よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん
刹利も須陀もかはらぬものをと心あまりて高らかに吟ひける 此ことばを聞しめして感でさせ給ふやうなりしが御面も和らぎ陰火もややうすく消えゆくほどにつひに龍体もかきけちたる如く見えずなれば化鳥もいづちゆきけん跡もなく十日あまりの月は峰にかくれて木のくれやみのあやなきに夢路にやすらふが如し
西行の和歌によって出現したようにみえる崇徳院は、西行の和歌によってどこかに消えてゆく。近代小説なら、これは西行の主観が作り出した虚像か何かのように描きかねない。しかし、魔道に墜ちた崇徳院は実在する。西行の歌如きで消えてしまったりはしないのだ。だから、このあと、朝が来てもお経を読み続ける西行であった。わたしは今回、白峯を読み直して断然、西行の理屈は理屈にすぎず、つくづく怨みを晴らす思想的なしくみを我が国は失敗してきたのだと思わざるを得なかった。そもそも、古事記の時代から、歌に頼りすぎなのである。ヤマトタケルも歌で葬送された。ヤマトタケルへの罪と罰を物語で葬送しなければならなかったはずなのに――。
するとさむらいが、すらりと刀をぬいて、お母さんと子どもたちのまえにやってきました。
お母さんはまっさおになって、子どもたちをかばいました。いねむりのじゃまをした子どもたちを、さむらいがきりころすと思ったのです。
「飴だまを出せ。」
とさむらいはいいました。
お母さんはおそるおそる飴だまをさしだしました。
さむらいはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。
そして、
「そオれ。」
とふたりの子どもにわけてやりました。
それから、またもとのところにかえって、こっくりこっくりねむりはじめました。
――新美南吉「飴だま」
さむらいが玉を真っ二つにするところなんか、玉を様々に大事にしてきた古典の世界を一刀両断にするようで面白い。