伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

アメリカ人弁護士が見た裁判員制度

2008-12-30 23:17:21 | 人文・社会科学系
 ニューヨーク州弁護士で現在は日本の法科大学院教授の著者が、アメリカ弁護士の立場からアメリカの陪審と日本の裁判員制度の違いを説明した本。
 著者の主張は、裁判員制度は、国民の司法参加を余儀なくされた裁判所が裁判所に都合のいいように修正した、裁判所のための制度で、裁判の結果や制度の失敗を裁判員のせいにできて、裁判員は守秘義務のために真実を明らかにできないということにあります。法律が誰のためにあるかはその法律が誰に義務を課し誰に自由(裁量)を広く認めているかを見ればわかるとして、法律上も裁判官に都合がよくできていることを論じています。
 著者が最も危惧するのは、裁判員制度では、陪審と違って裁判官が評議に加わり、しかも裁判官と裁判員のやりとりが公開の法廷ではなく密室で行われ、裁判員には評議の内容について守秘義務が課され、その結果裁判官が密室でどのように不公平なことを言って裁判員を誘導してもそれは公にならず誰も検討さえできないということです。アメリカの陪審ならば、有罪無罪の決定は陪審のみで行われ、裁判官が陪審に行う法律の説明(説示)は公開の法廷で行われ、陪審員には守秘義務もないということです。
 著者の思いは、「陪審制度は個人を公権力から守る最後の砦であるのに対して、率直にいって、私が見る限り、裁判員制度は裁判官と国民が一緒になって悪い人のお仕置きをどうするか決めるための制度である。」(10頁)という表現に端的に表れています。
 半分以上が、日本の法制度が役所に都合よく役所のために作られていることと裁判所も役所であることの説明と、アメリカの陪審制度の歴史と制度趣旨の説明に費やされていて、裁判員制度について書かれているのは後ろの3分の1くらいです。著者の主張を説明するために前半の議論が必要なのはわかりますが、前半をもっとコンパクトにして裁判員関係をもう少し詳しく書いてくれた方が、タイトルにはマッチすると思います。
 裁判員制度が裁判所・裁判官に都合よくできていることと、陪審制度とはかなり違う制度だということについて理解するのには、わかりやすい本だと思います。


コリン P.A.ジョーンズ 平凡社新書 2008年11月14日発行
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スマッシュ×スマッシュ!

2008-12-30 18:29:41 | 小説
 怪我で挫折した天才テニスプレイヤー笠松勇太が、アスペルガー症候群の少年立花颯人にテニスのコーチをしながら、メンタル面で成長し、再起を果たすというストーリーの小説。
 傍若無人だった天才が挫折して力み焦ってさらに落ち続ける姿と、平常心を取り戻し無駄に見えることにも取り組んでいく中で力を抜くことを知り再起していく姿が対比的に描かれます。スポーツに限らず人生も、回り道も無駄じゃないよというのがテーマでしょう。
 第1章(第1セット)と第2章(第2セット)で別々に進められる勇太と颯人の過去の話が、第3章(第3セット)で交わりますが、そこに至るまでバラバラの感じで少し読みにくい。ラストが、ハッピーエンドに持っていくのに無理しすぎの感がありますし、そっちで終わるかなと思います。
 軽い読み物としてはいいとこだと思いますが。


松崎洋 徳間書店 2008年10月31日発行
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