<河童考>つづき
公害を教えてくれた河童の話が続いたが、今度は「河童のお礼」という話を紹介する。
①茨城県鹿島郡諏訪村安房(現鉾田町)の話
<明治二十年ごろのこと、どじょう取りの祖父は蝮(マムシ)に噛まれた時の用意にと毒消しを持って田んぼに出ていた。さっぱりどじょうが取れなくなったのでやめようかと思って畔を歩いていると、のたうちまわっている河童に出会った、蝮に噛まれたから助けてくれと手を合わせて頼まれた。用意の毒消しを刷り込んでやると何度も礼を言って小川に消えた。翌日から祖父の置いた魚取り用のカゴにどじょうがいっぱい入るようになった。あったら礼を言おうと思っていたが、それっきり河童は現れなかった。>話者は中村ときを
②群馬県利根郡水上町横山の話。
<会津から二百メートルほど川上へ登ったところに馬洗い淵という所がある。そこは馬をひいて行って日中馬を水の中に入れておいて夕方つれ帰ったところである。横山(現在は大滝沢に移転)の林某さんのところである日馬洗い淵へ馬を引いて行った。馬の舟(木をくりぬいて馬に水をくれたり餌をくれたりするもの)の中で、ピチャピチャという音がしたので見るとカッパであった。林さんはカッパを殺さずに川の中に放してやった。するとそれから毎晩盥の中に魚が入っていた。カッパが持ってきたものだった。ところがある日林さんのところで洗濯をした着物をとりこむのを忘れて庭に干したままになっていた。その中に子供のかすりの着物があった。カッパはかすりが大嫌いだった。その晩からカッパは来なくなってしまったという。>(出典『水上町の民俗』)
③岩手県遠野市付馬牛の話
<もやっとした日の十時ごろ、トロッコの軌道を歩いて行ったところ二匹でじゃれるような恰好をして、軌道のすすきの陰から来るんだね。きびわるいから石をつかんで投げつけたら川へ飛び込んでしまった。口のところは黒くとんがって、七、八センチの尾があったな。頭の皿はよく見る間がなかったも。耳は犬のように立っても下がってもいないで、ただ変わったもんだったな。毛の色は赤かったな。>(話者は伊藤巳之助)
*いかにも遠野の民話らしい話で面白いと思った。
(つづく)
中山道に「洗馬(せば)」という宿場町があり、そこには馬洗いの淵があり、また近くには馬の舟があったのを懐かしく思い出しました。
昔は、馬は運送や農耕に大切な生き物だったので、この様な、馬にまつわる場所がたくさんあったのでしょうね。
数年前、群馬県の鄙びた宿に泊まった時、夕方から夜にかけてゲロゲロを聴きながら安眠したことを思い出しました。
夢うつつに、夜通し鳴いていたような気もします。
里山での得難い経験でした。
河童がカスリの着物を嫌うとの話は、ぼくも初めて聞きました。
なぜなのか、見当もつきませんが、あの白黒の模様が関係していないかなどと考えて疲れました。
そうですか、中山道に「洗馬」という宿場町があるんですか。
各地に、民話の素となりそうな地名が残っていそうな気がします。
勉強になります、ありがとうございました。