★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

そのまたおくのそらのおくつきはやっぱりきいろくて

2023-03-07 23:26:51 | 思想


太宰問於子貢曰、夫子聖者與、何其多能也、子貢曰、固天縦之將聖、又多能也、子聞之曰、太宰知我乎、吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也、牢曰、子云、吾不試故藝

確かに貧乏だと多くのことをしなければならず、多能になるということはあるかもしれん。我々の世界がコミュニケーション能力とか言うてるのも、その実、かなり細々した雑事の能力である。現代人は雑事に追われるようになった。なにか到達点が見えない雑事である。上の記述だけだと、鄙事というのが、どの程度それ自体で完結性をみることができたのかわからない。例えば、種を植えて収穫することだって鄙事の一種だろうが、これは完結しているし、家の前を掃除することだって完結している。鶏を育てることだってそうだろう。しかし、われわれのやってる事務仕事とか、ボタンを押す仕事とはなんであろうか。どちらかというと、公共性に直結してはいるが、その帰結がどうなるかはしらぬという意味で、君子の仕事に近くなっているかも知れない。むろん我々は君子ではない。

のみならず、われわれは君子以上に情報の海に溺れているから、脳みそのレベルで雑事にかまけるようになったのである。こういう状態では、一所に集中するために目的意識で縛られることを望む輩が出てくるのも当然である。しかし、当然ではあるが、それが成功するとは限らない。

そういえば、今日のロケット打ち上げ失敗のニュースをうけて、知り合いの物理学者から「ロケットにメーテルの絵を描いときゃ絶対成功する」というメールが来たので秒で破棄した。あるいは、ロケット打ち上げの専門家たちだって、本気でロケットを打ち上げて国威発揚、いやいつでも俺らも撃てるぜと言う脅し、いや国際競争に打ち勝とうとしている人間がどれだけいるか、わたくしはやや疑問である。メーテルならまだロマンティックな興奮でなんとかなりそうだが、「オネアミスの翼」みたいな、揚がることが目的化したあやふやな動機では人は一生懸命にならないのではないだろうか。ロケット打ち上げはまた不能だったらしいので、ちょっくら近くの神社いって砲弾の形の日露戦争の時のあれを拝んできたわたくしほど集中力に欠けているとは思わないが、わたくしは同時代性というものはあると思う。同業者でこの言葉を使うやつはだいたいまずい人だけれども。

というか――、どうしてもわたくしは小さい頃?かどうかわすれたが「ロケットばびゅーん」という歌を強要された悪夢のおかげで、ロケットを飛ばそうとする作品や現実の人間は幼稚園レベルだと脊髄反射しているだけである。膨大な金をかけやがって――だいたい、論語の言葉以上に、ロケットって「役に立つ」のか?決して下ネタで言っているのではない。