汝家を出でて仏に婬し、未来解脱の利欲を願ふ心より、人道を持て因果に引入れ、堯舜のをしへを釈門に混じて朕に説くや」と、御声あららかに告せ給ふ。
崇徳院は顔色を変えて反論する。周王朝のはじまりのように、天に応じ民に従う場合は臣下が君主を討つのは当然なのだ。そりゃ経緯はあったよ、でも私欲によるものではない。お前は煩悩からの解放ばっかりを願うような仏道に入れあげておるからそういう「因果」が見えてしまうのだ、堯舜の教えと釈門のそれを混ぜるんじゃない、と。
これは鋭いと思う。いまだって、このように、私欲を前提にして世界を解釈しているものは多いが、――崇徳院のように生き地獄に落ちなければなかなかその形式論理性は分からないものなのだ。
尤も、かような祟は多くは偶然の出来事のように見えるものである。だから、天罰とか神罰とか言われるのであるが、ポアンカレーの言うように、偶然というものは、実は原因を見つけることの出来ぬ程複雑な「必然」と見做すのが至当であって、怪談や因果噺の中にあらわれる偶然を、私はむしろ、この「複雑な必然」として解釈したいと思うのである。これから記述しようとする物語も、やはり同様に解釈さるべき性質のものであろうと思う。
――小酒井不木「血の坏」
ポアンカレが何を言っているのかともかく、近代になると、その仏教的因果は形を変えて法律を相携えて人を攻撃する仕組みとなってしまった。崇徳院のような人物が大きいと思われるのは、私欲や妄念の大きさそのものの問題ではなく、その行為に繋がるものを因果ではなく感情と一続きのものとみることによってである。