さて気仙沼に帰りますか。ここは津波で何もなくなったエリア。BRTの駅まで戻ります。
長い道のりをまた歩かねばならぬ。行きは目的地に向かってワクワク感もあるけれど、
帰りはさっき通ったところだし、疲れてるし、暑い中を長い長い道のりだしー。。。
この景色、このブログで定番になりましたねwww
長い直線って、心を折るよね^^;
ま、慣れてるし、気持ちのいい開けた場所だし。 暑いけどw
というわけで、ようやくBRTの駅に戻ってきました。
津波でやられたところをバスは走り、島に渡る橋が見えてきました。
これが出来たときには景観を壊すなあ、と思ったけれど、慣れてくれば気仙沼の
シンボルかあ~。
そしてこいつもねw
やっと南気仙沼駅まで戻ってまいりました。元住宅地にすすきが群生。
行きにはラーメンを食べましたが、帰りはソフトクリーム(^益^)b
同じおねいさんでしたw
見てこの日焼け! 時計の跡が出来ちまったよー。
伝承館を見たあとは、海に向かいました。岩井崎という岬の公園があるのです。
防潮堤に登って見たモニュメントは、「海の殉難者慰霊塔」でした。
見事に日陰がないので、干物にでもなりそうな直射日光だw
あの緑があるところが岬だろう。
陸のほうは津波で更地にされて、ほぼそのままなんだろう。
あ~やっぱり海が見えるのはいいなあ。防潮堤の白いコンクリートで全部覆うって、
悲しいことだよなあ。津波で犠牲になった人たちに対して、簡単には言えないこと
だけれど。
というわけでようやく岬に到着。
おっ、気仙沼の新しい橋が見えるではないか。
アップにするとこんな感じです。
きれいな景色だけれど、とにかく日差しの下では暑くて。。。
潮風は気持ちいいんだけれどねェ~。
カポーだったら、「ホラ大丈夫?」とかいって手をつなげるなあ~www
いやあんたとは手をつなぎたくないってばさw
こちら出身の元横綱、秀の山雷五郎の銅像です。200年も前の江戸時代の人だよ。
調べてみたら、横綱になって引退してからは審判にもなってよかったと思いきや、
自分の部屋の弟子にえこひいきするもんだから、力士たちが怒ってストライキ事件
までになったとか。そりゃいかんですねェ(^益^;
屋上に出ました。目の前には年寄り向けのパターゴルフ場でした。そして海のほうには
防潮堤。あれじゃ前回のような津波が来たら簡単に超えられてしまうのでは?
津波のとき、屋上から撮った画像が展示されていました。こりゃすごいわw
ここにやってきたときに、外から見た体育館の廃墟。廃材置き場と思ってしまいました。
こういう形だったのにw
裏のほうの建物。遠くから見た最初は、こちらも普通の施設だと思いました。でも
よく見ると下半分が抜けています。
下に降りて体育館跡を見ました。鉄筋やコンクリートがこんなになるんですねェ。
さっき内部を見た正面の校舎。壁の上のほうが壊れてますよね。
これは氷の倉庫が流れてきて、ここに激突した跡なのです。こんな高さにかいー。
屋上には教職員らが避難していたそうです。すごい光景だったでしょうねェ。
校舎の間に回っていくと・・・
こんなになっていたのを、そのまま残してありました。
長い長い一本道を歩いてきて、震災遺構伝承館に近づいてきました。これは廃材置き場?
??? あとでわかったのですが、ここは体育館だったところなのです。
隣りの建物、壁はきれいですがサッシが割れているではないか。
むむむ、あれは津波で壊れたところ? これが震災遺構だとわかりました。
あとでぐるりと歩いて外から全体を見渡したところ。ここはかつての気仙沼向洋高等学校
で、石巻の門脇小学校と同じように、津波を受けて残った建物をそのまま震災遺構として
残したものなのです。
ものすごく暑い日差しの中を、広い広い学校の敷地をぐるりと反対側まで回らないと
入り口にたどりつけません。徒歩で来ることを想定してないな。。。
あと15分ほどでビデオ上映の時間になるというので、まずは写真の展示を見ました。
これは津波を受けたあとのありさま。
学校の建物だけはしっかりしているので残ったわけです。
校舎の中を歩くと、1階はこんな感じです。
この学校、最上階の4階まで津波は来ましたが、人々はみんな避難していたので
犠牲者は出さなかったのです。
トイレもこんなーw