ここに、人々のいはく、「これ、昔、名高く聞こえたるところなり。故惟高親王の御供に、故在原業平の中将の、
世の中に絶えて桜の咲かざらば春の心はのどけからまし
といふ歌よめるところなりけり。」
今、今日ある人、ところに似たる歌よめり。
千代経たる松にはあれどいにしへの声の寒さは変はらざりけり
また、ある人のよめる、
君恋ひて世を経る宿の梅の花むかしの香にぞなほにほひける
といひつつぞ、みやこの近づくを喜びつつ上る。
業平の歌に続いて歌がでる。生きとし生けるものだから歌うんじゃなく、歌があるから続けて歌うというのが、歌の本質のようにわたくしには思われる。音楽もそうなんでね。「千代経たる~」の歌の方がわたくしは業平の歌より好きだね。「春の心」より「声の寒さ」の方が物質的で…。論語が元になっているんだろうが、気にならない。つづく「君恋ひて~」は香りが匂っているというのだが、実際、その匂いは、その昔を想像してからやっと生じてくるもので、声の寒さの方が直截だと思う。「人はいさ~」をふまえているのが明らかなのでよけい時間差で想像が遅れる気がしないでもない。
冬ですね……
保吉はその遠い焚火に何か同情に似たものを感じた。が、踏切りの見えることはやはり不安には違いなかった。彼はそちらに背中を向けると、もう一度人ごみの中へ帰り出した。しかしまだ十歩と歩かないうちに、ふと赤革の手袋を一つ落していることを発見した。手袋は巻煙草に火をつける時、右の手ばかり脱いだのを持って歩いていたのだった。彼は後ろをふり返った。すると手袋はプラットフォオムの先に、手のひらを上に転がっていた。それはちょうど無言のまま、彼を呼びとめているようだった。
保吉は霜曇りの空の下に、たった一つ取り残された赤革の手袋の心を感じた。同時に薄ら寒い世界の中にも、いつか温い日の光のほそぼそとさして来ることを感じた。
――芥川龍之介「寒さ」
「寒さ」はわたくしの好きな作品である。そういえば、芥川は「感じた」と締めている。学生のレポートによく「と感じた」「と考える」とあるのを批判するわたくしであるが、場合によっては使いようがあるのであった。――というより、学生の心は、案外この「寒さ」みたいな状態にあるとも言えるのだ。「感じる」が襲いかかってくる世界である。