★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

表現と羞恥心

2020-12-16 23:32:55 | 文学


  身のうさは人しも告じあふ坂の夕づけ鳥よ秋も暮れぬと
かくよめれども、国あまた隔ぬれば、いひおくるべき伝もなし。世の中騒がしきにつれて、人の心も恐ろしくなりにたり。適間とふらふ人も、宮木がかたちの愛たきを見ては、さまざまにすかしいざなへども、三貞の賢き操を守りて、つらくもてなし、後は戸を閉て見えざりけり。


上の歌は好きである。歌はやはり他人に届けようとして届かないような勢いが必要だと思う。この性格を失っているラブレターとしての歌は我々がやっているラインみたいなもので、ほとんど「表現」じゃないのではないか。上の歌の場合、告げること自体が自分ではなくなっている。しかし自分が告げている。――こういう関係は、切羽詰まった表現によくあるのではないか。もっとも、それには羞恥心がともなう。

「でも、もしどこかいたんでいやしないかしら。」
 というなり、箱の中の羽衣を手に取りました。そしておかあさんが「おや。」と止めるひまもないうちに、手ばやく羽衣を着ると、そのまますうっと上へ舞い上がりました。
「ああ、あれあれ。」
 と、おかあさんは両手をひろげてつかまえようとしました。その間に少女の姿は、もう高く高く空の上へ上がっていって、やがて見えなくなりました。


――楠山正雄「白い鳥」


羞恥心をとりさるためには、物語で理屈づけるということも必要になってくる。そして、大概、そのときの鳥はどこかに飛び去ってしまう。

陰魂百里を来る

2020-12-14 21:28:30 | 文学


「兄長今夜菊花の約に特来る。酒肴をもて迎ふるに、再三辞給ふうて云ふ。しかじかのやうにて約に背くがゆゑに、自刃に伏て陰魂百里を来るといひて見えずなりぬ。それ故にこそは母の眠をも驚かしたてまつれ。只々赦し給へ」と潸然と哭入るを、老母いふ。「『牢裏に繋がるる人は夢にも赦さるるを見え、渇するものは夢に漿水を飲む』といへり。汝も又さる類にやあらん。よく心を静むべし」とあれども、左門頭を揺て、「まことに夢の正なきにあらず。兄長はここもとにこそありつれ」と、又声を放て哭倒る。老母も今は疑はず、相呼て其の夜は哭あかしぬ。

老母の論理の方が、われわれにはしっくりくる。まるで、透谷の「楚囚之詩」や埴谷雄高みたいなことを言っているからだ。しかし。左門はそれを否定する。これから左門は行動にでる。

つまり、夢か現かみたいなものが迷いとしてあらわれるのではなく、確かに義兄弟の姿があったのだからそれに従わなければならぬという、行動の原理がまだこの時点ではあったのであった。逆に言えば、夢か現かというわからないものこそが、その義兄弟の実在性の証拠なのである。

洞窟の中の夢は、芥川龍之介のように刹那の何かにしかならない。透谷と芥川龍之介がともに自殺し、安吾をトンネルの向こう側の人だと言った三島も腹を斬った。これは偶然とは思われない。彼らの脳裏には、花火が打ち上がっていた。

時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。


――梶井基次郎「檸檬」


梶井が檸檬の爆発への道を歩かないためには、「陰魂百里を来る」根性で――京都から仙台に実際に魂を飛ばしてロマンスでも体験すればよかったのかもしれない。梶井は我々と同様、リアリストであった。

友来たり

2020-12-13 23:23:17 | 文学


もしやと戸の外に出でて見れば、銀河影きえぎえに、氷輪我のみを照して淋しきに、軒守る犬の吼る声すみわたり、浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり。月の光も山の際に陰くなれば、今はとて戸を閉て入らんとするに、ただ看、おぼろなる黒影の中にありて、風の随來るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。躍り上がるここちして、「小弟疾くより待ちて今にいたりぬる。盟たがはで来り給ふことのうれしさよ。いざ入らせ給へ」といふめれど、只点頭て物をもいはである。[…]左門云ふ。「既に夜を続て来し給ふに、心も倦足も労れ給ふべし。幸に一杯を酌て歇息給へ」とて、酒をあたため、下物を列ねてすすむるに、赤穴袖をもて面を掩ひ其の臭ひを嫌放るに似たり。左門いふ。「井臼の力はた款すに足ざれども、己が心なり。いやしみ給ふことなかれ」。赤穴猶答へもせで、長嘘をつぎつつ、しばししていふ。「賢弟が信ある饗応をなどいなむべきことわりやあらん。欺くに詞なければ、実を持て告るなり。必ずしもあやしみ給ひそ。吾は陽世の人にあらず、きたなき霊のかりに形を見えつるなり」。

目の前に映るような場面である。「吾は陽世の人にあらず、きたなき霊のかりに形を見えつるなり」と言ってくれるが、「きたなき霊」というのは、どこか左門が出した食事を臭がる宗右衛門の姿を反転させたようで、ほんとうまい記述だと思う。「氷輪(月光)我のみを照して」いたのだがそれも山の陰に入ってしまった。つまり、左門も陰の人間となったのであり、宗右衛門と同様に「陽世の人にあらず」。

最近の漫画なら、左門の家の周りはもはや妖怪だらけであろう。

先日、実家から、子どもの頃聴いていた「東京子どもクラブ」のレコードが全て送られてきたが、そのなかに「ユリヤとラトス」があった。「走れメロス」として知られているお話である。小山田宗徳の素晴らしい朗読で、わたくしはまだこの録音を完全に暗記していたことに気付いたが、レコードの傷の位置まで覚えていたのだから幼児の頃の記憶というものは怖ろしいものだ。――それはともかく、友情のためにユリヤがラトスの所に駆けつける場面は、日が暮れかけて死が訪れるかと思いきや、そうではない。黄昏はむしろお祭り騒ぎの生の出現する場所である。これに比べて、上の話は同じ友情の話なのに、友人が死んであらわれる。

どうも、我々は、生きて会っているとそのまま喧嘩わかれしやしないかと思って、ずるずると会わずにいると、知らないうちに相手が死んでしまうことが多すぎるような気がする。私は親とか家族より友とはやく会っておいたほうがよいと思うのだ。最近は、友とはオンラインですまし、宗教的習慣に過ぎないような親と逢瀬を強制する向きもあるが、まったく間違っておるぞ。

そもそも我々は、親と友の区別が曖昧である。友と結びつきは、何か俗世でないものによってインパーソナルなものとして結びつけられていなければならない。家族にやたら頼るようになったことと、日本で社会と政治が成立しなくなったことはまったく同じ事態を示しているのである。

老母云ふ

2020-12-12 23:17:02 | 文学


九日はいつもより疾く起出て、草の屋の席をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶に挿、嚢をかたふけて酒飯の設をす。老母云ふ。「かの八雲たつ国は山陰の果にありて、ここには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の来しを見ても物すとも遅からじ」。左門云ふ。「赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ。其の人を見てあわたたしからんは思はんことの恥かし」とて、美酒を沽ひ、鮮魚を宰て厨に備ふ。

「菊花の約」の一節であるが、老母の役割というのは「蜻蛉日記」のお母さんとは対照的で、合理的に見える。わたしの二人の祖母を思い返しても、――肝心なときの合理性を教えてくれるのは祖母という記憶がある。少し東浩紀氏の『ゲンロン戦記』というのを読んだが、氏が言論のプラットフォームをつくってきた苦労話みたいな本であった。そこで、氏は、組織がどのようなものによって支えられているのか思い知ったようなエピソードを連ねている。これは、東氏へのインタビューを構成した本で、東氏特有のねちっこく少し気取った文体は薄まっている。氏はそのようなものを捨ててしまったのだ。組織を支えるものはそういうものではなく、もっと目立たない「其の来しを見ても物すとも遅からじ」といったような判断の適切性なのである。それはある場合には間違っているかも知れないが、そのような判断がない組織は崩壊する。

わたしは、「批評空間」でのシンポジウムでの東氏の孤立ぶりを目撃して以来、この能力のある人はかなり廻り道をするぞと、生意気にも思い、――何が批評にとって実現可能なのかといえば、教師という道しかあるまいと自己合理化を図っていたわけである。しかし、大学は予想を超えておかしなところに行ってしまった。東氏もどこかで、学生とのコミュニケーションの方法を命令されているような大学では学生にまともな教育をするなんて無理、みたいなことを言っていたような気がする。もっとも、私は、「砂の女」の主人公の結末のように、穴の中にとどまることこそ上の老婆のような役目である可能性でもあると思ったのだ。

「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
 老婆は、大体こんな意味の事を云った。


――芥川龍之介「羅生門」


思い返してみると、ここでも下人を諭したのは老婆であった。女が男がという話は好きじゃないが、コロナでずぶずぶに滅びつつあるように思われる我が国に、よい意味で老婆や老母のような存在がおらず、半端な自尊心の保持に躍起になっている爺達ばかりが物事を決定しているのはまずいのだ。非常にまずいと言わざるを得ないが、――若者がおとなしくへいこらしているのもよくない。

よしや君昔の玉の床とても

2020-12-11 23:31:54 | 文学


  よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん
刹利も須陀もかはらぬものをと心あまりて高らかに吟ひける 此ことばを聞しめして感でさせ給ふやうなりしが御面も和らぎ陰火もややうすく消えゆくほどにつひに龍体もかきけちたる如く見えずなれば化鳥もいづちゆきけん跡もなく十日あまりの月は峰にかくれて木のくれやみのあやなきに夢路にやすらふが如し


西行の和歌によって出現したようにみえる崇徳院は、西行の和歌によってどこかに消えてゆく。近代小説なら、これは西行の主観が作り出した虚像か何かのように描きかねない。しかし、魔道に墜ちた崇徳院は実在する。西行の歌如きで消えてしまったりはしないのだ。だから、このあと、朝が来てもお経を読み続ける西行であった。わたしは今回、白峯を読み直して断然、西行の理屈は理屈にすぎず、つくづく怨みを晴らす思想的なしくみを我が国は失敗してきたのだと思わざるを得なかった。そもそも、古事記の時代から、歌に頼りすぎなのである。ヤマトタケルも歌で葬送された。ヤマトタケルへの罪と罰を物語で葬送しなければならなかったはずなのに――。

するとさむらいが、すらりと刀をぬいて、お母さんと子どもたちのまえにやってきました。
 お母さんはまっさおになって、子どもたちをかばいました。いねむりのじゃまをした子どもたちを、さむらいがきりころすと思ったのです。
「飴だまを出せ。」
とさむらいはいいました。
 お母さんはおそるおそる飴だまをさしだしました。
 さむらいはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。
 そして、
「そオれ。」
とふたりの子どもにわけてやりました。
 それから、またもとのところにかえって、こっくりこっくりねむりはじめました。


――新美南吉「飴だま」


さむらいが玉を真っ二つにするところなんか、玉を様々に大事にしてきた古典の世界を一刀両断にするようで面白い。

人道を持て因果に引入れ

2020-12-10 22:14:36 | 文学


汝家を出でて仏に婬し、未来解脱の利欲を願ふ心より、人道を持て因果に引入れ、堯舜のをしへを釈門に混じて朕に説くや」と、御声あららかに告せ給ふ。

崇徳院は顔色を変えて反論する。周王朝のはじまりのように、天に応じ民に従う場合は臣下が君主を討つのは当然なのだ。そりゃ経緯はあったよ、でも私欲によるものではない。お前は煩悩からの解放ばっかりを願うような仏道に入れあげておるからそういう「因果」が見えてしまうのだ、堯舜の教えと釈門のそれを混ぜるんじゃない、と。

これは鋭いと思う。いまだって、このように、私欲を前提にして世界を解釈しているものは多いが、――崇徳院のように生き地獄に落ちなければなかなかその形式論理性は分からないものなのだ。

尤も、かような祟は多くは偶然の出来事のように見えるものである。だから、天罰とか神罰とか言われるのであるが、ポアンカレーの言うように、偶然というものは、実は原因を見つけることの出来ぬ程複雑な「必然」と見做すのが至当であって、怪談や因果噺の中にあらわれる偶然を、私はむしろ、この「複雑な必然」として解釈したいと思うのである。これから記述しようとする物語も、やはり同様に解釈さるべき性質のものであろうと思う。

――小酒井不木「血の坏」


ポアンカレが何を言っているのかともかく、近代になると、その仏教的因果は形を変えて法律を相携えて人を攻撃する仕組みとなってしまった。崇徳院のような人物が大きいと思われるのは、私欲や妄念の大きさそのものの問題ではなく、その行為に繋がるものを因果ではなく感情と一続きのものとみることによってである。

真説・崇徳院

2020-12-09 23:21:53 | 文学


新院呵々と笑はせ給ひ、「汝しらず、近来の世の乱れは朕なすこと事なり。生てありし日より魔道にこころざしをかたふけて、平治の乱れを発さしめ、死て猶、朝家に祟をなす。見よみよ、やがて天が下に大乱を生ぜしめん」といふ。西行此の詔に涙をとどめて、「こは浅ましき御こころばへをうけ給はるものかな。君はもとよりも聡明の聞えましませば、王道のことわりはあきらめさせ給ふ。こころみに討ね請すべし。そも保元の御謀叛は天の神の教給ふことわりにも違はじとておぼし立たせ給ふか。又みづからの人欲より計策給ふか。詳に告せ給へ」と奏す。

四国にやってきてそういえば崇徳院が流されたところであるなと気がつくのが遅かった。考えてみると、わたくしも木曽から流れてきておるぞ……。

それにしても、平治の乱はおれの為業だ、やがて大乱を起こしてみせようぞガハハハともはや、公家的なるものの欠片も残っていないようである。で、西行もちょっと生まれに問題ありそうなお方であるから、つい「これは浅ましいことを言われる」といきなり不敬罪で流罪というレベルの爆弾発言。しかしもうここまで勝手に流れてきている西行であるからいいのである。「あなた様はご聡明なお方であるはず」と言っても遅い。というか、我々教師は、学生を叱るときに「お前は出来るはず」とかどうしようもない嘘をはくことがあり、西行もその類いであろう。「で、ききたいんだけど、この屁みたいなレポートはなんですか、不可になりたいんですか?」みたいな口調で、「保元の乱は、神の道理にしたがったのですか、自分の私欲でやったんですか。」という愚問を放つ西行。そんな二項対立なわけないだろがっ

 さて為朝は一日も早くおとうさんを窮屈なおしこめから出してあげたいと思って、急いで都に上りました。ところが上ってみておどろいたことには、都の中はざわざわ物騒がしくって、今に戦争がはじまるのだといって、人民たちはみんなうろたえて右に左に逃げ廻っていました。どうしたのだろうと思って聞くと、なんでも今の天子さまの後白河天皇さまと、とうにお位をおすべりになって新院とおよばれになった先の天子さまの崇徳院さまとの間に行きちがいができて、敵味方に別れて戦争をなさろうというのでした。朝廷が二派に分かれたものですから、自然おそばの武士たちの仲間も二派に分かれました。そして、後白河天皇の方へは源義朝だの平清盛だの、源三位頼政だのという、そのころ一ばん名高い大将たちが残らずお味方に上がりましたから、新院の方でも負けずに強い大将たちをお集めになるつもりで、まずおとがめをうけて押しこめられている六条判官為義の罪をゆるして、味方の大将軍になさいました。為義はもう七十の上を出た年寄りのことでもあり、天子さま同士のお争いでは、どちらのお身方をしてもぐあいが悪いと思って、
「わたくしはこのまま引き籠っていとうございます。」
 といって、はじめはお断りを申し上げたのですが、どうしてもお聞き入れにならないので、しかたなしに長男の義朝をのけた外の子供たちを残らず連れて、新院の御所に上がることになりました。


――楠山正雄「鎮西八郎」


思うに、崇徳院の乱は、西行が神か私欲かみたいな地上に這いつくばった解釈とは違い、引きこもり解放運動であったのである。

自ら以て杜撰と為す

2020-12-08 23:28:18 | 文学


羅子は水滸を撰し、而して三世唖児を生み、紫媛は源語を著し、而して一旦悪趣に堕つる者、蓋し業を為すことの迫る所耳。然り而して其の文を観るに、各々奇態を奮ひ、あん哢真に迫り、低昂宛転、読者の心気をして洞越たらしむる也。事実を千古に鑑せらるべし。余適鼓腹の閑話有り、口を衝きて吐き出すに、雉鳴き竜戦ふ。自ら以て杜撰と為す。即ち適読する者、固より当に信と謂はざるべき也。豈醜唇平鼻の報を求む可けん哉


水滸伝や源氏物語の作者たちは時代によっては罰を受けている人たちであった。人々を文で惑わしたからである。羅漢中の子孫は口がきけなかった。紫式部は地獄に墜ちた。で、わたしも彼らと同じようにはき出してみたい話があるんだが、我ながら杜撰、出鱈目だ。だから私の話が人々を惑わすはずがない。唇や鼻がかけるわけがない。――というのだが、この人、上田秋成は、剪枝畸人と称している。痘瘡で指が短かったのだ。

もともと地獄に墜ちているのだから、もう奇怪な話を繰り出す自分はなんということもない。――こういう人がこの物語の作者だった。

高校の時は、こんなことにすら気がついていなかった私は、化け物話をしてきた先人達がどういう境遇であったのか想像せざるを得ない。

またこんな事を考える、科学教育はやはり昔の化け物教育のごとくすべきものではないか。 法律の条文を暗記させるように教え込むべきものではなくて、自然の不思議への憧憬を吹き込む事が第一義ではあるまいか。 これには教育者自身が常にこの不思議を体験している事が必要である。 既得の知識を繰り返して受け売りするだけでは不十分である。 宗教的体験の少ない宗教家の説教で聴衆の中の宗教家を呼びさます事はまれであると同じようなものであるまいか。
 こんな事を考えるのはあるいは自分の子供の時に受けた「化け物教育」の薬がきき過ぎて、せっかく受けたオーソドックスの科学教育を自分の「お化け鏡」の曲面に映して見ているためかもしれない。 そうだとすればこの一編は一つの懺悔録のようなものであるかもしれない。 これは読者の判断に任せるほかにない。


――寺田寅彦「化け物の進化」


化け物話は、人の心を伝えるだけではない。科学の基なのである。PDCAだかなんだかでなにも出てこないのは当たり前なのだ。

とまれかくまれ疾くやりてむ

2020-12-07 22:28:50 | 文学


  うまれしもかへらぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ
とぞいへる。猶あかずやあらむ、またかくなむ、
  見し人の松のちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや
わすれがたくくちをしきことおほかれどえつくさず。とまれかくまれ疾くやりてむ。


土佐日記の、風が吹いたのでお休みみたいな長々とした日記は、この最後の瞬間のためにあった。風と海に揺れてふわふわしていた心理は、京都の荒れ果てた家に帰ってみると、怖ろしく動かないものへと心を動かす。土佐で亡くした娘のことが心理の揺れがなくなると襲いかかるものであった。語り手は、こんな思いは書き尽くせるものではない、こんな駄文は破り捨てる、と言って日記をオシマイにしてしまう。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。


――中原中也「春日狂想」


近代の表現は、坂口安吾ではないが、堕落しようとする。振れ幅を大きくして、愛する者が死ぬと自殺だと言ってしまう。しかし、揺れ幅が大きいほど、それが帰ってくる幅も大きい。ほんとうは、土佐日記のように破り捨てるだけでよいのかも知れないのだ。自殺は過剰な和解を要求する。

幻と推測

2020-12-06 23:43:15 | 文学


十一日。雨いささかに降りて、やみぬ。かくてさし上るに、東の方に、山の横ほれるを見て、人に問へば、「八幡の宮」といふ。これを聞きて、喜びて、人々拝み奉る。山崎の橋見ゆ。うれしきことかぎりなし。ここに、相応寺のほとりに、しばし船をとどめて、とかく定むることあり。この寺の岸ほとりに、柳多くあり。ある人、この柳の影の、川の底に映れるを見て、よめる歌、
  さざれ波寄するあやをば青柳の影の糸して織るかとぞ見る


グーグルアースで、上の舞台となった、右手に男山が見えるあたりに行ってみると、なんだこりゃこんな丘かよ、と思わないではない。確かに「山の横ほれる」という感じが正しい。で、聞いてみると山じゃなくて「八幡宮」と答えるところがいい。あくまでこれは宮なのだ。しかし宮そのものが見えたわけじゃないのかもしれない。宮は、帰ろうとする都と同じく幻に近い。下の歌は古今的歌風で、綾織物が柳とさざ波にぶつかって幻を創る。もっとも現実からはなれてるわけじゃないのだが……。

日本でも太古の社会で既に紡織の仕事をしていた。天照大神の物語は日本の古代社会には女酋長があったという事実を示しているとともに、その氏族の共同社会での女酋長の仕事の一つとして彼女は織りものをしたということが語られている。天照という女酋長が、出来上ることをたのしみにして織っていた機の上に弟でありまた良人であって乱暴もののスサノオが馬の生皮をぶっつけて、それを台なしにしてしまったのを怒って、天の岩戸――洞窟にかくれた話がつたえられている。天照大神の岩戸がくれは日蝕の物語だともいわれる。けれども、私たちに興味があるのはあのままの物語――太古の女酋長の日常の姿ではないだろうか。

――宮本百合子「衣服と婦人の生活――誰がために――」


現実から離れているというのは、ある意味でこういう発想である。ここに幻の入り込む余地はない。推測なんだから。この推測が力を生む。土佐日記の流れる感情は、案外憂鬱であった。これは歌が現実を離れないからでもあった。

父もこれを聞きて、いかがあらむ

2020-12-05 23:58:29 | 文学


かく、上る人々の中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき、到れりし国にてぞ、子生める者ども、ありあへる。人みな、船の泊まるところに、子を抱きつつ、降り乗りす。これを見て、昔の子の母、悲しきに堪えずして、
  なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るがかなしさ
といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土も、ここも、思ふことに堪へぬ時のわざとか


有名な場面だけれども、改めて読んでみると、「父もこれを聞きて、いかがあらむ」という言葉が気になる。中国でも日本でも思いに耐えられない場合に歌となってでてきてしまうのだ、という主張は分かる。しかし、「父」についてはここでは何も言っていない。父は、唐土と重ならないまでも結びつけられようとはするであろう。

思いに耐えられない場合に歌が、という主張も考えてみると誤解されている場合が多いのではなかろうか。普通は、思いを籠めるとか思いを歌にするとかいう感じで理解されているが、歌は、思いを重荷に思う場合にそれを消去する効果を持つのだ。

本居宣長の『さしいづるこの日の本の光よりこま唐土も春を知るらむ』、玉鉾百首中の歌などが落ちて結局、『しきしまのやまと心を人問はば朝日ににほふ山櫻花』が選定せられたのは、單にその場の群集心理に支配せられたといはうより、この歌の純粹性がその結論に導いたともいふことが出來るやうであつた。また宣長のこの歌が選ばれれば、眞淵の、『うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山ざくら花』や、『唐土の人に見せばやみ吉野の吉野の山の山櫻花』が選に入つてもよささうに思はれるが、『大御田のみなわも泥もかきたれてとるやさ苗は我が君の爲』の選ばれたのは、農業増産に關係ある佳作であるので、委員は互に意識してこの歌を選定したのも一見識といふべきである。

――斎藤茂吉「愛国百人一首」に関連して


ある意味で、こういう試みが、唐土を引き合い出すときの繊細さを失わせてしまった。こういうことをやっていると、我々は私や日本を持つことはできるが、父や母というものを失うような気がしてならないのだ。

歌と寒さ

2020-12-03 23:00:50 | 文学


ここに、人々のいはく、「これ、昔、名高く聞こえたるところなり。故惟高親王の御供に、故在原業平の中将の、
 世の中に絶えて桜の咲かざらば春の心はのどけからまし
といふ歌よめるところなりけり。」
 今、今日ある人、ところに似たる歌よめり。
 千代経たる松にはあれどいにしへの声の寒さは変はらざりけり
また、ある人のよめる、
 君恋ひて世を経る宿の梅の花むかしの香にぞなほにほひける
といひつつぞ、みやこの近づくを喜びつつ上る。


業平の歌に続いて歌がでる。生きとし生けるものだから歌うんじゃなく、歌があるから続けて歌うというのが、歌の本質のようにわたくしには思われる。音楽もそうなんでね。「千代経たる~」の歌の方がわたくしは業平の歌より好きだね。「春の心」より「声の寒さ」の方が物質的で…。論語が元になっているんだろうが、気にならない。つづく「君恋ひて~」は香りが匂っているというのだが、実際、その匂いは、その昔を想像してからやっと生じてくるもので、声の寒さの方が直截だと思う。「人はいさ~」をふまえているのが明らかなのでよけい時間差で想像が遅れる気がしないでもない。

冬ですね……

保吉はその遠い焚火に何か同情に似たものを感じた。が、踏切りの見えることはやはり不安には違いなかった。彼はそちらに背中を向けると、もう一度人ごみの中へ帰り出した。しかしまだ十歩と歩かないうちに、ふと赤革の手袋を一つ落していることを発見した。手袋は巻煙草に火をつける時、右の手ばかり脱いだのを持って歩いていたのだった。彼は後ろをふり返った。すると手袋はプラットフォオムの先に、手のひらを上に転がっていた。それはちょうど無言のまま、彼を呼びとめているようだった。
 保吉は霜曇りの空の下に、たった一つ取り残された赤革の手袋の心を感じた。同時に薄ら寒い世界の中にも、いつか温い日の光のほそぼそとさして来ることを感じた。


――芥川龍之介「寒さ」


「寒さ」はわたくしの好きな作品である。そういえば、芥川は「感じた」と締めている。学生のレポートによく「と感じた」「と考える」とあるのを批判するわたくしであるが、場合によっては使いようがあるのであった。――というより、学生の心は、案外この「寒さ」みたいな状態にあるとも言えるのだ。「感じる」が襲いかかってくる世界である。

さもしき人々

2020-12-02 23:35:13 | 文学


八日。なほ、川上りになづみて、鳥飼の御牧といふほとりに泊まる。今宵、船君、例の病おこりて、いたく悩む。ある人、あざらかなる物持て来たり。米して返り事す。男ども、ひそかにいふなり。「飯粒して、もつ釣る」とや。かうやうのこと、ところどころにあり。今日、節忌すれば、魚不用。


節忌だったので魚はいらなかったのであるが、と嫌みかなんかを言い放っているのであるが、国司の財産のおこぼれにあずかろうとする連中のさもしさよ。我々の文化に住み着いてしまった、貰えるんなら貰っておこうという悪い意味でのbeggar的な根性、いまはどこでもあり得るのであって、本当にうんざりする。この中にいると、どこからか金や米をぶんどってくる盗人みたいなやつが良心なんかを代表し始める。国の出すお金に群がってペコペコしているその態度も義心らしくみえてくるのだから。たしかに人助けの面を持つからそりゃそうだ。それが個人にまで縮小すると鼠小僧みたいな形象となるわけである。

かくして、予算獲得とGOTOなんとかが同じ現象であることが分からない人間とは同じ空気を吸いたくない気分であるのだが、そうはいっても、――わたくしも、学生時代はよく値引きの時間を狙ってお総菜コーナーに突撃したものであるから、あんまり人のことを言えたものではない。

先日、皇室の結婚について考えるみたいな特集が「朝日新聞」にでていて、あまりおもしろくなかったが、――学者ともとアナウンサーみたいな人が、いかにも社会科学的、人権上の正論を吐いていて、――そういうことを言いつづけることが、むしろいまの天皇制の正しい墜落を妨げているんだがな……、と思わざるを得なかった。ひとり橋田壽賀子だけが、皇室なんか関係ないけど、「ホームドラマ」なんだから自分も注目してしまいますとか、自画自賛かなんだかわけわかんない発言をしていて、結局人間の堕落に接近するつもりがあるのはこういう人だけか、と思わざるを得ない。橋田壽賀子は現代人にとっては心が真っ黒な人にみえるかもしれない。その通りである。しかし、物事をみるとどこかで聞きかじったような論理しか出てこず、いざ人とのつきあいになるとその全く面白くも何ともない人間性のためにストレスばかりが溜まってゆく我々よりはかなりましと言わざるを得ない。とはいえ、橋田氏のドラマでは、案外人物達が中途半端に堕落をやめて立身出世したりするのであるが……

米粒の中の仏様の問題になると、話は大分変ってくる。しかし研究生活などにも勉強している時と休んでいる時とが本質的に区別の出来ないものであるという見方があるとすると、米粒の中に仏様がいるというような迷信は早く打破しなくてはならないなど躍気になって主張するのも考えものである。畳の上にこぼれた米粒を拾って食べることは衛生上に危険であるとか、一粒の米を産出するに要する労力は殆んど零に近いとか、あるいはその一粒から得られる栄養価値は問題にならないという風な議論は一々もっともではあるが、あまり極端に人間の生活を衛生とか経済とか換算とかいう風に科学的にきざんで考えるのは、ある場合にはかえって本当の科学的の考え方から遠のいてしまうおそれもないでもない。もっとも経済学の原論では人間の生活の中から経済活動の方面だけを抜き出して、その経済人の生活を研究するのではまだ不十分であるという議論もあるそうであるから、何も事新しく述べ立てるほどのことでもないのであろう。

――中谷宇吉郎「米粒の中の仏様」


この人に比べれば、土佐日記の米粒の方が即物的である。中谷氏は人工雪をつくったひとだったが、たしか「雪は天から送られた手紙である」とかなんとか言っていた。文学をなめておるな。わたくしはこういうせりふが大嫌いなので、レポートでかかることを口走る学生など落第にしてしまいそうである。