い

ランサムの物語に出会って


今その文章を読み直してみても、私はものすごくランサムの影響を受けているのである。

そして、今年、十何年ぶりかで読んでみたのは、
「ツバメ号とアマゾン号」
「長い冬休み」
「スカラブ号の夏休み」
「ひみつの海」
「ツバメ号の伝書バト」

どの本も、その昔何回も何回も手にとっては読み、文章の好きな箇所は暗記しているほどなのだ。
こんなに誰かの本を好きになれるというのは、幸せなことなのだろう。

今またアーサー=ランサムの本を読んでみたら、やっぱり私の原点はここにあるなあと思った。
一冊500ページにも及ぶ、これらの本を今の子ども達は読むのかどうかはわからないけど、その長い物語の世界にいる間、私はほんとうに幸せな気持ちを味わうことができる。今年読み直してみて、いくつになっても、幸せだと思えることがわかって、とても嬉しかった。

この本が好きで好きで、息子が4歳、娘が3歳の時に物語の舞台、イギリスの湖水地方を訪れた。

あの時は、熱に浮かされたように湖水地方に行こうと思い、こんな小さい子ども達を引き連れて、二ヶ月間もイギリスを旅したのだった。(友人と子ども、1歳と3歳も一緒)








その時の旅の記録 → 「おそろしくも楽しいイギリス旅行」

ブログの画像フォルダーが、その頃、まだ30MBしかなかったので、小さい写真しか載せることができなかった。今はすごい大きくなって、1000000MBまで載せられるようになった。

高校1期下のホームページ

2008-11-15 07:16:08 | 20・日々のできごと
先月末に、高3の時同じクラスだった山氏のご実家に、トントンとT・R子さんと伺って、西村貴久子さんの絵を見せて頂いたことは、ここ書いた。

そのときのインタビュー記事が、今月のホームページに載っている。
「縦の交流録」という欄。




ユーザー名とパスワードを入れなくてはだめなので、知らない方はメールでお問い合わせください。


そのホームページによると、川島第二郎先生の出版のお祝い会が近々開かれるようである。




話しは変わって、高校時代に話しは飛ぶ。
R子さんが、当時ラグビー部のマネージャーをしていたことを、私の同期生で知らない人はいないと思うのだけど、その前には、サッカー部のマネージャーをしたいと申し出があったそうだ。サッカー部というのは、山氏の属していたクラブである。そうしたところ、部長のM・一郎氏があっさりと、マネージャーはいらないと断ったそうである。
ということをあの日、山氏と飲みながら聞いて、ちょっとおかしかった。
その話しは他の元サッカー部員からも聞いたことがあって、まだ若き高校生サッカー部員がいっせいに、M君なんでことわったの~、と思っただろうことが想像できて、笑えてしまった。
当時のことについては、もっと書きたいことはあるのだけど、差し障りが大きいし、チョーローカルな話しなので、ここらでやめとこう

印鑑

2008-11-14 06:54:50 | 20・日々のできごと
私は銀行預金や、ゆうびん貯金などに使う印鑑は、もうずっと「裕子」という名前が彫ってあるものを使っている。
これは、中学を卒業する時に学校から記念にもらったもの。もう何十年前だろう?(苦笑)
よく考えると、すごい物持ちがいい。

そして、この名前の印鑑、女性にとっては、すごい便利なもので、長い間、気のきいたものを卒業祝いにくれたものだと思い続けている。
結婚したりなんなりで(なんなりってなんだ? ・笑)、名字が変わっても、印鑑変更をしなくてもいい。

娘には、大学に入った時だったか、卒業した時だったかに、やはり名前のを作ってあげた。
息子には、19歳で山形に行く時に、名字のを作ってあげた。
今度結婚した相手の人には、どうしようかなあと考えて、名前のを作ってあげることにした。
本当は名字のがほしそうだったけどね。(笑)
せっかく親御さんからもらった名前だし、息子の名字の印鑑と区別がつきやすくていいという理由から、名前のにしたのだけど。





昨日は受診日

2008-11-12 07:37:32 | 11・健康
昨日、リューマチ性多発筋痛症をみてもらうために、新宿にある大学病院の膠原病専門外来にいってきた。

<CRP(炎症値)の値>

3.62 → 0.4 → 0.3 → 0.3 → 0.3 → 0.62 →0.82 → 0.18 → 0.19 → 0.13 → 0.13 → 0.09 → 0.14 → 0.06→ 0.1 → 0.08 → 0.12(前回9月の値)

炎症値も問題ないということで、ついに、1mgの壁を越え、0.5mgに減った。これからは、スレロイドを一日おきに飲めばいいことになった。
ぐんと0に近づいた。といっても、毎日1mg飲める量のクスリをもらってきた。痛みが出たら、すぐに増やしなさいという。

今現在の痛みは、首の後ろである。それと、ひところの痛みはないものの、腕にはあまり力が入らない。
あとは、水泳をして、腕の筋肉を鍛えつつ、関節を動かす運動をするのがいいようである。
時間があったら、水泳に通わねば。
何度も書いているけれど、痛いといって、動かさないでいると、関節そのものが動かなくなる。
痛くても泳いだり、山登りで、手をのばして、岩をつかんだりすることで、リハビリになる。

そろそろテレマークスキーシーズンに入るので、最近計画を立て始めている。去年はおそるおそる滑りにいっていたけれど、今年はもっと楽しめそうである。
12月は息子の結婚式があるので、1月から始動する予定。

息子の結婚

2008-11-09 12:00:30 | 18・家族のことなど
ちょうど1週間前に入籍した息子が、お嫁さんと一緒に東京にやってきた。
いつものことながら、土曜日の夜にきて、嵐のように今朝の8時過ぎには去っていった。

このブログにも、以前書いたことがあるのだけど、吉野弘さんの「祝婚歌」という詩を、大好きな詩だといって、二人に手渡した。

この詩は、息子の出身高校の石川先生が、卒業生へ贈る言葉として、学校通信に載せてくれたものだ。今から、もう11年も前のことになる。
それ以来、大好きな詩となった。
通信には、
「今はこの詩をわからないと思います。分かる「時」が来たらまたお会いしましょう。」
と書かれていた。
はたして、わかるようになったかどうか・・・。


  「祝婚歌」   
     吉野弘<風吹くと>の中から

ふたりが睦まじくいるためには
おろかでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちのどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
お互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
うたがわしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光りを浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸があつくなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

私の本を読んで・・

2008-11-08 11:31:30 | 2・仕事の周辺
子どもの本を書いていると、全く想像もつかないことが起こって、ビックリすることがある。
それは何かというと、物語の舞台になっている場所を訪ねてきました、と報告を受けること。

その場所が「神さまの木」に出てくる国立公園(アメリカのジャイアントフォレスト)だと、そんなには驚かない。その気になれば、誰でも行けるから。
けれど、「花の館に」のスイスの田舎の家だと、もうすごーく驚く。スイス人のファミリーも驚いて、家の中に招き入れてあげたそうである。(汗)

そして、今週、すぐ近くに住んでいるSさんが私の家を訪ねてくれた。
「バアちゃんと、とびっきりの三日間」を読んで、私の住んでいるマンションがわかり、それでわざわざ来て下さったのだ。サインをくださいといって、お子さん二人と、その友達二人と一緒に。
あの本を書く時に、場所はどこか別の所にしようかなあと考えた。けれど、別の場所にするには、周到な準備が必要なのである。ちょうど母の介護やら、自分の体調不良やらで、出かけるのが難しい時だったので、いっそのこと、今住んでいる所を舞台に書いてしまおうと思ったのだった。

そのおかげで、思いがけない出会いが生まれた。




インフルエンザの予防接種

2008-11-07 17:21:39 | 11・健康
急に寒くなってきた。
寒くなると、インフルエンザがはやり出す。
ということで、昨日予防接種を受けてきた。

インフルエンザの予防接種を受けるようになったのは、父と母の介護をしていた時から。

それまでは、熱が出たって、寝ていればなおると思っていたから、受けたことがなかった。

ところが、ある年、父と夫が同時に入院したことがあり、よりによって、その時に、私は何十年ぶりかでインフルエンザにかかった。
両方の病院をいったりきたりしていたから、移ってしまったのだと思う。

そして、その頃から、寝ているわけにはいかない母の介護をかかえるようになったので、インフルエンザの予防接種を受けるようになった。
昨日は、母が入院している病院で予防接種を受けたので、帰りに面会にいってきた。

病院の近くはすっかり秋色。そして、日暮れも早い。



甲武信岳登山二日目

2008-11-06 07:13:37 | 3・山の日記
■甲武信小屋~木賊(とくさ)山~西沢渓谷

5:30に起きて、6:45に甲武信小屋を出発。

山小屋の前でご主人の徳さんと一緒に。

その日は、雁坂峠までいって、下に下るという選択もあったが、西沢渓谷に下ることにした。



7:06 木賊(とくさ)山(2466m) なんの展望もない山であった。



このような道(戸渡尾根)を下って行く。



くもっていたのに、富士山が見える。下の方に今日下って行く広瀬湖と駐車場。




途中で、山小屋で隣に寝ていた3人グループのうち、二人が、違う道をくだっていったということで、心配しつつもう一人の人と下る。

徳ちゃん新道との分岐でようやく、まちがった人たちが追いついてくる。しばらく行ってから、もどったということだった。

9:00 徳ちゃん新道分岐。




どんどん下って行く。




11:00 西沢渓谷登山口




初めての良流娯さんが空身で散策するのを、私とW月さんは待っている。
西沢渓谷は、まだ見頃なので、大勢の観光客がきていた。




バス停にいったら、築地山岳会の3人とまた会う。5:00出発で、雁坂峠までいって下ってきたところ。




12:00 W月さんのダンナ様が、迎えにきてくれる。

そして、温泉に行く。山梨は温泉がたくさんあって、嬉しい。これが車じゃないと、駅から離れているので、なかなか行けないので、W月さんに感謝!




最後にカンパイ! 楽しい二日間だった。



一日目:国師が岳~甲武信岳~甲武信小屋


甲武信岳登山一日目

2008-11-05 17:33:25 | 3・山の日記
■ 国師が岳~甲武信岳~甲武信岳小屋

8:55 大弛峠出発  2365mの峠から、すでに寒い! そして、その日一日中ずっと寒かった。




初めはこのように整った道を進んで行く。




9:45 国師が岳(2591m) 富士山がくっきり見えて、ほんとうによい眺め。峠から1時間のここまででも、かなり楽しめる。けど、風も強くて、とにかく寒い。



そこから樹林帯を下ったり登ったりのくり返し。




国師のタルのあたりで昼ごはんを食べる。じっとしていると寒いので、あわただしく食べた。

また登りおりを繰り返して行く。




12:20 東梓

両門の頭の少し手前。樹林帯から眺めのいいところにでると、ほっとする。



行く手を見ると、ようやく甲武信岳が見えてきた。右の山が木賊(とくさ)山と明日下る尾根。



1:20 両門の頭




1:45 富士見  名前から天望を期待したが、全く見えず、詐欺だ~といってしまう。




2:30 水師

山頂までの最後の急坂。でも、開けていて気持ちのいい道。



3:19  甲武信岳山頂 (2475m)




山頂から見えた夕方の富士山。




4:00 甲武信小屋

ビールでカンパイ! 小屋の中に無造作に置かれていたので、あ~ぬるいだろうなと思って飲んだところ、冷たい。小屋の中もすごく気温が低い。
その後、秩父の山岳会の人たちからふるまって頂いた日本酒がおいしかった。



夕食は、築地山岳会の人たちと一緒にテーブルを囲んだ。




小屋の中は、無茶苦茶混んでいたので、なかなか眠れなかった。こんなに混んだ山小屋に泊まるのも何年ぶりか。

二日目:甲武信小屋~木賊(とくさ)山~西沢渓谷

今日の朝日新聞「ひととき」欄

2008-11-04 09:24:20 | 15・心に残ること
先日飲みにいったことは「近所の友人だちと・・」に書いた。

友人の一人、マサさんの文章が今日のひととき欄にのっていた。

「初秋の光が障子越しに差し込む部屋で」眠るように亡くなったお父様のことを書いた文章。

「父、最期は自宅で母と」  

ほろりとしました。

今日の新聞なので、あわててアップしました。あとで記事をスキャンして載せます。