季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。曰、敢問死。曰、未知生、焉知死。
鬼神や死にたいしては畏れるふりをしながら人は大概扱いやすいように扱っている。しかし、鬼神や死は我々の生の極点であって、死は生を眺め渡してしまうような地点、――いわば他人がみる自分の人生のようなものである。自分でこれを識ることは出来ないが、その直前までの自分の生は識ることが出来る。そういう明晰さが必要であって、その必要性を自覚していないのに、鬼神や死を考えてもしょうがない。――孔子はこう言っているように思われる。
われわれは、自分の生からなるべく逃げようとしている。例えば、写真が明治時代に広がっていったときに、乗り越えられたと思われたものの一つに鏡があったと思われるが、いまでもよほど鏡に移る自分の方がリアルだ。こっちの動作に合わせて動く高機能のそれは、我が姿を左右逆であるが映し出す。しかし、これを美的にゆがませて好む変態以外は、見るのがいやなものだ。
鈴木志郎康の「夢ではいつも自分が主役なのが重い」(「夢の重み」、『わたくしの幽霊』)という言葉を思い出した。こういう人は覚めていても大概主役なんだけど。しかし、夢では鏡のなかのそれのように自分がでてくることがあるのだ。それへの恐怖はわかる気がする。「わたくしの幽霊」は、そういう姿をなお言葉に置き換えて平静を保とうとする乖離したもの(幽霊)をうたっている。
夢の浅瀬を渡って
目覚め際の
名状し難い意識を
からだと共に
ゆっくりと起す
わたくしは
幽霊なのだ
思うに、ある世代にとっては、学園紛争の頃に出現した一連の詩人たちに対する複雑感情が、研究者の傾向を生み出していたような気がする。「死」を方便としてつかっているようでいやだったと言う鈴木の幽霊は、ナルシシズムのお化けにも見えたにちがいない。それへの反発と文学への憧憬が研究という着地点を持つ、持ったように見えるだけだ。それが研究への強迫を生み停滞をも生む。
いまは、そういう複雑感情すらなく、研究のキーワードを書くようになってから、キーワードがないと研究にあらずみたいな書き方が増えてきた。研究の新しさがキーワードの新しさになっている。標語みたいな結論が書いてないと読解できない者のせいで、研究がぐるぐるまわっているどころか落下している例もあり、そのかわりごくごく希に、突然大幅なジャンプも起きるようにみえる。しかし、本当にそうであろうか。