先日、蓼科での食後激論が飛び交った話題の一つに表題の有機のテーマがあった。ゆうきは有機が一般的で有基は限られた場合に使用されているようだ。Kさんはさすが有機をイメージしていた。以下には、化学博士を差し置いてこの問題をWikipediaの記事を借りて簡単化してここに紹介しておく。
有機化学(ゆうきかがく、organic chemistry)は、有機化合物すなわち炭素化合物の合成、性質についての研究を目的とする化学の分野である。伝統的には二酸化炭素や一酸化炭素、炭酸などは有機化合物に含めない。大体は C−C 結合か C−H 結合を持つものが有機化合物である。
大昔、有機物は人工的には合成することができず、生命の神秘的な力によって生まれると考えられていた。
二酸化炭素などは炭や木を燃やせば作ることができるため、生命力に依らない無機物であるとされた。つまるところ、人によって作ることができず、生物によってのみ作ることができる物質が有機物であると考えられていたのである。
その後、この生気論は1828年にフリードリヒ・ヴェーラーによって打ち破られた。
一般の有機化合物は、鎖式炭化水素(アルカン、アルケン、アルキン)あるいは環式有機化合物(シクロアルカン、芳香族炭化水素、複素環式化合物など)を骨格とし、そこに官能基(水酸基、カルボキシル基など)が結合した構造を持っている。
農業でみれば、長年に渡って化学肥料ばかりを使い続けると、自然の生態系に悪影響があることが次第に解ってくる。土の中の菌類、バクテリアなどの生物は、本来は落ち葉や腐った木、糞尿などの有機物を分解して生きている。しかし、これらの有機肥料の代わりに無機質の化学肥料ばかりを大量に使用し続けると、有機物が不足しはじめ、土の中の微生物が減少する。やがて、無機質を好む嫌気性生物の細菌が土中に繁殖しやすくなる。その結果、植物は病気にかかりやすくなり、対処のために農薬の使用を増やさざるをえなくなり、ますます環境を悪化させる・・・という悪循環に陥ってしまうようになった。(収量は多いが)
そのような反省から、提唱されたのが有機農業である。化学物質の利用をやめ、旧来のような天然の有機物や天然由来の無機物による肥料などを用いるなど、自然のしくみに逆らわない農業を目指している。農作物の収穫量よりも、土の中までをも含む生態系全体の健全性に重きを置いている。
写真は、2010.9月期の蓼科農園収穫物の一部です。
有機化学(ゆうきかがく、organic chemistry)は、有機化合物すなわち炭素化合物の合成、性質についての研究を目的とする化学の分野である。伝統的には二酸化炭素や一酸化炭素、炭酸などは有機化合物に含めない。大体は C−C 結合か C−H 結合を持つものが有機化合物である。
大昔、有機物は人工的には合成することができず、生命の神秘的な力によって生まれると考えられていた。
二酸化炭素などは炭や木を燃やせば作ることができるため、生命力に依らない無機物であるとされた。つまるところ、人によって作ることができず、生物によってのみ作ることができる物質が有機物であると考えられていたのである。
その後、この生気論は1828年にフリードリヒ・ヴェーラーによって打ち破られた。
一般の有機化合物は、鎖式炭化水素(アルカン、アルケン、アルキン)あるいは環式有機化合物(シクロアルカン、芳香族炭化水素、複素環式化合物など)を骨格とし、そこに官能基(水酸基、カルボキシル基など)が結合した構造を持っている。
農業でみれば、長年に渡って化学肥料ばかりを使い続けると、自然の生態系に悪影響があることが次第に解ってくる。土の中の菌類、バクテリアなどの生物は、本来は落ち葉や腐った木、糞尿などの有機物を分解して生きている。しかし、これらの有機肥料の代わりに無機質の化学肥料ばかりを大量に使用し続けると、有機物が不足しはじめ、土の中の微生物が減少する。やがて、無機質を好む嫌気性生物の細菌が土中に繁殖しやすくなる。その結果、植物は病気にかかりやすくなり、対処のために農薬の使用を増やさざるをえなくなり、ますます環境を悪化させる・・・という悪循環に陥ってしまうようになった。(収量は多いが)
そのような反省から、提唱されたのが有機農業である。化学物質の利用をやめ、旧来のような天然の有機物や天然由来の無機物による肥料などを用いるなど、自然のしくみに逆らわない農業を目指している。農作物の収穫量よりも、土の中までをも含む生態系全体の健全性に重きを置いている。
写真は、2010.9月期の蓼科農園収穫物の一部です。