フラッグスタッフの町では、信号の陰に隠れて取り締まりをしているパトカーを目撃。
次から次に獲物を捕まえていましたね。 信号無視だったのか?
町中での速度違反に注意しながら、インターステート40に向かいました。
ウィリアムズを過ぎて、アッシュフォークの先でI-40を降りると、そこはもうルート66の世界。
あちらこちらで途切れているルート66ですが、ここからセリグマン~ピーチスプリング~ハックベリー~キングマン~オートマン峠を越えてアンボイまでの道は、ほぼ完全に残っているんですね。
この道を今日と明日、走ることになりますが、今日は宿があるニードルズまで。
まずは給油から。 セリグマン手前の小さな集落で、燃料を補給します。 ここにも、無造作に60年代くらいの車が並べてあって、いかにもって言う感じですね。
昔使われていただろう、朽ちかけた古いトラクターも置いてあって、スタインベックの「怒りの葡萄」を思い出します。
はるか彼方には、道路に平行に鉄路が走っていて、ときどき2~3kmもあるような長い貨車を引いた機関車が走っていきます。
ルート66沿いのセリグマンの町では、病院へ向かう木村氏の奥さんと娘さんが、いなりと巻きずしのお弁当とペットボトルの日本茶を持って来てくれたので、通りを眺めながらお弁当タイム。
今日の昼ご飯も、ハンバーガーとか中華とかかな?と思っていたので、うれしかったですね。
ここでは、ルート66保存会の会長が経営する床屋のお土産やさんにも立ち寄って、記念写真を撮りました。
このBARBAR-SHOPが ディルガディーロさんのお店。お土産やさんだけど、時々は散髪もしているらしい。
Seriguman_barbarshop
こちらのショップは、弟のディルガディーロさんのハンバーガーとアイスクリームの店SNOW CAP。 おすすめは、コーンのアイスクリームです。
Icecream_shop
通りには、観光客の最新の車が、お店の横やバックヤードには古い車が置かれていて、カーズの世界を楽しめます。
カーズの映画で出てくる、ラジエーター・スプリングスの町。
映画の中の設定では、オートマン峠のような所を下ってくると、セリグマンかハックスベリーのような町に入ってくるようになっていたのかな?
Cimg0818
「高速道路が開通したために、活気のない死んだようになっていた町」が、みんなで力を合わせて元気になっていくと言う映画でした。
Backyard
セリグマンの町も、インターステーツ40が出来たためにゴーストタウンのような静かな町になってきたのだけど、また元気を取り戻したって言ってましたね。2
マザーロードは観光客で大にぎわいです。
当初は、映画のタイトルを「ルート66」にしようとらしいのですが、テレビ映画のコルベットのオープンで旅をする「ルート66」と混同されるかもということで「カーズ」になったという裏話があります。 ナットキングコールでしたっけ?Get Your Kicks on Route 66[E:note] 、かっこよかったですけど、こちらもなかなか。
http://www.youtube.com/watch?v=AwPV3qJegEE&feature=related
この町をぶらぶらと散策して、いくつかの店で買い物をしました。 帽子が5ドルとかバックプリントのジーンズシャツが20ドルとかの値段です。 今の為替レートは、ドル80円ですから、女性でなくても買い物は楽しいですね。
ルート66は、昔の幹線道路だっただけに、町の中を通る道も2車線の広い道でした。
これから、ハックベリーの町と オートマン峠を越えて、今日の目的地ニードルズに向かいます。
朝のグランドキャニオン、朝陽が昇ってしばらく経つと、あんなに多くいた観光客はほとんどいなくなってしまいました。
みんな、慌ただしいですねぇ。 私たちはマイプランで行動しているので、ゆっくりと過ごせます。
さてと、今度はフラッグスタッフの病院へ、Yoさんの見舞いにバイクを走らせます。
ビジターセンターを出発して、タサヤンの街を抜けて、林の中の気持ちの良い道をどんどん下っていきます。ここいらあたりは、自然の豊かな本当にきれいな所で、道の左右には緑の草原が続いています。
青い空と白い雲、爽やかな空気、緑の木々、そして遠くに見える山々が青く見えて、北海道を走っているような道が続きます。
う~ん、Yoさん、2日間だけしかバイクを走らせてないんだ。 せっかく此所まで来て、残念だなぁ。
荒々しい砂漠地帯や赤い岩山がどこまでも続く風景の中をバイクをを走らせていると、日本の風景は本当に優しいんだなぁと感じました。 日本の人も、自然にも他人にも、もっと優しくならなくっちゃね。
UT64の途中から左折して、 US-180を南に走っていくと、フラッグスタッフの街に着きます。Patorol
店の横に置いてあった、パトロールカー風塗装のピックアップ。
A EAGLE RIDERと言うショップで、Yoさんの手術が終わるまで時間調整。 ルート66グッズがたくさん置いてあります。
ルート66を車で走ると言う番組の撮影で、俳優の山下智久がここに来たんだよって、ちょっと恐目の店主が言っていましたが、あのしかめっ面は、ひょっとして笑った?
ASmatsumotoオーナーのMさん夫妻も、ただ者には見えませんけどね。
ショップの前には、ルート66の雰囲気を出そうとしているように、古い四駆が置いてあったので、つい一枚。
ショップの中は、66グッズで一杯。
でも、セリグマンやハックベリーなどのルート66のメイン観光地はこれから。
古いガソリン給油機が、古き良きアメリカの雰囲気を作っています。
帽子を無くしていたので、アリゾナのロゴの入った帽子を一つだけ買いました。 Made in Chinaですけど。
途中、グローブを無くした(盗まれた?)ので、地元の人たちが利用するスーパーで買ったグローブには、しっかりとMade in USAのマークが入っていましたね 。
手術が終わるのを、病院の待合室で2時間ほど待ったのだが、手術直後のYoさんは麻酔が効いていて、しばらく話ができそうにない。全身麻酔だと、意識が戻るのにはしばらくかかりますからね。
仕方がないので、寄せ書きを書いたアメリカ国旗を病院スタッフに頼んで出発することに。
Yoさんの、ヒビが入った骨をボルトでつなぐ手術はうまくいったそうで、一週間ほどで日本に帰れるらしい。パスポートや国際免許証、現金のドル、円などの持ち物を、病院スタッフとお互いに確認あって、セキュリティスタッフに預けてから病院をあとにしました。
後ろに見える建物が、フラッグスタッフメディカルセンター。 とても綺麗な病院でした。
日本語のわからないセキュリティスタッフは、iphoneを使って日英翻訳ソフトを動かしていましたね。
フラッグスタッフからは、インターステート40でルート66を目指します。
アメリカ西部を走り始めて4日目の朝です。
午前4時、まだ暗いうちに起き出して、出発準備。 グランドキャニオンの標高は2000mを超えるんですが、今朝などは、秋冬用の薄手のキルティングジャケットでもちょうど良いくらいですね。
2Fの部屋からキャリーバッグを持ち出して、駐車場のピックアップトラックに積んでしまいます。
4時45分、グランドキャニオンに向かって、出発。
道路の両側には、ポンデローサ松 が生えていて、砂漠地帯とは全く異なる景観になっています。
道を上っていく途中、ピックアップトラックの前を大きな黒い影が横切ったと思ったら、Mule deer(ミュールシカ)という鹿だったみたいです。
北海道のエゾシカよりももっと大きな鹿ですから、ぶつかると大変な事になりそうですね。
駐車場にバイクを駐めて、向かうさきは朝陽の絶景ポイント。
一番有名なマーサポイントは後回しにして、ガイドのKojiさんの秘密の場所があるとのことで、歩いてそちらへ向かいました。
朝陽を待つ観光客のみなさんが、通路脇のあちらこちらの岩場に。 ちょっと先はグランドキャニオンの断崖なんですけどねぇ。
グランドキャニオンで配布されるパンフレットには、注意書きが
日本語表記だけは、手書き風なのが、笑えます。 日本語フォントがなかったのでしょうか。
私たちも、絶景ポイントを求めて岩場の上に移動しました。
先客は、ドイツ人らしい、物静かな青年が1人 。
東洋人の、変なうるさい集団がきたもんだなぁと、呆れさせたかもしれません。
岩場からみえるマーサポイントは、やはり一番人気だけの事はあって、いつの間にか大勢の観光客が集まり始めています。
朝日が昇るまで、しばらく時間があったので、岩場に腰掛けて、少しずつ変わってゆくグランドキャニオンの景色を眺めていました。
バイクツーリング中なのに、こんなにゆっくりとした時が過ごせるとは。
思いがけなく、贅沢な時間が過ごせました。
はるか下には、コロラド川が細くみえていて、トレッキングコースやキャンプサイトなどもみえます。川底までは、2000mから2500mくらいもあるんだとか。
グランドキャニオン内のコロラド川下りは、数ヶ月前から予約で一杯だと聞きました。
やはり、人気なんですね。
上空からみる遊覧飛行の飛行機は、昨日の夕方は双発の小型機が、すぐ近くの空港を発着しているのが見えましたが、今日は朝が早いので、まだ飛んでいません。 おかげて、 静かな日の出を迎えられました。
つい、手をあわせたくなるのは、日本人だからでしょうか。 日の出の瞬間、外国の人たちは、大歓声をあげていました。
日の出前のマーサポイント(2170m)の崖と、朝日を浴びた崖の画像です。 日の出の前だと、岩が白っぽくみえます。
遠くの景色は、もやがかかったようではっきりと見えないのですが、迫力は十分でした。
こちらが、日の出後のマーサポイントの崖。上にごま粒をチラしたように、人の姿が見えます。
観光客の姿が少なくなった頃を見計らって、私たちもマーサポイントに移動して、写真を撮ったり撮ってあげたり。
しばらく、散策をたのしんでから、Yoさんのいるフラッグスタッフに向けてバイクを走らせます。
今朝、一番の手術との事でしたから、手術後のYoさんと話ができるかもしれません。
ホースシューベントを後にして、 US-89を南へ60マイルほど走った所にあるCameronの町からUT-64に右折、グランドキャニオン サウスリムを目指します。
Pageからグランドキャニオンまでは、153マイル、約254kmあるので、時速60マイルでも、3時間近くかかる距離ですね。
それでも、日没前のグランドキャニオンは絶景だ!と聞くと、是非見てみたいと思うから、う~ん、気合いを入れて走らないと 。
US-89からUT-64に入ると、道はなだらかな登りになっていて、速度はほとんど落とさなくても走れる道なので、ぐんぐん高度をあげているのでしょう。
グランドキャニオンのビューポイントの一つでもっとも有名な、Navajo Pointに着きました。
駐車場には、夕陽のグランドキャニオンを見ようと言う多くの観光客がいました。
この人達も、今夜はツサヤンあたりの近くのホテルか、モーターホームに宿泊なのでしょう。
駐車場には、ハーレー社が限定で販売したフォードのピックアップトラック(F-15)に乗った男性がいて、さかんに話しかけてくる。
東洋人がアメリカ製のバイクに乗っていると、嬉しく感じるのかもしれません。
話しかけてくるのはうれしいのだけれど、いまにも夕日が沈んでしまいそうなので、焦ってしまいます。 (汗)
グランドキャニオンは、岩肌の凹凸まではしっかりと見えずにうっすらと霞んでみえるのが残念でした。
UVフィルターを通しても、観光パンフレットのようにはくっきりはっきりとは見えませんね。
今夜の宿があるTusayanツサヤンは、6マイルほど下った所にあります。 宿に向かいながら、いくつかのビューポイントで写真を撮ったり眺めたり。
グランドキャニオンからツサヤンへの道は、緑の豊かな林間を抜けて行く、バイクを走らせていて気持ちの良い道です。
宿は、Red Feather Inn。
部屋があちらこちらに散らばっているので、時間と集合場所を決めておかないと、集団で動くことも出来ません。
私たちの部屋は、駐車場のまえにある階段をあがった便利な所でした。 ドアを開ければ、駐車場の様子が一目でわかるし。
駐車場でバイクの荷物を下ろしていると、ハーレーの写真をさかんに撮っている女性が。
私のバイクのリヤシートには、おみやげのTシャツをいれたゴミ袋みたいなのが載せてあったので、これじゃあまずいだろうと、どけてやると、にっこり笑って何か言うのだが、聞き取れない。 英語らしいのだが・・・なのか?
どこから来たのかと聞くと、シドニーだと。そりゃあそうか。 オーストラリア訛りだと、聞き取れないよなぁ。
夜は、近くのステーキハウスYipee-ei-o!! The Steakhouseに行って、カウボーイステーキ。なかなか美味しい。
Tボーンステーキなども、魅力でしたけど。
アルミホイルの中は、丸ごとポテトです。
丸ごとポテトがあちこちで出てきますが、アメリカ人はポテト大好きなんですかね。
食事の後、駐車場で男どおし(Fさん、Mさん)でダベっていると、イングランドから来たという女の子が話しかけてきた。
こちらはわかりやすい英語でしたねぇ。でも、若い女の子と共通する話題を見つけて話をするのは、おじさんにはもう厳しすぎますので、早々に退散しました。
明朝は、朝陽のグランドキャニオンを見るために、4:00起床 4:40出発の予定です。
モニュメントバレーからUS-163をさらに進んで、カエンタ(Kayenta)の町に入ります。
町といっても、ガソリンスタンドと小さなショップがいくつかあるだけだから、車だとあっという間に通り過ぎてしまうくらいの小さな町です。
ここで、US-160を左折して西に向かうのだけど、これから熱波のナバホ平原を疾走することになるので、バイクにはガソリンを、人には水の補給と不要な水分の排出作業をすませておきます。
砂漠地帯の乾燥した空気の中では、日本の冬と同じようにクチビルがカサカサになる事を学習したので、ガソリンスタンドに併設されているショップでリップクリームを購入。
男性用と女性用の区別があって、値段は3ドルはしなかったので、200円くらいか?リップクリームなんて、冬しか使ったことはなかったのですけどねぇ。
水でびしょびしょに濡らしたバンダナで鼻と口を覆ってから、ヘルメットをかぶると気持ちいいのだけれど、10分も走るとカラッカラに乾いてしまいます。 西部劇のギャングスタイルは、見た目はなんとも微妙なのだけど、けっこう使えます。
洗濯物は良く乾くので、うちの奥さんだったら喜ぶことでしょう。
US-163からUS160に右折して,Page方向にバイクを走らせると、真っ平らな平原を一直線に伸びる道路。道路に平行に鉄道線路も走っています。長い長い貨物列車とも遭遇しました。 前3両、後ろ2両のディーゼル機関車で引っ張っているんですね。 長さは、2~3kmもあるように見えました。
途中、ナバホ平原とメサが見える所で、インデアンジュエリーを売っているナバホの女性の店で休憩とショッピング。
アメリカ国旗とアリゾナの州旗、ナバホ共和国の旗が掲げられていました。
ナバホの旗は、どこにも売っていないらしいのだけど、2枚あるので一枚を譲ってあげてもいいよとのことで、M社長の奥様がゲット。
ページの町に入ると、大型のボートや巨大な観光船を積んで走る車が目につくようになってきました。
観光船の中古センター?かと思えるように、広いスペースに大きな観光船を数十隻置いてある所もありましたね。
みんな、人造湖のミード湖で使うための物らしいのですが、日 本とは規模が違いますね。
コロラド川を下りながら、ホースシューベントやグランドキャニオンなどを楽しめるツアーもあるようです。
昼食は、中華レストランのバイキング。先に飲み物を注文するのは、どこの店でも同じ。 水しか注文してませんけど。
料理を皿に取り分けていると、あちこちから日本語が聞こえます。 聞いてみると、JTBのツアーでロサンゼルスに来て、グランドキャニオンとホ-スシューベント、アンテロープキャニオンを見て、モニュメントバレーに行くという、一泊2日のオプショナルツアーに参加してるらしい。
バイクで行ってきたんだよと言うと、いいなぁと羨ましがられました。
リップサービスでも、良い気分です。
予定にあったアンテロープキャニオンは、時間が無くてカット。 朝の出発時刻が遅くなったためで、ちょっと残念でしたけどね。
次に向かったのは、ホースシューベント。
駐車場にバイクを駐めたら、歩きやすい靴に履き替えたり飲み水を持ったりと、ウォーキングの準備です。
ブーツの底はビブラムソールなので、そのままでも歩けそうだったのだけど、念のために運動靴に履き替えて、水に浸したタオルを首に巻いてと。
あれ? 帽子が無い。 どうやら、昨夜のモーテルに忘れてきたみたいです。
帽子無しでは厳しいので、Hさんに借りた帽子をかぶって歩き始めました。
砂丘を登りきると、コロラド川まで続く砂漠と、その向こうに広がる岩の大地が目に飛び込んできます。観光客がゴマ粒のように見える所まで、砂地に足を取られながら歩くことになるけど、 まだ、結構な距離がありそうだ。
空気が乾燥しているので、汗が流れることはないのだけれど、それでも汗だくになりながらホースシューベントの全体が見える所まできました。
一面に真っ平らに広がる岩の大地に、コロラド川が削り取った深い峡谷だけが突然現れてきます。
下をのぞき込んでみると・・・・・こりゃぁ、高いなぁ。
川下りの観光ボートが、小さく見える。
川の中程に、ボートが引く航跡が見えます。
怖くても下は見たいようで、みんな恐る恐るのぞき込んでいました。
上流にダムが出来るまでは、コロラド川は赤く濁った濁流が流れていたといいますが、いまは透き通った綺麗な水に変わっています。
でも、生態系などはだいぶ影響を受けたと聞くと、複雑な気持ちになりますね。
丘のてっぺんには、休憩所が作られていましたが、アメリカ人は砂漠の暑さにも強いのでしょうか、休んでいるのは私たちだけ。 遠くにPageの町が見えます。
ここから、グランドキャニオンまで、約250km、まだまだ、だいぶ距離があるけど。
グランドキャニオンのサンセットを見たいので、その時刻までにはビューポイントに着きたいけどなぁ。
ブランディングの町から、直線距離で360km南にあるフラッグスタッフに、ヘリコプターで搬送されたYoさん。
Yoさんの状態は安定していて、左肩と左下腿の打撲、骨盤右の骨折については、痛み止めが効いているらしい。
しきりに、「ゴメンなぁ、ゴメンなぁ」(みんなに迷惑をかけた事)と言っていると聞くと、可哀想になってきます。
グランドキャニオンの南にあるフラッグスタッフの病院に搬送が決まったとき、「病院名は?」と聞いたら、「フラッグスタッフ・メディカルセンター」答えが返ってきました。
聞いているみんなから「なんだ、そのままじゃん」とつっこみが。
フラッグスタッフ・メディカル・センターと言うと、4月末に100mの平泳ぎの金メダリストだったノルウェーのオーエン選手が緊急搬送された病院です。 ロンドンでの北島選手のライバル、オーエン選手は、若かったのに残念な事でした。
ブランディングのエマージェンシーに救急搬送されたのが金曜日の夕刻、ヘリで搬送された時刻は土曜日の深夜だったので、土曜日は手術前の検査や準備などで、手術は日曜日の午前中になるようです。
今は、ドクターにすべてを任せる他には、私たちに出来ることは何もないので、手術が行われる日に病院に見舞いに行く事にして、ツーリングは続行することにした。
都合の良いことに、我々のツーリングコースに入っているウィリアムズの町とフラッグスタッフ間の距離は、わずか35マイル。ルート66を駆逐した州間ハイウェイ40号を走ると、30分そこそこで行くことができる計算です。
実際のルートは、土曜日の宿泊地タサヤンTusayanから、UT-64 US-180と走って、フラッグスタッフの病院へ、そこからI-40でウィリアムズに向かう事にしました。
50マイルほど余計に走りますが、Yoさんの見舞いもかねてアリゾナの肥沃な大地を走れるので、良いコース取りになるはずです。
英語がからっきし駄目なYoさんの病院には、ラスベガス在住の現地スタッフのKojiさんの奥様が向かっているとの事なのでちょっと安心です。
モニュメントバレーの、日本では一番有名かもしれないポイントからの画像です。 ツアー会社でも、TV-CMでも、ここの画像を使っているところが多いですね。
学校が長い休暇に入ったせいもあるのでしょうか、このようなキャンピングカーで旅をしているアメリカ人をあちこちで見かけました。レンタルでも、けっこうな値段がするみたいです。
実際にはこの画像の左にも右にも、このような岩山(メサやビュート)が広がっているので、下の画像でも、まだ半分も写し出していません。 270度くらい写し出せるレンズがないと、無理ですね。
某携帯のCMでは、この道を走るイージーライダー風のバイクを、自転車が追い抜いていくというシーンが繰り返し放映されています。 あれはあれでおもしろいのだけど、実際に自分の目で見てみると、なんとも表現の出来ない大きさでした。
フォレストガンプのシーンでも、この地が出てきたような。
交通量が少ないので、私たちの他にも、このあたりで写真を撮っているバイクがいました。
そう、アメリカでは、マザーロード以上に、この道を走りたかったんです。
私たちも、ここで記念写真撮影です。 1人1人、ポーズをつけて、数枚。 いやぁ、ちょっと照れますなぁ。
ツアーガイドのKojiさんが、DVDに焼き付けるアルバムの為の写真を撮ってくれます。どんなアルバムが出来てくるのか、楽しみです。
US-163をさらに進むと、また一直線の道が続きます。ジョンフォードの世界ですよねぇ。 道の脇には、乗馬を楽しんでいる団体がいました。 一見、雑草だらけの荒れ地に見えるのだけど、牧場なんでしょうか。
さっきまでは、朝陽を浴びたモニュメントバレーの岩山を見ていたのだけれど、今度はシルエットで見られます。 メキシカンハットからの朝の出発は、二度美味しいんですね。
昨日から燃料の補給をしていないので、ガソリン残量も気になるけど、Monument Valley Visitor Center の看板を見て、左にコースを変えました。
4マイルほど走ると、ビジターセンターが見えてきます。 駐車場にバイクを止めて、1時間ほどの見学タイム。
記念品ショップで、妻へナバホの布製バッグを、自分にはTシャツを購入。 ショップスタッフは、ナバホ族の女性でした。おばあちゃんが作ってくれたという、見事なブルーターコイズのブレスレットをはめていました。
せっかくなので、ここでも写真をパチパチ。 後ろにも朝陽が当たっている岩山が見えます。
ここからの景色ったって、まぁ、たいしたこともないのかな?。 観光客はけっこう多いけどなぁなどと思っていたら。
どぉ~ん。
ここからのビューも、素晴らしい。 驚きましたね。 外人さん達も、さかんにカメラのシャッターを押していました。
こちらの人はスタイル、いいですねぇ。 まるでモデルさんみたいです。
さて、このマークはユタ州のパトロールカーに着いているまーくですが、いったい何をあらわしているのでしょうか?
これ、蜂の巣なんだそうです。(笑)
メキシカンハットの朝です。 一昨日、昨日といろいろなハプニングがあったとしても、 とりあえず、新しい朝がやって来て1日が始まります。
サポートカーのトレーラーには、まだ2台のソフティルが積まれたままになっていますが、もうすぐ、Mさんのソフティルは降ろされて元気よく走り始めることになります。
Mさんは昨日一日、バイクに乗るのを我慢していたので、今日は気分良くツーリングを楽しめることでしょう。
※あとでわかったのだけど、病院からホテルに向かう時に、我慢できなくなったMさんは、Hさんのバイクを乗っ取って夜道を走ってきたんだそうです。
バイクを乗っ取られたHさんは、Iさんの後部シートだったとか。
駐車場の西の端に駐めたサポートカーのむこう、赤土の崖の下にはサン・ファン川が流れていて、その向こうにはナバホ高原がひろがっていました。
モーテルの屋根の上から、モニュメントバレーらしい岩山(アルハンブラロックかな?)が見えています。
いよいよ来たな!という感じですね。
アルハンブラ城(宮殿)に似ている?ということで、つけられた名前らしいのですけれど、やっぱりちょっと無理があるような気がします。 アメリカ人は、このようなネーミングが好きみたいですね。
スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿の画像は、 ウィキペディアを参照しました。 アルハンブラという意味は、赤い岩を指していたらしいので、そういう意味では間違いでもないようですけどね。
昨夜は、眠る前にも一騒動あって、ほんとに大変な1日でした。
おまけのお騒がせを起こしたは、オートロックの部屋の中に鍵を置きっぱなしにしたFさん。
部屋には入れないし、フロントの係はすでに帰宅しているし、時刻は夜の1時を過ぎているしで、もう大慌てです。
フロントの係の自宅に電話をしても誰も出ないし、ドアの鍵をこじ開けようとしたりしても駄目で、いよいよ他の部屋の床にでも寝るか?と諦めかけた時に、窓サッシのクレセント錠がかかっていなかった事を見つけて、網戸を外してそこから部屋に入ったと言っていました。
もう、このツアー、何でもありすぎです。
美味しく朝ご飯を食べることが、元気のもとだと、レストランへ。
レストランの中でも、外のテーブルでも食事をとっても良いようになっていましたが、少しでも涼しいレストラン内で、パンケーキにベーコンやソーセージ、卵焼き、ポテトやサラダを、牛乳と入れ立てのコーヒーでいただきました。
さすがにアメリカの食事だけあって、朝からカロリーが高いですねぇ。
なんだか、西部劇に出てきそうな建物がレストランです。 外見から想像するよりも、レストラン内は綺麗でした。
さて、新しい1日は、平穏に過ぎていくでしょうか。そろそろ、普通のツーリングがしたいぞ。
明かりなど何一つ無い真っ暗な夜の道を、時速50マイルで走るのはとても大変でした。
町の明かりも街灯もないと、こんなに暗かったのですね。 子供の頃だと、こんな闇は普通に身近にあったのですけれど。
昼間の画像をみると、道の両側に岩の丘が広がっている、こんな道を時速80km超で突っ走ったのですね。画像はGoogleMap
親譲りの強度の近視のうえに、白内障の傾向もあって、夜は視力が下がってしまいます。
その上、本当に真っ暗な道に左側を走っていると、だんだん感覚がおかしくなってきますね。
何故だか、「自分がホテルまで先導して行かなくちゃ」と思い込んで走り出したのだけど、突発的な事故だったので、夜は視力が落ちるのをすっかり忘れていたんですね。
真夜中、まったく明かりのない荒野の一本道を走り抜けるとき、バイクの明かりで見えるのは、目の前の小さな空間だけ。
明かりが届かなくて見ることができない先のほうが、カーブしているのか、下り坂になっているのかも判らないままので突っ走る時速50マイルですから。
まだまだ慣れない右側通行で、滅多に来ない対向車がカーブから現れたりすると、正面衝突をするんじゃないかという恐怖感から、ついブレーキを踏んでしまうことも何回もありました。 後続のバイクは、あれ?と思ったのかもしれません。
それに、上下左右、どこを見ても真っ暗闇の中では、自分がどこを走っているのか判らない、まるで空中に浮かんでいるような錯覚を覚えて怖いんです。
後ろから追いてくる6台のバイクの明かりがまぶしくて、前が見えにくいぞ。
おぉい、補助灯を消してくれぇ。って、そんなことは誰も気づきませんね。
バックミラーを下に折り曲げて、後ろは見えなくしてしまいました。
前方は、バイクの明かりが届かないくらい長い直線路です・・・・・って、多分。
腕時計を何度も見ながらの夜間走行も1時間が経って、やっと小さな集落に入りました。
ほんっとうに、集落と集落の間が遠いんですね。 ブランディングとメキシカンハット、50マイルの間に、通過した集落は一カ所だけ。 なんて所に来てしまったんだと思うくらいすごい所です。
まだか?まだか?と思いながらアクセルを開けていた時、ヘッドライトに浮かんだ看板にMEXICAN HAT ROCKの文字と矢印がみえた時は、正直ほっとしました。
目印のガソリンスタンドは見えましたよ。
でっかい貝殻マークは、とても良い目印でした。 画像は、次の朝、ホテル側から撮ったものです。
反対側には、ステーキハウスらしい建物もみえました。 今夜はここで食事だったのになぁ。 残念。
左にモーテルの建物が見えたけど、敷地への入り口がどうなっているのかわからない。
バイクをいったん道路脇に停めて、段差や砂利の程度を確認してから、OFFICEの横にバイクをとめました。 砂利が深いところがあって、ちょっと気を付けないとバイクを倒してしまいそうです。
「どこに泊まるのね!」 「バイクはどこに持って行けばいいのか?」などと言う声が聞こえたが、そんなものは無視 今は当然 無視です。そして、officeに急いで向かいました。 これも朝の画像。
時刻は23時を10分少々過ぎていた。
オフィスのドアには鍵がかかっていたが、中のカウンターに女性スタッフの姿がみえた。 良かったぁ、待っていてくれたのかな?
ドアをノックして開けて貰い、「木村さんから連絡があったと思う。6部屋を予約してある。」と伝え、部屋の鍵と朝食券を貰えました。 一歩遅ければ!危ない所でした。 冗談ぬきで野宿とか、モーテルの屋根の下とか・・・・
この朝食券は、私が行方不明にしてしまったのですけどね。 まぁ、朝食は別の店で食べると言うことだったから、真剣に探さなかったんです。
でも、朝になってから、無料チケットならもったいないので使おうと言うことになったんだけど、すでに行方不明。 帰国してから、出てきました。(笑)
ツアーガイドのKojiさんがフロントと話をして朝食は食べられたので、OKでしたけど。
荷物を入れたトランクはサポートカーに積んだまま。 着替えなど取り出す時間も惜しくて、ここまで走ってきたので、なにも持たないままホテル入りです。
みんな、着替えなしでシャワーを浴びたり、歯磨き道具なしで口をゆすいだり、もう大変。
時刻は、12時を回っているので、他の部屋は寝静まっているようですが、まだ興奮状態が覚めない我々のしゃべる声の大きいこと。
訳のわからない言語で、夜更けに大声でしゃべっているアジア人達。よく、怒鳴りつけられなかったものですよねぇ。
一旦、0時過ぎにツアコンのKoujiさんはホテルに到着したのだけど、忘れ物があるとかでもう一度病院まで引き返したので、ホテルに帰り着いた時は2時前くらいでした。
次の日は、近くのレストランで朝食を食べたら、モニュメントバレーで観光と燃料補給、その後グランドキャニオンに向かうというコースを確認した時は、時計の針は午前2時を指していました。
やっと、ひどい1日が終わったぁ。 本当にHard Day's Nightを実感
病院に急行するパトカーの後についてバイクを走らせていると、後の方から救急車のサイレンが追いついてくるように聞こえてきた。 グレンキャニオンの峡谷を見ている時が午後5時だったので、その時は午後7時くらいでしょうか。
サイレンの音って、精神衛生上、あまり良いものではありませんね。 不安をかきたてます。
バイクの速度をゆるめて道路の右側を走り、救急車をやり過ごしてから、またパトカーを追走して行きます。
アメリカでは、赤信号でも安全を見極めたら右折できるとか、踏切でも一旦停止はしなくても良いとかの独特な交通ルールがありますが、左折でも、道路のセンターに左折専用レーンが作られていて、ここは左折する車しか入れないようになっているんですね。
パトカーの後をついて、左折専用レーンで曲がり始めるタイミングを待ちます。もちろんパトカーは、そのまま曲がって行ったのですけどね。
ブランディングの町に入って、スーパーマーケットの建物の角を曲がると、病院が見えてきました。 ブルーマウンテン病院(BLUE MOUNTAIN HOSPITAL)の緊急棟の前に、救急車が停まっていて、すでにYoさんは緊急処置室に運ばれていました。
真っ赤な救急車は、どうしても消防車と間違えそうです。 テレビで放映されていたERは、いつも見ていたのだけれど、あの番組の中で出てくる救急車も真っ赤でしたっけ?
バイクを駐車場に駐めたら、とりあえず緊急病棟の待合室風の部屋で、医者の診断結果が出るまで待機するだけです。
待っている間に、サポートカーに積まれたバイクを見に行ってみると、あ、バイクのダメージは意外に小さい。
右のハンドルは折れて、シールドが割れて、左のエンジンガードが曲がっていますね。 あと、ヘッドライト類とシーシーバーの取り付け部分が壊れて、ぐらぐらになっている位だけど、鉄と人の体じゃ、投げ出された時のダメージを受ける程度が違いますからねぇ。
こちらの画像では、フロント部分のダメージの程度がよく判ります。フェンダーも曲がってます。
両側損傷って、どういった転倒の仕方をしたんだろう? 1回転したのか?
サポートカーに乗っていたMさんから事故の様子を聞いていると、怪しげな日本語をつかう若者が部屋に入ってきました。
どうやら、英語がうまく話せない私たちのために、近所の若者を通訳サポートとして、病院側が手配したらしいのだが。
でも、怪しげな日本語と、怪しげな英語では、ほとんど意志が通じなくて、何をいっているのか判らない。
怪我の程度も、病院側の対応も、何にも判らない。 いったい、彼はなんの役目を果たす為に、ここにいたのだろうか?と疑問に思うくらいでした。
あなたは、今(ここの病院で)何をしているのか?と聞くのだが、どうやら訊ね方が悪かったようで、「絵を描いている」とか、「○○の仕事をしている」とか、的はずれの答えしか戻ってこないので、最後は呆れて相手にするのをやめてしまいました。
What do you do Now?やWhat do you do here?とかの聴き方では、駄目なんだけど、判ってくれよ!みたいな所だったのだけれど。
あぁ、もっとまじめに英語の勉強をしておけば良かった。
こうなると頼りになるのは、現地サポートのKojiさんだけですねぇ。
事故が起きたのは、待ち合わせのガソリンスタンド手前、12.5マイル地点。 ゆるやかな登りのカーブで、両側が岩の壁になっている所みたいです。
病院でCTやレントゲンを撮って診断した結果、骨盤の複雑骨折と脚や肩は打撲と判りました。
ヘルメットの損傷がひどかったので、心配していたのだけど、頭には異常はないとの診断で一安心です。
この時点で、夜の9時を過ぎて、外はやっと真っ暗になってきました。
診断結果はでたのだけれど、この病院では手術が困難との事で、ヘリコプターでグランドキャニオンの南の街、フラッグスタッフの病院(Flagstaff Medical Center)まで移送する事になりました。
ラスベガスの病院なら、Kojiさんの所のスタッフも対応しやすかったので便利だったのですけどねぇ。
でも、途中に大きな病院があるので、それよりも遠くの病院に入院搬送すると、保険が適用されなくなるんだって。 仕方ないですね。
総費用は、救急車とヘリを呼部のだから、500万円を超えるくらいかな?と思っていたのだけど、救急医療やヘリ搬送にかかる諸費用は、5000万円を超えそうだと言います。
ひぇぇ、アメリカの医療費は高いんだよ!とは聞いていたけど、驚き。
旅行の前に、アメリカの医療費は半端無いので、「病気怪我の治療とそれに関わる費用については、無制限保証」という保険に全員入りましょうと決めて、保険に加入していたので助かりました。
パスポートや国際運転免許証、英語で書かれた保険証など、警察や病院で必要な書類を準備して、打ち合わせが終わった時はそろそろ10時になろうという時刻。
医者の診断結果が出るまでの間、近所の店が閉まってしまう9時までに、近くのスーパーマーケットから何か買ってきて食事を済ませることにしました。
今夜の予定では、アメリカのグルメ番組でも取り上げられたと言う、メキシカンハットのステーキハウスで、美味しいステーキを食べるようになっていたのだけどなぁ。
残念ながら、サンドイッチとコーヒー牛乳のようなドリンクという、寂しいディナーになってしまいました。 アメリカで、一番ひどい食事の夜でした。
牛乳が欲しかったのですが、棚にあるのは1ガロン入りのでっかいボトル。 Fさんが店員に聞いた所では、2~3マイル先の店に行けば売ってるよって事だったそうです。
恐るべし、アメリカ。 距離の概念が違いすぎ。
画像は、午後9時過ぎのもの。 さすがに10時になると、あたりは真っ暗になりますね。
ヘリコプターでの搬送まで見届けたかったのだけど、メキシカンハットのホテルのフロントは、午後11時には閉まってしまいます。
ルームキーをもらわないと、サソリやガラガラへびのいる野原で野宿? それは避けたい。
ガイドのKojiさんは、病院に残らないといけないようで、我々だけで50マイル(80km)先のホテルに向かう事になりました。
ホテルに着いたらフロントと交渉するのが私の役割?(他に英語をしゃべる人がいないので)ですが、なんだか、夜間走行も私がリーダーみたいになっています。 あれ?
ほんとに、全員、英語をしゃべれなかったのか? 実は一人くらい、話せることを隠していた奴は、いないだろうなぁ。
「ここからだと、大体1時間で着くはず」、「メキシカンハットに入ったら、右手にシェルのガソリンスタンドがあるので、その先の道路左側にホテルがある」という、ほんとうにアバウトな説明だけで、みんなを引き連れて走り出しましたよ。
はい、私が先導で。(汗)
ガソリンスタンドの前に、今夜行く予定だったステーキ店があるけど、たぶんもう営業は終わっていると思うって、そんな情報はいりません
目印のガソリンスタンドの、昼間の画像です。 真っ暗闇の中で見つける事ができるのか?