★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

おほくの人の心に報ひすとて

2020-12-20 23:52:22 | 文学


面は望の夜の月のごと、笑ば花の艶ふが如、綾錦に裹める京女﨟にも勝りたれとて、この里人はもとより、京の防人等、国の隣の人までも、言をよせて恋ひ慕ばざるはなかりしを、手児女物うき事に思ひ沈みつつ、おほくの人の心に報ひすとて、此の浦回の波に身を投しことを、世の哀なる例とて、いにしへの人は歌にもよみ給ひてかたり伝へしを

読み落としていたが、彼女(真間の手児奈)が死んだのは、たくさんの男に言い寄られて困ったのではなく、「おほくの人の心に報ひす(多くの人の心に報いよう)」としたのであった。この「報う」とは一体どういうことであろうか。しかもこの「おほくの人」とは誰なのであろう?言い寄った男であろうか。わたくしにはそういは思えないのである。語り手もそこはなんとなく分かっていて、結局その報いをうけた人々が伝説として彼女を口伝してゆくことになるわけだ。とすると、夫一人を待って多くの人間を退けて死んだ勝四郎の妻とは根本的に違う。むしろ、貞節を貫いたありふれた行為を伝説の女のようなかたちで強引に語り継ぐことにしたということではなかろうか。

もしかしたら、これは案外つまらないことだったのかもしれない。

万葉集で名高いのが、真間の手児奈、まう一つは、摂津の蘆ノ屋の海岸にをつた女ですから、蘆屋の菟会(うなひは海岸の義)処女と言ふのですが、この二人のことは幾通りかの長歌、短歌になつて伝はつてをります。その他では、万葉集の巻十六にあります桜ノ児、鬘ノ児といふ女が、やはり男の競争者を避けて山に入つて木からさがつて死ぬ。或は死場所を求めて池へはまつて死んでしまふといふやうな死に方をしたことを伝へてをります。さう言ふのが非常に沢山あるわけです。さう言ふ木や水で死ぬのは、躰を傷け、血を落さぬ死に方で、禁忌を犯さぬ自殺法なのです。我々はこれは簡単に今まで考へてをります。日本の古代女性には、其職掌上、結婚を避ける女があつた。日本の女のすべてが、必ずしもこの世で結婚するために生れて来てゐない。結婚よりももつと先の条件があるのです。何であるかといふと、神に仕へるのです。人間として、人間の女としては神に仕へることが先決問題で、その次に結婚問題が起つて来る。だから一番優れた女の為事といふものは、神に仕へることである。かう考へてをつたことは事実でせう。事実といふよりさう考へてをつた人達が、昔はをつたといふことをば、後の人々も、多く信じてゐる。さう考へてゐるから、つまり沢山の美しい処女達が死んで行くといふ伝へを継承してをつた。

――折口信夫「真間・蘆屋の昔がたり」


以前、折口のこの文章を読んだときになんという冷たいやつだと思った。しかし、いまは違う。冷たいのは純愛を気取る人間達の方だ。近代は、それを頼りに愛する人々をたくさん殺している。で、それじゃああまりにあれなんで、最近は死なせずになかよくみたいなことになりつつあるのだが、やはりそれでも事態は変わらない。我々は根本的に死者のためにしか一生懸命になれない文化を一生懸命続けて来た節があるからだ。