子曰。後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已。
むかし読んだ時には、若者を擁護するせりふだと思っていたが、そんなことはない。たぶん、一見したところ、大したことのない奴の悪口を弟子たちが言って居たのであろう。そりゃそうだけれども、やつもどう育ちあがるか分からない、われわれよりも優れているかも知れない。まあ40,50になったときが見物だね、そのときに大したことがなければ本当に恐るるに足らずだよ、と。確かに、孔子も政治の世界で活躍するのは天命を知った辺りからであった(就職したから天命を知ったのか?)らしい。人が能力を発揮できる時期や状況がいつやってくるか分からない程度のことを、ついわれわれは目の前の人間を恐怖して忘れてしまうのである。
WBCで若者達が世界一になった。後生畏るべし、どころではなく、スポーツとかファッションとかロクンロールが世界を制してから、後生はすぐ旧世代を追い抜くようになった。これはいつも起きるというより、特異体質や天才が現れる確率の問題である。王→落合→イチロー→大谷とだいたい20年ごとぐらいではなかろうか。確率の問題であるからそれは逆に法則的にみえる。しかし、後生畏るべし、は単なる人間に対する見え方の真理であって、孔子の言っているように、大したやつかも知れないしそうでないかもしれないが、それは中年以降になってまあだいたいのところは分かるに過ぎない。孔子は、我々の日常的な事柄、政治や国家に対する事柄について意味のある働きができるかどうかみたいなことについて言っているに過ぎない。我々の世界は、こういう真理を、刹那的な勝負事で忘れがちである。
しかし、わが国土では、(前にも言ったけど)マレビトがやってきて40年成果を我慢しなければならない忍苦を解放してくれることになっている。わたくしも、
WBC決勝に合わせて振替休日をとっていた
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朝まで「近代の超克」座談会を読み耽る
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快眠
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試合が終わった頃見事起床
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論理的に考えてドラゴンズ世界一
結果的に一度もwbcみてねえのであるが、中日ドラゴンズに今回の事態を合わせて考えてみるに、先ず第一に、山井と岩瀬なら完全試合でアメリカ倒せた。しかのみならず、大谷とトラウトの対決は今中と落合の対決みたいなものであろう。わたくしが心理的に抵抗しているのは、もはや、WBCは実質、大リーグの国対抗戦になっていることである。悔しいから、WBC記念に、うちの庭に着ていた3羽の雀を、大谷・村神・ヌートバーと名づけ、蛙には宇佐見りんと名づけておいた。
そういえば、わたくしのマイベスト映画と言えば「真昼の決闘」である。アメリカには、野球を教えてもらったが、同時に西部劇にでてくる「悪役」(みたいな善玉)というものも教えてもらった。そこには、ヨーロッパが忘れてしまった草原から生えてきたような人間がいた。「フィールド・オブ・ドリームス」という野球映画?にはその残り香があった。戦後のプロ野球選手にも少しそれがあった気がする。いまはどうかはわからない。