灯影に狂う蛾、陽に舞うスズメバチ
秋と夏との綱引きも、やや秋の優勢が感じられるようになりました。
虫の声を聴きながら、秋の夜長を庭で過ごすのも不思議な感覚を呼び覚ましてくれるものです。
焚き火をしていると、夜の蝶ならぬ蛾が飛んできます。蛾はより明るい傍の電燈に舞い移り、狂ったようにまつわりつきます。
素顔はあまり綺麗ではありませんが、スタンドの周辺を精根尽きるまで飛び回り、やがて地に落ちる姿はなんとも美しいものです。
(シャッター速度の遅いデジカメで画像に収めました)
今の瞬間にはそこに居ない蛾。一瞬後の出現を予測してシャッターを切るのは、けっこう難しいものですね。
一方、ここ数日熱い戦いを続けている出来事を記さなければなりません。それは、当方の生活権を脅かすスズメバチとの攻防でした。
玄関の上の庇の隙間から出入りする数匹のスズメバチ。以前にも隣家の巣作りの経過を見ていて、一見数匹に見えても内部には大規模団地が建設されている可能性もあり、これは由々しき事態と察知したわけです。
庇の奥は天井裏に通じていると推理出来ます。
気づかないうちに天井裏に巨大な提灯様の巣を作られていたらどうしようと、テレビで見たことのある映像を思い出してしまいました。
大事に至らないうちに、蜂さんにお引取りを願わなくてはなりません。ところが彼らとの間では、友好的な方法による妥協は成り立たないのです。
生きるか死ぬか。
彼らも必死、こちらも必死。決して大げさではないのです。
屋根に梯子を掛け、完全防備で登り、『マグナムジェット』と呼ぶ薬液で立ち向かいました。
天井板をずらし、室内からは『バルサン』煙攻め。正確な状況はつかめませんが、とりあえず飛来する数は減りました。
どちらの生活圏なのか、判定を待つ余裕はありません。
とにかく本気で戦うつもりです。
いずれ結果が出ることは間違いないでしょう。
(というわけで、スズメバチの映像は在りません)
蛾でも雀蜂でも小さな生き物に過ぎませんが、大の男が振り回されたりしちゃって。
蛾だけならいざ知らず、雀蜂ときた日には刺される恐怖感を伴いますからね。しかも、わが家がその集団に冒されようとしているなんて。
でも、読む側としては、森の中の人間のひそやかな営みが読み取れるようで結構楽しかったす。
この写真が放つエネルギーに惹かれました。
難しい状況で苦労して取った写真のようですが、不思議なことですが撮影者のエネルギーは間違いなく写真に写りこむんですよね。
デジタルカメラになって気楽に何枚でも撮れるため、たとえ家族を撮ったスナップでもあまり撮影者のエネルギー(愛情などの切実さ)感じられない写真が多くなっていることが気になっていました。
自分が撮る写真でもそれを感じて情けない思いを味わっています。
昔はフイルムも安くはなかったし、一枚撮るのに何とか相手の一番良い瞬間を、真剣にシャッターを押したものです。
そのときに撮影者の魂がこもり、プリントを見て自分でも驚くような写真が撮れることがありました。
写すメカはカメラなのに、写真は本当に不思議です。
たとえ相手が動かない花であっても、その花の一番美しい瞬間を撮ってやろうと本気で向き合うとき、撮れた写真がエネルギーを放ちます。
気のせいだけではなく、それを観た他人にもエネルギーが伝わり、いい写真じゃないのと言われてびっくりすることがあります。
写真家の土門拳は仏像を撮るときでもシャッターを切るまで30分も1時間もじっと向き合って、ある瞬間を捉えたと言います。
人に対しても同じで、梅原龍三郎を撮ったときは最後に梅原が怒り出しその瞬間にシャッターを押したと言うことです。その写真を見ましたが、本当に不快そうで梅原の人間性の正体を視たように感じました。
土門さんと較べるわけにはいきませんが、窪庭さんの今回の写真にはこの画の瞬間を捉えてみんなに伝えたいと言う思いがはっきり出ていて、とてもよく伝わってきます。
見た瞬間ストレートに眼から脳へ突き抜けるように入ってくるのは、そのせいなのかもしれませんね。
これからも窪庭さんの心が写りこんだ楽しい写真を期待しています。
知恵熱おやじ