僕はお金が話したままをそっくりここに書こうと思う。頃日僕の書く物の総ては、神聖なる評論壇が、「上手な落語のようだ」と云う紋切形の一言で褒めてくれることになっているが、若し今度も同じマンション・オノレエルを頂戴したら、それをそっくりお金にお祝儀に遣れば好いことになる。
――鷗外「心中」
文学やなにやらが、他のジャンルとどのような関係にあるのかはいつもの研究のテーマである。上の「上手な落語のようだ」が紋切り型であるゆえんである。
そういうテーマが重要な理由のひとつは、作家の営為が、たいがい三つぐらいのジャンルを往還しながらのものであるからである。大きい思想家だと、それは学問のジャンルの同時進行や往還となるが、そこまでいかなくても個人はいつも複数のことを行っている。
今日は、「ゴジラ」の原作者である香山滋の全集を眺めていたのだが、彼はよく知られているように短歌出身の作家であり、晩年に短歌集まで出版し、短歌の世界に帰りたいとも言っていた。香山は、白秋門下の筏井嘉一の周辺にいた。筏井は白秋から離れモダニズム短歌に進んだ。このあたりはほとんど勉強したことがないのだが。。。
数たのむ敵 B29わが屋根のうえ行きたり憎さも憎し
空爆に群衆ひしめくときのまも蝶蛾やさしくうまれつつあり
短かる若さうばいてあだいくさ十年けみしつわれ老けにけり
みんなみの山の奥蟹取り果ててかいなく死にし友やいくたり
北溟のとぼしき海藻漁りつくしかいなく死にし友やいくたり
最後の3首は敗戦の時のものであった。わたしは必ずしも、彼の戦時中の歌が紋切り型で罪がないとは思わないし、小動物にたいする関心が怪獣に繋がるともおもわないが、――むしろ、「われ老けにけり」という感慨の方は重要だと思う。この無駄に老けた世代の活躍には注目すべきだ。第二の青春世代よりも重要だ。この世代の罪とふんばりを無視するから、アプレが若い者の記憶として単純化されたのである。