さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

石見銀山 製錬所跡

2017年01月24日 | 山陰・北陸日本海



坑道を歩いたあとは、しばらく山道を下り、製錬所跡に向かいます。



世界遺産に登録される前も、細々と観光客が来ていたのですね。休息案内所が
朽ちかかって残っておりました。



崩壊したあとの片づけに手が回らないんですねー。



おおお、これじゃあもう改修して住むというのも無理そう。



さて製錬所跡に到着です。石見銀山は江戸幕府による支配が終わった後、ごく
小規模で運営が続いていました。そして明治19年、藤田組という会社が現在では
数十億円という投資をして、近代的な製錬所を建設し、操業を開始したのです。



山の斜面に、いまでは土台だけが残っています。



しかし操業を始めても、鉱石の品質が予想より悪く、設備の能力も不十分で、
すぐに不採算となり、わずか1年半で閉鎖となったのでした。悲しいねー。



石見銀山は戦国時代、16世紀前半から開発が始まり、17世紀前半頃が運営の
最盛期だったとか。ここは下河原吹屋跡で、ぽつんと立っている木造の建屋は
近年に再現したものでしょう。

吹屋とは、運ばれてきた鉱石を選鉱し、吹床(ふきどこ)で溶かして銀を採った
施設なのです。なにせ世界中の銀産出量の3分の1にまでなったことがあるの
ですから、ここで造られた銀が世界中の通貨として利用されたのですね。
ヨーロッパの貴族たちが使う銀食器なんかにも使われたのかな~。

そういえば、むかしロンドンのオクスフォード通りにあるマッピン&ウェブ
という英国王室御用達の銀食器専門店にふらりと入ったことがあります。
「お~すばらしい~♪」と感動し、お値段を見て絶句し、すごすごと出てきた
覚えがあります。(^益^; 200年も前に、もしかすると石見銀山から掘り
出された銀がそこの銀食器になってたりしたのかな~。