相模太夫の旅録=Tabi Log

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米沢藩主代々の墓所「上杉家御廟所」

2014-09-01 21:09:07 | 墓所・廟所
山形県米沢市に国の史跡に指定されいる「米沢藩歴代藩主の墓所=米沢藩主上杉家墓所」(史跡名称)はある。上杉神社より歩くこと15分、廟所の入り口には「山門」があり「龍」と「毘」の旗が立てられている。御廟所墓道の両側には樹齢400年を越す老杉に覆われ薄暗さも相俟って静寂さの中にいかにも大名の墓所という厳粛な空気に満たされている。戦国時代の大名である上杉謙信が越後国春日山城に没すると、その遺骸は漆を塗り甲冑を着せて埋葬。上杉景勝は後に豊臣秀吉の臣下となり五大老に任じられ、会津へ移動した際、謙信の霊柩も会津に移され仮堂に安置された。御廟所は東西約108m、南北約180mで約2haの面積を有し、柵の外側には、幅約3.6mの空堀と土塁が廻らされ、江戸時代初期~後期迄の歴代藩主の廟が一つの場所に並置された近世大名家墓所の代表例に挙げられている。向って右から御廟順位は11代「治廣公」、9代「重定公」、七代「宗憲公」、五代「綱憲公」、三代「定勝公」、初代「謙信公」(輝虎公)、二代「景勝公」、四代「綱勝公」、六代「吉憲公」、8代「宗房公」、10代「治憲公」(鷹山公)(世子 顕孝公)、十二代「斉定公」が配祀されている。中でも正面奥の上杉謙信の墓所に参ると感慨深いものがある。話には聞いていたがそれに違わない立派な墓所であった。(0906)


















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