シリーズ2巻のラストで公安警察に保護されていたソ連からの亡命スパイでリスベットの母親を虐待し続けたザラチェンコとリスベット・サランデルがともに瀕死の重傷を負って発見され、ザラチェンコの存在とザラチェンコを守るために違法な活動を続けて来た公安警察の特別分析班の活動が暴露されることを恐れた「班」のメンバーが、関係者の抹殺とリスベットの精神病院送りを画策し、リスベットを守り事件の真相を公表しようとするミカエル・ブルムクヴィストらとの間で攻防戦を繰り広げるサスペンス小説。
国益のためと称して(たぶん自分ではそう信じ込み)市民の権利を踏みにじって職権濫用を繰り返してきた公安警察の特別分析班が、さらなる職権濫用を重ねて事実を隠蔽しようとする醜さ、傲慢さ、身勝手さには、身が震えるほどの憤りを感じます。もちろんフィクションですが、自らの誤りを絶対に認めず職権濫用を繰り返し、国益と称してその実は組織の存続と自己保身を図るというのは、いかにも役人にありがちな行動パターンと思えます。
他方、警察組織内に憲法を守りミカエルらの告発に真摯に耳を傾けて市民に対する警察組織内の者の陰謀を身を挺して防ごうとする警察官を多数設定したことには、作者の官僚と行政組織に対する信頼感を感じさせます。政府と決定的に対立したくないという保険・エクスキューズかも知れませんが。本当に警察・政治権力内にこういう人たちがいればいいんですが。そういうエクスキューズと願望を含めて、権力を濫用する公安警察内のグループ対一市民・良識的なジャーナリストたち・正義感に燃える警察官という図式が、この作品のストーリーに明るさを保ちエンターテインメントとしての読みやすさに貢献しています。
シリーズ3巻でも、女性に対する暴力と差別に対するアンチテーゼ色がさらに強まっています。ストーリーからは蛇足にも見えるエリカ・ベルジェに対する嫌がらせも、働く女性・女性管理職に対する妬みと嫌がらせとして、作者のテーマの中では重要な位置づけを持っているのだと思います。
登場人物でも、3巻で現役の公安警察官モニカ・フィグエローラ、元警察官の警備員スサンヌ・リンデルといった腕力系の魅力的な女性を新たに設定し、「部」の扉に歴史の中の女性戦士の記事を配して、体力を駆使して戦闘に参加する女性というイメージを前に出しています。
「国家」好きの人と、女性はつつましくあるべきと考える人には、ますます耐え難い読み物になっています。またシリーズ全体を通してですが、登場人物の奔放な性生活は、たぶん日本の読者の多く(スウェーデンの読者がどう思っているかは私にはわかりませんが)の基準を超えていると思います。そのあたり、次々と女性と肉体関係を持つミカエルをフェミニストと位置づけることには反発を覚える向きもあろうかと思います。リスベットやエリカも相当に奔放な性生活を送っているのがお互い様と見るか、そこにやるせなさを感じさせるところがどうかなど、フェミニストがどう評価するかも複雑かも知れません。
本の帯では「驚異の三部作、ついに完結!」としていますが、上巻の訳者あとがきでも触れられているように、ラーソンは3巻で終わらせたつもりはなく4巻の原稿執筆中に亡くなりました。3巻でリスベットをめぐる事件は終結を見ていますが、モニカの登場、リスベットとミカエルの関係は、今後の展開を予期させています。作者が亡くなった以上続編が書かれないことは事実ですが、「完結」と打つのは、ちょっと違うんじゃないかと思います。
公安警察の悪役のリーダーがクリントン、それと闘う若手の公安警察官がモニカというのは、偶然でしょうか。
原題:LUFTSLOTTET SOM SPRANGDES
スティーグ・ラーソン 訳:ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利
早川書房 2009年7月15日発行 (原書は2007年)
第1巻 「ドラゴン・タトゥーの女」は2009年2月11日の記事で紹介
第2巻 「火と戯れる女」は2009年4月29日の記事で紹介
国益のためと称して(たぶん自分ではそう信じ込み)市民の権利を踏みにじって職権濫用を繰り返してきた公安警察の特別分析班が、さらなる職権濫用を重ねて事実を隠蔽しようとする醜さ、傲慢さ、身勝手さには、身が震えるほどの憤りを感じます。もちろんフィクションですが、自らの誤りを絶対に認めず職権濫用を繰り返し、国益と称してその実は組織の存続と自己保身を図るというのは、いかにも役人にありがちな行動パターンと思えます。
他方、警察組織内に憲法を守りミカエルらの告発に真摯に耳を傾けて市民に対する警察組織内の者の陰謀を身を挺して防ごうとする警察官を多数設定したことには、作者の官僚と行政組織に対する信頼感を感じさせます。政府と決定的に対立したくないという保険・エクスキューズかも知れませんが。本当に警察・政治権力内にこういう人たちがいればいいんですが。そういうエクスキューズと願望を含めて、権力を濫用する公安警察内のグループ対一市民・良識的なジャーナリストたち・正義感に燃える警察官という図式が、この作品のストーリーに明るさを保ちエンターテインメントとしての読みやすさに貢献しています。
シリーズ3巻でも、女性に対する暴力と差別に対するアンチテーゼ色がさらに強まっています。ストーリーからは蛇足にも見えるエリカ・ベルジェに対する嫌がらせも、働く女性・女性管理職に対する妬みと嫌がらせとして、作者のテーマの中では重要な位置づけを持っているのだと思います。
登場人物でも、3巻で現役の公安警察官モニカ・フィグエローラ、元警察官の警備員スサンヌ・リンデルといった腕力系の魅力的な女性を新たに設定し、「部」の扉に歴史の中の女性戦士の記事を配して、体力を駆使して戦闘に参加する女性というイメージを前に出しています。
「国家」好きの人と、女性はつつましくあるべきと考える人には、ますます耐え難い読み物になっています。またシリーズ全体を通してですが、登場人物の奔放な性生活は、たぶん日本の読者の多く(スウェーデンの読者がどう思っているかは私にはわかりませんが)の基準を超えていると思います。そのあたり、次々と女性と肉体関係を持つミカエルをフェミニストと位置づけることには反発を覚える向きもあろうかと思います。リスベットやエリカも相当に奔放な性生活を送っているのがお互い様と見るか、そこにやるせなさを感じさせるところがどうかなど、フェミニストがどう評価するかも複雑かも知れません。
本の帯では「驚異の三部作、ついに完結!」としていますが、上巻の訳者あとがきでも触れられているように、ラーソンは3巻で終わらせたつもりはなく4巻の原稿執筆中に亡くなりました。3巻でリスベットをめぐる事件は終結を見ていますが、モニカの登場、リスベットとミカエルの関係は、今後の展開を予期させています。作者が亡くなった以上続編が書かれないことは事実ですが、「完結」と打つのは、ちょっと違うんじゃないかと思います。
公安警察の悪役のリーダーがクリントン、それと闘う若手の公安警察官がモニカというのは、偶然でしょうか。
原題:LUFTSLOTTET SOM SPRANGDES
スティーグ・ラーソン 訳:ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利
早川書房 2009年7月15日発行 (原書は2007年)
第1巻 「ドラゴン・タトゥーの女」は2009年2月11日の記事で紹介
第2巻 「火と戯れる女」は2009年4月29日の記事で紹介