<天狗による神かくし>から
神かくしと言えば、天狗のかかわりを示唆するものが少なくない。
ここでは、はっきり「天狗」にさらわれたといった例を取り上げてみた。
<昭和四十七年の旧暦七月二十五日、この日は地獄の窯の蓋のあく日で、「山川せられん」というのに子供は暑いので、前の谷川でボシャボシャはしゃいでいた。家の孫も六つで豊というのが行こう行こうというので連れていった。なかなか遊びをやめんので田の水かげんを見に一寸そこを離れたすきに、豊の姿は見えなくなり、部落中の騒動になった。次の日の昼すぎ、佐賀町ごしの峠の近くで見つかった。見つけた人の話では、一休みしていると二匹のやどもり(ガマ)が急に横の葉むろに飛びこんだ。その方を見あげると大羊歯が両方に押しわけられ、トンネルのようになっている雲すかしに曲がった木の枝が見え、その枝に裸の子がまたがって、枝をつかまえて座りよった。そこへ行って「豊ちゃん、何しよりゃ、早ういの」というと目をハッとみひらいて飛びついてきた。背負って帰る道々「ひだるかった」といい、誰と来たかときくと「天狗のおんちゃんと来た」というそうだ。>
こうした話は他の地方にも分布しているそうで、松谷さんは幾つも例示している。
〇秋田県北秋田郡阿仁町。明治中頃の話。鈴木つねさんが「私の母は、私が二十の時、山に茸とりに行ったまま、どうしたのかとうとう帰ってこなかった。その日の午後にはすごい雷雨があったので、どこかに雨宿りしているのではなかろうかと、村の人たちも総出で探してくれたし、私もその後何日も何日も山にはいり、母の名を呼びつづけて探したが、何の手掛かりもなかった。あっちのごみそ、こっちのいたこ、と聞き歩きもしたが、母は行方不明になってしまった。この年になっても、まだ母の葬式もしないと思うと悲しくて・・・・と話してくれた。どうして帰ってこなかったのか、村の人たちは森吉山の山人に連れていかれたのだと噂したそうだ。
「山人」というのが天狗を指すものと思われるので、取り上げられたのだろう。
(つづく)
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