大将、院に参り給へるに、「古き所、めづらかなるさまに、楼など造るべかなるは、いかなることあるぞ。男ども、『いとをかし』などとこそ言ふめれ」とのたまはすれば、「なんでふことも侍らず。 いぬ宮の、静かなる所に侍れば、かしこにて習ひ給ふべきなり。 尚侍、 『今は、 やうやう身篤しく侍るに、この手伝へとどめむこと、今は、誰にかは』と侍るを、昔のやうにも侍らざめれば、仲忠、朝廷に暇賜はりて、心静かにてものし待らむ」と奏し給へば、いと御気色よろしくて、「げに、さるべきことなり。それこそは、いと便なきことにはあなれ
仲忠はいぬ宮への秘琴伝授を思い立つ。ここには仲忠と朱雀院の対話があるが、そこには、殿上の男たちや尚侍の言葉が含まれている。これは言葉の連結かいなか?それを決めるのは「物語」の大きな流れである。
教員の研修とか何やらには、やたら連携連携と煩わしいが、大きい思想がないのに、いろんな人間の知恵にその都度頼ろうとしてもうまく行かないのは当然で、それが認められないから当為だけをがなり立てることになる。難しい具体的な問題があるときほど、やたら連携が叫ばれるのは、連携をしても大概うまくいかず、にもかかわらず、誰かが頑張った実績だけは発生する。責任転嫁の言い換えとしての連携による虚の業績は、むかしは「全体主義」といっていたあれである。そこにはその実「全体」がないのだ。経済政策的な全体主義は、ただの大量動員である。文化的核みたいなものが存在していないと本当の「全体」は現れない。それはまだ「流れ」みたいに言った方が誤解を生まないような気もする。
教員採用で、なにゆえ採用に落ちた人間が講師になって大量に赴任しているのか。落ちた人間が将来的に有能であるという確証は持てないけれどもまあそこそこである、という前提はいつも、いつまでも通用するのか。通用するわけがない。それこそ、人間の多様性を本当は見ることをしたがらない教育界の弱点が能く現れた政策である。――というより、我々は教育で何を教えるかという、内容的な目標を失っているのであろう。当然、人間の文化を教えているのであるから、それこそ教える量はそこそこでよいが、かならず網羅的でなければならない。ここに、個人の好みや要求みたいな文化的にみれば極めて「部分」的な観点が目的化しすぎて「全体」が分からなくなったのである。だから小市民的要求というのはいつも駄目なのだ。
本当に教員が足りないのかどうかはしらない。が、仮にそうだとして、それを改善するのに給与も確かに問題だが、精神的な自由が保障されていない職場にまともな頭脳がわざわざいくであろうか。もっとも、その精神的な自由がどのようなものか多くの優秀な頭脳にも分からなくなっていることは問題である。精神的な自由は、その実、個人の欲望みたいなものを撥ね付ける自由=文化的持続性の保持を前提にするものだ。外圧が同調圧力となって襲う日本の「自由」はどちらかというと伝統への束縛という側面を持つのである。
確かに、べつにアフリカでもインドでもどこでもいいのだが、――我々につながっていることが必要だ。わたくしはその意味で、どこだかに行って天から受けた琴の天才となって帰ってくる人間から描き始める宇津保物語がわりと好きである。一方、地上的・宮中的に輝く、源氏物語は、一貫した流麗なテンションのわりにきちんと巻ごとの統一性もあって、すごく言い方がわるいんだけど、頭の悪い女房にもわかったんじゃないかと思うのだ。あの単位ならなんとか理解出来る。日記文学がむかしから流行ってんのも日ごとに別れてるからだ。その点、宇津保は話がずっとひとつなのでわかりにくい。血のつながりと求婚物語と立坊争いでとにかく話を持たせようとし、最後に琴がやっぱり回帰してくる。色好みのとっかえひっかえの非連続的連続性でおしてゆく源氏のほうがなんとなくわかりやすい。宇津保物語から好色一代男は出てこないけど源氏からは出てくる。源氏への憧れが私小説的な更級日記みたいなものとなり、物語は心理的に隘路に陥り「夜半の寝覚」はなんだかうまくいかないという。。源氏物語は一種の「作家の誕生」だったんだろうと思う。それは「流れ」の止揚であり、滅びのはじまりである。
うちの庭の雑草のほうが光源氏よりも繁殖力が強いといへよう。わたくしは雑草の味方でいたいのであろう。雑草は生の「流れ」のうちにある。
むかしピアノの先生に、次のメロディーに会いに行くようにいまのメロデイーを弾くんだと言っていたが、そういうことはいろんな場面に見出される。
佐助痛くはなかったかと春琴が云ったいいえ痛いことはござりませなんだお師匠様の大難に比べましたらこれしきのことが何でござりましょうあの晩曲者が忍び入り辛き目をおさせ申したのを知らずに睡っておりましたのは返す返すも私の不調法毎夜お次の間に寝させて戴くのはこう云う時の用心でござりますのにこのような大事を惹き起しお師匠様を苦しめて自分が無事でおりましては何としても心が済まず罰が当ってくれたらよいと存じましてなにとぞわたくしにも災難をお授け下さりませこうしていては申訳の道が立ちませぬと御霊様に祈願をかけ朝夕拝んでおりました効があって有難や望みが叶い今朝起きましたらこの通り両眼が潰れておりました定めし神様も私の志を憐れみ願いを聞き届けて下すったのでござりましょうお師匠様お師匠様私にはお師匠様のお変りなされたお姿は見えませぬ今も見えておりますのは三十年来眼の底に沁みついたあのなつかしいお顔ばかりでござりますなにとぞ今まで通りお心置きのうお側に使って下さりませ俄盲目の悲しさには立ち居も儘ならずご用を勤めますのにもたどたどしゅうござりましょうがせめて御身の周りのお世話だけは人手を借りとうござりませぬと、春琴の顔のありかと思われる仄白い円光の射して来る方へ盲いた眼を向けるとよくも決心してくれました嬉しゅう思うぞえ、私は誰の恨みを受けてこのような目に遭うたのか知れぬがほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外の人には見られてもお前にだけは見られとうないそれをようこそ察してくれました。あ、あり難うござりますそのお言葉を伺いました嬉しさは両眼を失うたぐらいには換えられませぬお師匠様や私を悲嘆に暮れさせ不仕合わせな目に遭わせようとした奴はどこの何者か存じませぬがお師匠様のお顔を変えて私を困らしてやると云うなら私はそれを見ないばかりでござります私さえ目しいになりましたらお師匠様のご災難は無かったのも同然、せっかくの悪企みも水の泡になり定めし其奴は案に相違していることでござりましょうほんに私は不仕合わせどころかこの上もなく仕合わせでござります卑怯な奴の裏を掻き鼻をあかしてやったかと思えば胸がすくようでござります佐助もう何も云やんなと盲人の師弟相擁して泣いた
例えば、「春琴抄」は句点の省略で先の文にはみ出して読まれてしまうので、読者にとってその文章は行きつ戻りつ波のように進んで行く。この語りは春琴でも佐助でも語り手の者でもない。ここでジェンダー的な分割は難しい。大江も句点を読点に変えたりする。明治時代では句読点の扱いは試行錯誤でいろいろあったしね。。