★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

迷ひをも。照らさせ給ふ御誓ひ

2021-09-15 22:46:16 | 文学


シテ 「暁毎の閼伽の水。あかつき毎乃閼伽の水。月も心や澄ますらん
シテ 「さなきだに物の淋しき秋の夜乃。人目稀なる古寺乃。庭の松風更け過ぎて。月も傾く軒端の草。忘れて過ぎし古を。忍ぶ顔にて何時までか待つ事なくて存へん。げに何事も。思ひ出の。人にハ殘る。世の中かな
シテ 「たゞ何時となく一筋に頼む佛の御手の糸導き給へ法乃聲
シテ 「迷ひをも。照らさせ給ふ御誓ひ。照らさせ給ふ御誓ひ。げにもと見えて有明の。行方ハ西乃山なれど眺めハ四方乃秋の空。松の聲のみ聞ゆれども。嵐は何處とも。定めなき世の夢心。何乃音にか覚めてまし。何乃音にか覚めてまし


ここで出てくる縋る対象としての仏の教えというのは内面化はされているのかも知れないが、心の外部にはある。例えば、大学とか大学院のときに、学問的問題は自分にあるんじゃなくて他人と自分の共有物にあるんだと納得し、どうにか書けるようになる人が多い。ここでいう共通物は、仏教のようなものである。仏教を対象物として問題と見做すわけである。そのことによって、学問は対象物となる。が、そこで決定的なことを欠落させる人も多い。

研究計画が審査されるシステムが一般化すると何がだめかというと、研究した結果・帰趨ではなく、研究課題を認めるか否かみたいな課題が優先されているからだ。(という穏やかな問題ではなく、お金を使えるかどうかを判定されるので研究が社会に存在出来るかという問題になってしまっている)しかし、研究は出発点には存在せずプロセスの後にだけ存在する。社会に存在するのはそっちであるにもかかわらず、研究テーマだけで存在の可否を決めているのだ。我々の社会が、宣誓とか決意表明とか、小学生中学生がもつ「将来の夢」には喝采を送りながら、その後人生については社会への馴致を要求しているだけで、勢い社会が崩壊していっているのとまったく同じ情況である。無能な教師が、生徒が勝手に勉強するのを嫌い、自分に懐くことを喜ぶのと一緒で、――よく言われることであるが、社会全体が教室化している。

そういえば、こんど自民党の総裁選に出るお方が、「みんなが自分のあこがれ、幸せ、なりたいものを目指して手を前に伸ばそうと努力する国を作りたい」といった発言をしていたようだが、これが上記と同じ構造をしているのは自明である。こんな国は地獄である。そもそも生きてゆくための目標とか夢とかに向かって生きている人がいたとしたら、その人はほぼロボットだ。生きることは真の問題を解くことに近く、研究の目当てとか夢のようなものに引き摺られてゆくものではない。せめて、大学生になったら、夢から問題にシフトすべきだと思う。

その問題とは、「たゞ何時となく一筋に頼む佛の御手の糸導き給へ法乃聲」のあとにつづく、迷いの世界のことではない。仏にすがることと、この迷いの風の世界の両方の関係を考えることである。つまり、置き去られた自分の問題に回帰することである。

月清し、星白し、
霜深し、夜寒し、
家貧し、友尠し、
歳尽て人帰らず、

思は走る西の海
涙は凍る威海湾
南の島に船出せし
恋しき人の迹ゆかし

人には春の晴衣
軍功の祝酒
我には仮りの侘住
独り手向る閼伽の水

我空ふして人は充つ
我衰へて国栄ふ
貞を冥土の夫に尽し
節を戦後の国に全ふす

月清し、星白し、
霜深し、夜寒し、
家貧し、友尠し、
歳尽きて人帰らず。


――内村鑑三「寡婦の除夜」


もっとも、世界はちゃんと外へ伸びていて、霊界だけでなく、海の外にまである。内に目を向ければ、思ったよりもひどい人間も多い。「井筒」の世界はまだロマンティックに閉じているところがあった。

これハ諸國一見の僧にて候

2021-09-14 23:04:11 | 文学


ワキ 「これハ諸國一見の僧にて候。我この程ハ南都七堂に參りて候。又これより初瀬に參らばやと存じ候。これなる寺を人に尋ねて候へば。在原寺とかや申し候程に。立ち寄り一見せばやと思ひ候
ワキ  「さてハこの在原寺ハ。いにしへ業平紀の有常の息女。夫婦住み給ひし石乃上なるべし。風吹けば沖つ白浪龍田山と詠じけんも。この所にての事なるべし
ワキ 「昔語の跡訪へば。その業平乃友とせし。紀の有常の常なき世。妹背をかけて弔はん妹背をかけて弔はん


考えてみりゃ、こういう坊さんは何故旅をしているのであろうか?東浩紀氏みたいに観光客たらんとしているのであろうか?

日本は案外歴史が長いので、過去は遠くまで伸びている。アイデンティティはたいがい何かの始まりとして意識されるから、自分が大概どうでもよくなってきた人間にとって過去はアイデンティティのありようとして見出される。自分が矮小でもなんとか許されるのが歴史である。茫洋として遠くにあるそれをひとつひとつ辿って行くために、古典を渉猟する手段があるが、それを実際の空間の中で理解できるのが旅なのである。日本はこれまた案外歴史の痕跡を意図的に残している。どれだけ意識しているのかはわからないが、歴史のなかに自分を埋め込んで死ぬための準備をずっと行ってきたのが日本なのである。

旅に出ると、そこらに古寺などが残っている。そこに業平のゆかりがある。業平などこの僧にとって関係がない。しかし関係ないからこそ観客に業平が関係づけられる。

今宵南の風吹けば
みぞれとなりて窓うてる
その黒暗のかなたより
あやしき鐘の声すなり

雪をのせたる屋根屋根や
黒き林のかなたより
かつては聞かぬその鐘の
いとあざけくもひゞきくる

そはかの松の並木なる
円通寺より鳴るらんか
はた飯豊の丘かげの
東光寺よりひゞけるや

とむらふごとくあるときは
醒ますがごとくその鐘の
汗となやみに硬ばりし
わがうつそみをうち過ぐる


――宮澤賢治「疾中」


むしろ、ここでは我々は語り手にアイデンティファイするしかない。もうこうなったら、作家がヒーローになるしかなかったのである。

因果はめぐり逢ひたり

2021-09-13 23:56:56 | 文学


後より。熊谷の次郎直実。遁さじと。追つ駆けたり
敦盛も。馬引き返し。波の打物抜いて。二打三打は打つぞと見えしが 馬の上にて。引つ組んで。波打際に。落ち重なつて。終に。討たれて失せし身の。因果はめぐり逢ひたり
敵はこれぞと討たんとするに。仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。終には共に。生まるべき、同じ蓮の蓮生法師。敵にてはなかりけり、跡弔ひて,賜び給へ、跡とむらひて賜び給へ


「仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。終には共に。生まるべき、同じ蓮の蓮生法師」とは、理屈としてはビックリするほど飛躍しているようにみえるが、法事の念仏というものはとにかくそういうものである。こういうフィクションに対する信仰はそれ自体が狂気になることもあるが、とりあえず、現世の理屈ではどうしようもなく苦痛であり逃れがたい復讐感情などを強制的に納得させるのがフィクションである。

だから、殊更、敦盛殺害の場面と、上の理屈を隣り合わせるのである。

さて引続き申上げておりまする離魂病のお話で……因果だの応報だのと申すと何だか天保度のおはなしめいて、当今のお客様に誠に向きが悪いようでげすが、今日だって因果の輪回しないという理由はないんで、なんかんと申しますると丸で御法談でも致すようで、チーン……南無阿弥陀仏といい度なり、お話がめいって参ります。と云ってこのお話を開化ぶりに申上げようと思っても中々左様はお喋りが出来ません。全体が因果という仏くさいことから組立られて世の中に出たんでげすからね。何も私が好このんで斯様なことを申すんではありません。段々とまア御辛抱遊ばして聴いて御覧じろ、成程と御合点なさるは屹度お請合申しまする。エーお若伊之助の二人は悪縁のつきぬところでござりましょうか、再び腐れ縁が結ばりますると人目を隠れては互に逢引をいたす。

――三遊亭圓朝「根岸お行の松 因果塚の由来」


科学の因果関係ではない因果を保持するところから近代文学も出発したのであろうか?

後ろの山風吹き落ちて

2021-09-12 23:50:35 | 文学


地謡 然るに平家 世を取って二十余年 真に一昔の過ぐるは夢の内なれや 寿永の秋の葉の 四方の嵐に誘はれ 散り散りになる一葉の 舟に浮き波に臥して夢にだにも帰らず 籠鳥の雲を恋ひ 帰雁列を乱るなる 空定め無き旅衣 日も重なりて年波の 立帰る春の頃 この一の谷に籠もりて 暫しはここに須磨の浦
シテ 後ろの山風吹き落ちて
地謡 野も冴え返る海際の 舟の夜と無く昼と無き 千鳥の声も我が袖も波に凋るる磯枕 海人の苫屋に共寝して 須磨人にのみ磯馴れ松の 立つるや薄煙 柴といふもの折敷きて 思ひを須磨の山里の かかる処に住まひして 須磨人となり果つる 一門の果てぞ悲しき


ここのシテが記憶に残る。

もっとも、舞台をみると、案外このシテは音の谷のようになっているが、地謡と音楽隊の案外行進にも似た流れの中に埋もれてしまう感じだ。文字だけ読むと、この場面なんか、アルヴォ・ペルトの音楽みたいなものがあっていそうなものだが、そうでもない。我々の無常観は、つねに周囲のざわめき、チャカポカした音の中にある。これは面白い感覚である。この無常観は死と隣り合わせではあるのだが、なんとなく宮仕えの慌ただしさにも似たところがある。

文化的活力は欠けていたのではない。ただ無限探求の精神、視界拡大の精神だけが、まだ目ざめなかったのである。或はそれが目ざめかかった途端に暗殺されたのである。精神的な意味における冒険心がここで萎縮した。キリスト教を恐れて遂に国を閉じるに至ったのはこの冒険心の欠如、精神的な怯懦の故である。当時の日本人がどれほどキリスト教化しようと、日本がメキシコやペルーと同じように征服されるなどということは決してあり得なかった。キリスト教化を征服の手段にするというのは、それによって国内を分裂させ、その隙に乗ずるという意味であるが、日本国内の分裂はキリスト教を待つまでもなくすでに極端に達していたのであって、隙間はポルトガル人の前に開けひろげであったのである。

――和辻哲郎「鎖国 日本の悲劇」


和辻のような見方によれば、能なんかも冒険心のなさの現れによって悲劇になりきれないのだ、ということになりかねない。

死者召喚

2021-09-11 23:45:19 | 文学


ワキ 不思議やな 余の草刈達は皆々帰り給ふに。御身一人とゞまり給ふ事。何の故にてあるやらん
して 何の故とか夕波の 声を力に来りたり。十念授けおはしませ
ワキ やすき事十念をば授け申すべし それにつけてもおことは誰そ
して 真は我は敦盛の。 ゆかりの者にて候ふなり
ワキ ゆかりと聞けばなつかしやと。
して 掌を合はせて 南無阿弥陀仏
ワキ 若我成仏十方世界
して 念仏衆生摂取不捨
地謡  捨てさせ給ふなよ。一声だにも足りぬべきに。毎日毎夜の御弔ひ。あら有難や我が名をば。申さずとても明暮に。向ひて回向し給へるその名は我と言ひ捨てゝ 姿も見えず、失せにけり 姿も見えず失せにけり


この「ゆかり」とは、敦盛そのものに目を向けさせる指し示しであるとともに、死者との繋がりを実体化させようとする言葉で、いきなり敦盛を出さないのはこの志向性と繋がりの存在こそが重要だからである。更には「なつかしや」「南無阿弥陀仏」云々ときて「捨てさせ給ふなよ」ともう「死者はしらんよ」という態度を許せなくしてしまうのである。

現代では、こういう死者との通路が難しい。目的のために人を殺しても、そんな感じがしないからである。実際に手を掛けたという肉体の感覚が、こういうものを作っている。むろん、肉体を以て相手を殺すことは自分も幾らかは死んだ感覚を受け取ることだ。その結果、死者とともに我々は生きることになる。三島由起夫に対する感覚が妙な感じがするのは、我々が彼を手に掛けた感じがするからで、――その延長に、死者とともに生きる感覚に導かれようとしている。もっとそれを強烈にやったのは連合赤軍だが、かれらの場合は、その死者がテキストとして生きていなかったのでうまくいかない。軍記物や能は、そのうまくいかなさを自覚したからこそ存在していると私には思われる。

オウム事件はすごく厭な感じがする事件でまさにあれは身内の事件というかんじだった。笑いながら自決している人間をみるようだった。9・11はなにか観念的な事件な気がした、アメリカにいたらまたちがうんだろうけれども。田島正樹氏がかつて、9・11の実行犯を主人公にした小説のようなものを書いていたが、氏がまさに思想を肉体として感じるレベルの思想家だったからであろう。海外の出来事に関してでも、こういうことが出来る人間は減り、身内のことしか肉体を感じられないところまで、我々の感覚はおかしくなっている。大量死の経験は、確かに観念されやすいというのはあるだろうが、最近は、まさに観念的な目的遂行のために、人の人生を何とも思わない人間が道徳を唱えるようになってきている。

狂った目標に従おうとするやつは論理的に狂ってると見做してよいのだろうか。死者との通路は実際言葉の文字通りの力に頼っているにせよ、まあ言葉に過ぎないから、という前提がないといけない。だからこそ、舞を踊る人間の肉体が必要で、言葉と肉体は曖昧にもたれ合っている。しかし、昨今の、「文字通りに受け取ってしまいがちの人」の中には、文学作品の文字通りの力で救われる人間がいる一方で、現実離れした狂った目標に救われる場合があるわけである(宮台氏のいう「言葉の自動機械、法の奴隷」である)。昔から指摘されていることではあるだろうが、そこで多数派に対すルサンチマンを解消しようとしたりするわけである。今後、何かの精神障害かと思っていたら、ただ狂った目標に従っている人だったという、いやこれはやはり、という議論がそこここで巻き起こるに違いない。それが、ようやく市民権を得てきた発達障害論を一気に退行させるかも知れない。

もっとも、人の精神構造の問題に帰すのが間違いのような気もするのは、――物事には反作用というものがあるということを全く知らずに、勉強すれば、支援すれば、何かすれば、なにか目的に奉仕できると思い込んでいる人が増えているからである。受験勉強じゃねえんだよ、と思うが、そのモードでずっと来ている人は多いのだ。

常識と道徳と規則、理念とかの区別が感覚的につかないことに対して、単に狂っているというべきではない。これは常に制度的なものと文化的なものとの相互的関係のなかから考える必要がある。

脇からの風流

2021-09-09 23:40:09 | 文学


ワキ「その身にも応ぜぬ業を嗜み給ふこと。返す返すも優しうこそ候らめ。
シテ「その身にも応ぜぬ業と承れども。それ優るをも羨まざれ。劣るをも賎しむなとこそ見えて候へ。その上樵歌牧笛とて。
シテ・ツレ「草刈の笛樵の歌は。歌人の詠にも作りおかれて。世に聞えたる笛竹の。不審を為させ給ひそとよ。
ワキ「げにげにこれは我ながら。愚かなりける言ひ事かな。さてさて樵歌牧笛とは。
シテ「草刈の笛。ワキ「樵の歌の。シテ「憂き世を渡る一節を。ワキ「謡ふも。シテ「舞ふも。ワキ「吹くも。シテ「遊ぶも。


このワキは何故「その身にも応ぜぬ業を嗜み給ふこと。返す返すも優しうこそ候らめ」なんて言って仕舞うのであろう。しかしワキはまさに、脇で見る人なので、見ることをはじめるためには、ちょっと問題で目の前の対象を限ってみることが重要なのである。「その身」とは何か?それに「応じない業」とはなにか?と問うことで、その身の正体へ、風流の本体へと見る人たちの意識が導かれてゆくわけである。

山路日落 滿耳者樵歌牧笛之聲
澗戸鳥歸 遮眼者竹煙松霧之色


もとになっている和漢朗詠集の一節である。考えてみると、能の場面でシテとワキがそうだそうだと盛りあがる中では、鳥たちの谷間のねぐらに帰ってゆくさまに浸ってる余裕がない。これは一種、テレビに田舎のおじさん達が出てきて田舎を語っている番組のようなもので、田舎の風景は「風景」となり実体をなくしている。で、そのうちに本当に、近代化でこのような風景はなくなっていったのである。この能が前提にしている風流なんかの本当の迫力を我々は知らないのかも知れないのだ。それは京都の街中なんかをのぞけば果てしなく広がる世界を感じさせるものであって、書き割り的な文学の描出はかえって、その果てしなさを想起させる契機に過ぎなかったのかもしれない。我々のように写真の精密描写から自然にいたろうとするのとは逆なのである。

夢の世なれば驚きて、笛の音の聞え候

2021-09-07 23:12:43 | 文学


夢の世なれば驚きて。夢の世なれば驚きて。捨つるや現なるらん
これは武蔵の国の住人。熊谷の次郎直実出家し。蓮生と申す法師にて候。さても敦盛を手に掛け申しゝ事。
余りに御傷はしく候程に。かやうの姿となりて候。又これより一の谷に下り。敦盛の御菩提を弔ひ申さばやと思ひ候
九重の。雲居を出でゝ行く月の。雲居を出でゝ行く月の。南に廻る小車の、淀山崎をうち過ぎて。昆陽の池水生田川、波こゝもとや須磨の浦、一の谷にも,着きにけり 一の谷にも着きにけり
急ぎ候程に。津の国一の谷に着きて候。実に昔の有様今のやうに思ひ出でられて候。又あの上野に当つて笛の音の聞え候。


たぶん取り返しのつかぬことをした人間というのは、いつも世を捨てればなんとかなるとおもって世を捨てるのだが、世は捨てられないという自明の理に突き当たり、そこから現実でも夢でもない心の世界が始まるのである。そこでは笛だけでなく、いろいろなものが響いているに違いない。この坊主のように笛にゆきあたるのは僥倖だ。

「ありがたの影向」を拝む

2021-09-06 21:10:36 | 文学


ありがたの影向や、ありがたの影向や、月住吉の神遊び、み影を拝むあらたさよ
シテ:げにさまざまの舞姫の、声も澄むなり住の江の、松影も映るなる、青海波とはこれやらん
地:神と君との道すぐに、都の春に行くべくは
シテ:それぞ還城楽の舞
地:さて万歳の
シテ:小忌衣
地:さす腕には、悪魔を払ひ、収むる手には、寿福を抱き、千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯々の声ぞ楽しむ、颯々の声ぞ楽しむ


われわれの世界は、かかるイメージの重なりで覆われている。これは能だから、演劇だから、物語だからと言うわけではない。因果への意識は、理不尽な出来事による他はない。それこそが心の外部をなして、対象への意識が始まるのである。

文楽へ連れてってやるとのことで、約束の時間に四ツ橋の文楽座の前へ出掛けたところ、文楽はもう三日前に千秋楽で、小屋が閉っていた。ひとけのない小屋の前でしょんぼり佇んで、あの人の来るのを待った。

――織田作之助「天衣無縫」


対象への意識は、閉まってしまった芝居小屋でたたずむような風景から始まる。現代のように、とにかく自分の席の確保したがる時代には、上演されるのは、イメージの重なりなのだ。

高砂や、この浦舟に帆をあげて

2021-09-04 21:27:01 | 文学


ワキ:高砂や、この浦舟に帆をあげて、この浦舟に帆をあげて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり。
シテ:われ見ても久しくなりぬ住吉の、岸の姫松幾代経ぬらん。睦ましと君は知らずや瑞垣の、久しき代々の神かぐら、夜の鼓の拍子を揃えて、すずしめ給へ、宮つこたち。
地謡:西の海、あをきが原の波間より、
シテ:あらわれ出でし神松の、春なれや、残んの雪の浅香潟。
シテ:梅花を折って頭に挿せば、
地謡:二月の雪、衣に落つ。


管見では、――管見では、日本文学の中でも屈指の場面で、結婚式で唸られることでも有名なところだ。そういえば、わたくしの披★宴でもうたわれてた気がするが気のせいかも知れない。しかし、二人で長寿はいいよねみたいな方便で歌われるそれも、なんというか、現代のように結構歳がいったカップルだったりする場合は何か違う意味が発生しているような気がするのも気のせいであろうか。だいたい20でケコンしたとして、二人でいる時間はうまくいって60年ぐらいだ。大した時間ではない。――というのも、高砂の時間というのは、天皇の歴史と重ねられているわけであるからして。。。歳がいったカップルの場合は、更に天皇の歴史に比べて相対的に短くなってしまうではないかっ

このまえ、上皇の歳が歴史上一番ながくなったとかいうニュースがあったが、まったく失礼な話だ。天皇や皇后は人間としての寿命は本質的ではない。――わけはないのだが、そこをあまり問題にしてしまうともはや天皇の制度をやってる意味はなくなる。昭和天皇の下血云々の大騒ぎを高校生のわたくしはよく覚えているが、天皇を生物として扱っているようじゃもうそろそろだめだと思っていた。

歴史が長い?我が国では、人間の生の短さと儚さがテーマであり続けている。これに対する無理矢理な理屈づけが天皇の歴史でもあった。人間怖ろしいのは自分の考えを結局内容として認識してしまうので、最後まで自分は正しいなと思っていながら(そして確かに正しい場合もあるのだが――)客観的に、いや植物が生えて枯れるみたいな神の視点にたつと、――正しいのに完全に終わっている可能性がある。老人大国になった我が国は、現在、そういう死んだ正しさで溢れかえっている国なのだ。正しさということはそこそこしか問題じゃないという程度のことは、思春期は確実に分かっていたはずなのに。。。人間の性なのでしょうがないと言え、愚かなことである。

それは老人の割合が多くなったことも関係あるかも知れないが、基本的には情報過多が原因だ。多くのことを知った人間は老いるのである。まさに、人生を内容として認識してしまうことによって老いるのであって、分かったような口をきいている若者も老いている。

その人間の愚かさに比べて、文化の横への伝播は、人間が地球の隅々まで言葉で歌いながら広がっていったのとおなじく素晴らしい世界だ。そういえば、ディズニーランドって行ったことないんだが、わたくしは鼠に襲われる自信があるからだ。その映像を瞥見したところ、奴らはむかしお祭りの時にわたしを襲おうとした天狗の類いのように思われる。いま改めてなんかパレードみたいなのを見たけれども、祇園祭やなにやらのだんじりとかと一緒だな。車の上で面白い人たちが踊ってるとか姿とか。で、木曽男児のワシとしては、まず神輿の類いは転がして破壊するのが基本であるからして、鼠や家鴨の車はまず横転させついで縦に転がして背後の城にぶつけるぐらいのことをしてこそ祭というもの、あとはばらばらになった神輿を担いで悲しい歌をうそぶきながら深夜本国に届けた方がいいと思うのだ。

我々は自分よりも祭の方が大事ということがちゃんと分かっている。しかし、それは、その愚かな生を正直にやってみてからちゃんと認識出来ることだ。人間よりも天皇制が大事みたいな、マークシートの試験みたいなことを言い出す人がでてくると、人間も天皇制も文化も亡びてしまうのである。

わが大君の国なれば、いつまでも君が代に

2021-09-03 22:15:48 | 文学


地:げに名を得たる松が枝の、げに名を得たる松が枝の、老木の昔あらはして、その名を名乗りたまへや
シテ、ツレ:いまは何をか包むべき、これは高砂住の江の、相生の松の精、夫婦と現じ来たりたり
地:不思議やさては名所の、松の奇特を現はして
シテ、ツレ:草木 心なけれども
地:かしこき代とて
シテ、ツレ:土も木も
地:わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にまづ行きて、あれにて待ち申さんと、夕波の汀なる、海士の小舟にうち乗りて、追ひ風にまかせつつ、沖の方に出でにけりや、沖の方に出でにけり


「わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にまづ行きて、あれにて待ち申さんと」とさらっと言ってくれるが、――天皇とはかようにいい加減にでてくるものであってだから観念なのだ。選挙でえらんだわけでも、常に権力の源泉であったわけでも、どういう誰がなるという論理が完璧に整えられていたわけでもなく、フィクションによって合理化されていたわけでもない。古事記にしても、自ら「強引にやりましたし、もう忘れているところもあるわけです」と言っているようなもんだし、「源氏物語」なんか、天皇の世界はこんなひどい世界なんですと暴露しているようなもん、「枕草子」だってそうだ。

平安朝まではよくわからんが、天皇制を権力の問題としてまじめに考えていた人たちが多かったのかも知れない、しらんけど。。しかし、戦国時代なんかをやってみて、さすがに矛盾のあらわれに対して知恵を付けてくると、天皇家の持続をずっとやっている我々の心はどういうものであるか、考える人たちがでてきたにちがいない、能の上の場面なんか、そんなことに気付いている人間が書いたせりふに違いないと思うのである。

それは、観念に過ぎないから持続しているのである。「源氏物語」のいじめや、「枕草子」の嫌みなリリシズムや、「徒然草」のような枯れたリアリズムばかり学校教育でやっておるから、天皇制を本当に王政だと思い込む人々が多くなってる訳だがそれではわれわれの行動と心を説明できない。

大君の国だから精が離れがたいのだ、という理屈だけでは持たない(とはいえ、そのそぶりは見せない)が、住吉と高砂に離れていた精が会うという、夫婦の離れがたさにそのまま流してゆく。理屈というより連想が証拠となるようなものだ。別に、これは人の心の動きとして普通にあり得ることであって、――というより、よくある動きそのものだ。

離れがたい空気は、舞台の雰囲気から流れて聴衆と舞台との関係ともなってしまう。かくしてとにかく全てが離れがたい感じになってしまうのであった。こんな連想を崩すのは他者だけだが、島国だから、そんなことは少ない。そのうちに、他者がやってきても連想が崩れなくなる。

電線にとまった、おしゃべりのすずめは、柱がみょうなものをかぶって、困っているのを見てチュウチュウ笑っていました。
 ある晩、月は、この不幸な電信柱をなぐさめ顔に、
「もうすこしの我慢ですよ。」といいました。
 ある日のこと、空に、するどい羽音がしました。電信柱はもう秋になったから、いろいろの鳥が頭の上を渡るけれど、こんなに力強く、羽を刻む鳥は、なんの鳥であろうと考えていました。
 それは、わしでありました。光る目で下界を見おろしながら飛んでゆくうちに、わしは電信柱のかぶっている帽子を見つけて、つーうと降りると、それをさらっていってしまったのです。電信柱には、まったく、思いがけないことでした。はじめて夜が明けたような気がしました。
 その後、三郎も、犬も、工夫も、そして、電信柱も、この帽子の行方について知ることができなかった。ただひとり、月だけは、世界じゅうを旅しますので、それを知りました。帽子は山の林のわしの巣に持ってゆかれて、その中に、三羽のわしの子がはいって、あたたかそうに巣から頭を出していました。


――小川未明「頭からはなれた帽子」


天皇家は我々の帽子ではない。今日辞めると言ってた首相みたいにどっかに飛んでいってしまうわけにもいかないだろうが、――考えてみたら、色好みの伝統からして、それをインターナショナルに展開すればよろしいのではないだろうか?宮中=世界だった世界をホントの世界として考えればよいのである。どうせ相生の松の精なんかもどこかの砂漠を進撃中なのではないだろうか。