
「兄長今夜菊花の約に特来る。酒肴をもて迎ふるに、再三辞給ふうて云ふ。しかじかのやうにて約に背くがゆゑに、自刃に伏て陰魂百里を来るといひて見えずなりぬ。それ故にこそは母の眠をも驚かしたてまつれ。只々赦し給へ」と潸然と哭入るを、老母いふ。「『牢裏に繋がるる人は夢にも赦さるるを見え、渇するものは夢に漿水を飲む』といへり。汝も又さる類にやあらん。よく心を静むべし」とあれども、左門頭を揺て、「まことに夢の正なきにあらず。兄長はここもとにこそありつれ」と、又声を放て哭倒る。老母も今は疑はず、相呼て其の夜は哭あかしぬ。
老母の論理の方が、われわれにはしっくりくる。まるで、透谷の「楚囚之詩」や埴谷雄高みたいなことを言っているからだ。しかし。左門はそれを否定する。これから左門は行動にでる。
つまり、夢か現かみたいなものが迷いとしてあらわれるのではなく、確かに義兄弟の姿があったのだからそれに従わなければならぬという、行動の原理がまだこの時点ではあったのであった。逆に言えば、夢か現かというわからないものこそが、その義兄弟の実在性の証拠なのである。
洞窟の中の夢は、芥川龍之介のように刹那の何かにしかならない。透谷と芥川龍之介がともに自殺し、安吾をトンネルの向こう側の人だと言った三島も腹を斬った。これは偶然とは思われない。彼らの脳裏には、花火が打ち上がっていた。
時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。
――梶井基次郎「檸檬」
梶井が檸檬の爆発への道を歩かないためには、「陰魂百里を来る」根性で――京都から仙台に実際に魂を飛ばしてロマンスでも体験すればよかったのかもしれない。梶井は我々と同様、リアリストであった。