★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

遅れてきた成熟

2023-03-08 23:45:04 | 思想


子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」


漠然と考えていたのであるが、あらためて読んでみると、随分遅い発達にもみえる。現代人なんか「吾三而志于学。」である。「三十而立」とは、たしかに、学を志した人間は現代でもだいたい三十歳ぐらいにならないと学者あるいは「師」としての活動をするための準備は出来ないから――独り立ち出来なかったとも言いうるかもしれない(食べるための労働はずっと年少から行っていたはずだ)。すると、十五歳に学問をやろうとしたというのは、たとえば中学ぐらいにわたくしが文学や音楽を志したのと一緒であり、つまりこの学というのはもともと主体的な学問の謂で、学校教育のことではないのであろう。孔子がエライのは四十以降である。四十で不惑というのがすごい。――いや、そうでもないか、たいがい四十ぐらいで確かに迷いはなくなってくるものだ、そして傍から見ているとおかしくなってくるのである。五十の天命を知るというのはもう限界が見えて来るという意味で主観的にはあたっているが、それが「天命」であると自覚されるというのは一握りにしか許されない思い上がりであって、人文系でもその一握りはたぶん国に数人と言ったところだ。しかし主観的にそう思っている人ははずっと多い。だからこの五十の状態も主観と客観のどちらとも言い切れぬ。たしかに、この頃まではまだもろもろの欲望が我々の目を曇らせる。

いまちゃんと注釈をみていないからなんともいえないが、「六十而耳順」というのが、考えてみるとすごくて、孔子は、六十歳になるまで人の言うことを素直に聞けなかったのだ。遅い、遅すぎる。いや、そうともいえないかもしれない。現代人など、小学生の頃から友達の意見が聞けてよかったですとか嘘をつき続けることをコミュニケーション能力とか言っている。かえって六十歳になってここまで成熟したのは奇蹟なのかもしれない。大概の人は六十歳になったらほとんど人の言うことをきかなくなるばかりか、下手すると実際によく聞こえなくなってくるからだ。「十而従心所欲、不踰矩」というのもけっこうすごい。すなわち、孔子は、七十歳になるまで心に欲することを行うといつも規則とか常識を越えてしまう不良だったのである。

思うに、不惑の段階のすぎてからコミュ力がついたり不良でなくなるようなすごくゆっくり成長する性悪のせいか、孔子は自分の人生を十年ごとに区切って説明出来たりするのだ。修行というのはたいがい十五年はかかるから、十五から三十のジャンプは仕方がないが、このひと、十五まではどういう人間だったのであろう。父親が農民で母親が宗教者であったというが、いわばいまでいう「宗教二世」なのである。いまの宗教とは違うだろうが、大して違わない側面だってあるに違いない。我々現代人のひとつの特徴は、親の狂気をスプリングボードにして、更なる高みに登ることができずに、せいぜいいきなり「六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」の境地に達しがちということだ。

われわれの学問は、孔子のものといっしょで、政治的、というより、政治に関わる「意味」を形成することを大きな特徴としている。ずっと人文学はそれゆえ人間的な復興にかかわったし革命に携わったのである。それ以外は、わたくしの先祖のような職人である。