坑道を歩いたあとは、しばらく山道を下り、製錬所跡に向かいます。
世界遺産に登録される前も、細々と観光客が来ていたのですね。休息案内所が
朽ちかかって残っておりました。
崩壊したあとの片づけに手が回らないんですねー。
おおお、これじゃあもう改修して住むというのも無理そう。
さて製錬所跡に到着です。石見銀山は江戸幕府による支配が終わった後、ごく
小規模で運営が続いていました。そして明治19年、藤田組という会社が現在では
数十億円という投資をして、近代的な製錬所を建設し、操業を開始したのです。
山の斜面に、いまでは土台だけが残っています。
しかし操業を始めても、鉱石の品質が予想より悪く、設備の能力も不十分で、
すぐに不採算となり、わずか1年半で閉鎖となったのでした。悲しいねー。
石見銀山は戦国時代、16世紀前半から開発が始まり、17世紀前半頃が運営の
最盛期だったとか。ここは下河原吹屋跡で、ぽつんと立っている木造の建屋は
近年に再現したものでしょう。
吹屋とは、運ばれてきた鉱石を選鉱し、吹床(ふきどこ)で溶かして銀を採った
施設なのです。なにせ世界中の銀産出量の3分の1にまでなったことがあるの
ですから、ここで造られた銀が世界中の通貨として利用されたのですね。
ヨーロッパの貴族たちが使う銀食器なんかにも使われたのかな~。
そういえば、むかしロンドンのオクスフォード通りにあるマッピン&ウェブ
という英国王室御用達の銀食器専門店にふらりと入ったことがあります。
「お~すばらしい~♪」と感動し、お値段を見て絶句し、すごすごと出てきた
覚えがあります。(^益^; 200年も前に、もしかすると石見銀山から掘り
出された銀がそこの銀食器になってたりしたのかな~。
坑道の内部を進みます。狭い通路、涼しい風、うつろに響く音。女の子と一緒
なら、お化け屋敷みたいでウキウキするだろうけどなぁ(^益^)w
ひとりだと、昔の鉱夫は悲惨な生活だったのだろうなあ、と想像したり(゚益゚)w
広い坂道に出ました。結構深いところまでいったりするのです。
出口の手前に、鉱山の仕事の様子が描かれて説明がついていました。これが
なかなか面白かった。
一枚目は「四つ留之図」。「四つ留」とは坑道の入口で、丸太の木を組んで
土石が落ちないように造ったものです。おっちゃんはキセル吸ってるのか?
右上と下では堀子人夫たちが鉱石を掘っています。右は天井が崩れないように
横木を渡しているところ。左は坑内の溜まり水を水箱に段々と竹のポンプで
吸い上げているところです。手作業だから大変だろねー。
これも木製のポンプで段々と水をくみ上げているところです。どんどん湧き出て
くるところは休むことができないでしょう。右のほうに、狭い通路をはいつく
ばって進んでいる人がいます。埋まって死んじゃうよーwww
暗闇、明かりから出る油煙、狭い空間での石塵。そして落盤の危険、ガスや
水が襲ってくる恐怖。たまりませんねェ。。。
でもこの人たちの生活は、きっと豊かじゃなかったんだよw
手に持っているのは、サザエの殻のランプだったそうです。
何度も何度も往復したのでしょう。一番奥で掘っている連中よりは
ましなのかなあ。
どんどん湧き出てくる水を汲むのも重労働だった。なにせ休むことが
できないのだから。腰にくるだろねー。
いったい一日に何時間くらい働いていたの?きっと24時間営業で、交代制
だったのでしょうね。鉱夫たちは次々に死に、管理している上の連中には
莫大な富をもたらしたと。銀は海外との貿易に使われたそうです。
フヒー、出口だ。
たった30分あまりの見物でしたが、シャバに出て、新鮮な空気を吸える解放感を
感じました。。。
リュックを置かせてもらった資料館をあとにして、身軽になって銀山の坑道へ
と向かいます。むかし栄えた街並みが残されています。時代劇にでも出て
きそうな景観。大内宿や奈良井宿を思い出します。しかしこちらは宿場町では
なく、銀鉱に携わる町家と武家の街なのです。
まだ朝早かったので、人がいなくていい感じでした。
そろそろ街はずれ。銀の出た山へ近づいてきます。
ゆるやかな登りが続きます。前後に歩いている人はほとんどいません。この
あたりから、観光客が乗る自転車がちらほらと私を追い越してゆきました。
そういえばバス停のあたりに貸し自転車屋さんがありました。みなさん駐車場に
車を置いて、自転車に乗って坑道見物に行くのね?!
1時間くらい、この豊かな自然の中を歩けよー。電車乗らねえ、路線バス乗らねえ
から、どんどん廃線になるぢゃねーか。どうにも俺は徹底的に少数派のようだw
どんどん自転車が追い越してゆく。
♪あ~とか~ら~きぃ~たぁ~のぉ~にぃ~
お~いこ~さぁ~れぇ~~~~♪ (ダッダダダダッ、ダダダッ♪)
(水戸黄門の歌より)
なんだか歩いているのが俺ひとりで、車にビュンビュン追い越されてゆくのは
慣れてるけれど、車の通らない山道でも抜かされてくとはなー。
というわけで、公開されている坑道へ到着しました。龍源寺間歩(まぶ)と
いいます。反対側に通り抜けできるようになっているのです。
おおお、手作業なのに大変だっただろうねえ。きっと何人も死んだのでしょうね。
オバチェ出ないかなー。
ゴリゴリ掘ってた最先端のひとつ。こんなところに座って、ローソクか松明など
の明かりで何時間も掘ってたのー。みなさん、この写真をよおく見てください。
どこかに痩せこけた顔が見えていませんか~(^益^)w
江津での用事も終わり、のんびりと石見銀山でも見物することにした。世界遺産
である。それにしてもアクセスが悪い。山陰本線は1時間に1本程度。仁万駅から
石見銀山へ向かうバスは2~3時間に1本程度。乗り継ぎを考えると、わずかな
区間だというのに特急に乗るしかなく、いくらも乗らないのに数百円払うはめに。
銀山へ向かうローカルバスに乗ると、私の他に乗客は若いお嬢さんひとりだけ。まあ
しぶい観光地ですからね。残念ながらお話をする機会は持てなかった。
あれ?「もてない」って言葉、ここからきてるのか?
バスは「世界遺産センター」にはひんぱんに出ているが、なんだか観光客向けの
近代施設には関心がないので、こちらの「石見銀山資料館」に入る。こちらの
ほうは他に誰もいなかった。これいかに、である。
代官所って、四国にはなかったんですね。東北はわかります。幕末に会津の連中が
青森方面へ追いやられたというのは大山捨松の話で出てきましたからね。中央政府の
管轄にはなく、ちらほらと原住民が住んでいたの?
銀が発掘されるとなると、当然争奪戦が始まります。その醜い争いについてはあまり
詳しく展示されていませんでした。当時、ここの銀の発掘量は世界全体の3分の1に
までなっていたんだって。
発掘に使われた機器などもありました。
面白かったのがこれ。1595年に、ポルトガル人が作成した日本地図です。地理的
重要度に応じて大きさが違っています。先ほどの代官所の配置に見られるように、
四国はとても小さく、東北は存在しない!関西より東は田舎で、扱いが小さい
ですね~。しかし、関東の東にある島はいったいどこなんだ?
さてこのあと、1時間ほど歩いて銀山の坑道を見物しようと思っていたのだが、
荷物が重い。バス停の前にあったコインロッカーは小さくて入らない。そこで
この資料館の奥にある大きなロッカーを使わせてもらえないかと係の女性に
頼んでみた。
資料館には見学者がほとんどいないようだし、わざわざ一番奥にあるロッカーを
使う人もいなそうだ。にもかかわらず「利用は館内のみ」などと張り紙があるのだ。
しかしふたつ返事で親切にも使わせて頂けました(^益^)bアリガトウゴザイマシタ
江津の2軒目は、「パンダ」という名前のバー。「ママの化粧がパンダみたい」?
面白そうです。居酒屋でもらったイカを食べられるかなー。
なんときらびやかな内装。寂れた田舎町でも、こういうところは華やかだねー。
さて、ママさんにお勧めのカクテルを作って頂きました。「わたしが考えたカクテル
なのよ。よろめきっていうの♪ あら、あんたいい男だわね…」とうるんだ目^^;
自慢になりますが、私は後期高齢期に入った女性には、よくそう言われるのである。
同世代もしくは若干年下の女性に言われたい気もするが、なぜかほとんどないw
どういうわけか、後期高齢期の方々なので、何年もしないうちにそう言ってくれる
人はこの世からいなくなってしまうかもしれない。
ジーさんたちがカラオケを始めた。すると奥に見えている旦那さん、曲に合わせて
サックスを吹きだした。それがプロ級。驚いてママさんに聞いたら、大阪の夜の
世界で有名だったとか。そしてママさんは、彼に見初められた踊り子だったのです。
カッコよすぎるサックスの旦那と、面白いママさんの楽しい店でしたが、混んできて
とてもイカを出して食べる雰囲気ではない。しかも隣に座ったジジーが「社長」と
呼ばれてなんか偉そうだったので、店を変えることにした。
サックスの旦那が店の外まで出てきてくれたので、「お勧めの静かなところは
ないですかね」と聞くと、こちら「ルージュ」を勧めてくれました。暗い所に
ぽつんとルージュな灯り。
こちらは人のよさそうなママさんひとりのお店でした。
隣にいた2人組が帰ったので、「イカを出してもいいでしょうか」と聞いてみる。
笑って「そんなの遠慮しないですぐに出してよ♪」と言ってくれたので、ウィスキーと
一緒に食べました。うんうん、白イカのように分厚くはないけれど、スルメイカの
ように固くはない。こちらで美味しいのはこれでしたか(^益^)w
1軒目の居酒屋はビールにお酒(おかわり込)、つまみをいくつか&お土産のイカで
2000円ちょっと。パンダのバーでもカクテルやウィスキーを飲んで、ちょうど
2000円。このルージュもウィスキーをおかわりしましたが、やはり2000円。隣の
客は「帰りはタクシーで2000円だぁ」と言って帰りました。
江津は2000円札が出回れば、それがいったりきたりで事足りるのではないか?