十一日。雨いささかに降りて、やみぬ。かくてさし上るに、東の方に、山の横ほれるを見て、人に問へば、「八幡の宮」といふ。これを聞きて、喜びて、人々拝み奉る。山崎の橋見ゆ。うれしきことかぎりなし。ここに、相応寺のほとりに、しばし船をとどめて、とかく定むることあり。この寺の岸ほとりに、柳多くあり。ある人、この柳の影の、川の底に映れるを見て、よめる歌、
さざれ波寄するあやをば青柳の影の糸して織るかとぞ見る
グーグルアースで、上の舞台となった、右手に男山が見えるあたりに行ってみると、なんだこりゃこんな丘かよ、と思わないではない。確かに「山の横ほれる」という感じが正しい。で、聞いてみると山じゃなくて「八幡宮」と答えるところがいい。あくまでこれは宮なのだ。しかし宮そのものが見えたわけじゃないのかもしれない。宮は、帰ろうとする都と同じく幻に近い。下の歌は古今的歌風で、綾織物が柳とさざ波にぶつかって幻を創る。もっとも現実からはなれてるわけじゃないのだが……。
日本でも太古の社会で既に紡織の仕事をしていた。天照大神の物語は日本の古代社会には女酋長があったという事実を示しているとともに、その氏族の共同社会での女酋長の仕事の一つとして彼女は織りものをしたということが語られている。天照という女酋長が、出来上ることをたのしみにして織っていた機の上に弟でありまた良人であって乱暴もののスサノオが馬の生皮をぶっつけて、それを台なしにしてしまったのを怒って、天の岩戸――洞窟にかくれた話がつたえられている。天照大神の岩戸がくれは日蝕の物語だともいわれる。けれども、私たちに興味があるのはあのままの物語――太古の女酋長の日常の姿ではないだろうか。
――宮本百合子「衣服と婦人の生活――誰がために――」
現実から離れているというのは、ある意味でこういう発想である。ここに幻の入り込む余地はない。推測なんだから。この推測が力を生む。土佐日記の流れる感情は、案外憂鬱であった。これは歌が現実を離れないからでもあった。