てふてふの戯れ
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」
安西冬衛の詩集『軍艦茉莉』の中の『春』と題された一行詩である。
平成17年11月15日、紀宮清子内親王が皇室を離れて一般のサラリーマンに嫁いだとき、彼女の卒業文集にこの詩が引用されているのが分かり、早くから自分の行くべき道を自覚していたのではないかと評判になったことがあった。
(楚々としてか弱い印象の紀宮さまが、ひとり皇籍を離れて民間に降りて行く)
いつも側に寄り添っていた美智子さまと娘・・・・。
国民は二人の心情にも思いを馳せ、ひそかに別れの日を決意していたであろう姿に感慨を重ねたのである。
もともと『春』は、発表された当初から評判を呼んだ作品であったが、普段詩になじみのなかった人々も、この機にあらためてこの詩を記憶したに違いない。
ある種の蝶は国境を越えて移動する。
旧満州に住んでいたことのある安西冬衛が、単に『春』の一現象を詠んだのか、あるいは海を隔てた日本に思いをめぐらしていたのか。
いずれにしても<てふてふが一匹・・・・>という表現と韃靼海峡(当時の間宮海峡)なる地名に、想像力を掻き立てられるのである。
さて、それでは二匹の蝶ならどうか。
昨日、花畑の多い六合村で見たのは、ひまわりやコスモス、矢車草の上で戯れ縺れ合う二匹の白い蝶の姿であった。
ひらひら、ひらひらと、恋の相手を求めて追いかけ、逃げる様子は、他の昆虫や動物すべてに共通の儀式のように見えて、ほほえましくも幸せな夏の里山風景を提供してくれた。
ところが、しだいに夏天の青に向かって高く高く追いかけっこを始めた二匹の蝶は、いきなりエアポケットに嵌まったかのようにストンと落ちた。
そうした繰り返しを楽しんでいると、やがて目にも留まらぬ速さでパッと視界から消えたのである。
「えっ、UFO?」
空が背景だから見えづらかったのか、しかし、二匹が離れたときの動きは「放れた」というべき速度で、動作を超えて彼らの意思を感じさせる現象であった。
<てふてふ>から<チョウ>へ。
花畑の上の仲睦まじく見えた関係が、言い寄り、焦らすうちに変化していったのか。
勝手な想像だが、蝶の別れはUFO のように不可解なのかもしれない。
それにしても、蝶が持つ高度な飛翔テクニックに驚かされた一日であった。
蝶に詳しい人には、こんな能力は簡単に説明がつくのかもしれないが・・・・。
(写真は、蝶の動きを追いかけて手振れ気味の一枚)
安西冬衛という詩人も懐かしいですね。
この短い詩と皇室の若きお二方をそれとなく結びつけていくなんて、これまた美しいドラマみたいで。
えてして昆虫や鳥類の交尾は、そこはかとなく詩情を感じさせるものです。
みごとにカメラに捉えた二匹の蝶も満ち足りたのでしょうか。