伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

ぼくから遠く離れて

2011-03-31 22:55:02 | 小説
 小説家志望が集まるゼミで何となく学生生活を送る大学3年生の安藤光一が、女装によって自分を変えることを提案する謎の人物Keyからのメールを機に、同じサークルの元カノ白砂緑や、アルバイト先で先輩の人妻滝本良子、隣の部屋に住む美女・実は性同一性障害の女装男性のマナこと古川学、サークルの先輩の浅岡弓子らを、Keyではないかと疑いながら、自分の中の女性性というか、男性であるか女性であるかということにこだわらない自分と性とそして相手との関係に目覚めていくというストーリーの小説。
 一応Keyは誰かという謎を最後まで持たせていますが、それよりは、男女関係なりジェンダーなりを考えさせるところにこの小説の意味があるように思えます。特に女性の方が能動的であることを女性もそして男性も楽しむ関係、少なくとも男性が支配的で能動的であるべきということへのアンチテーゼが、この小説の基本に据えられています。
 このような関係性は、現在でもなお、人々には素直に受け入れられないのでしょうか。光一が白砂緑に化粧されて上からのしかかられてセックスしたり、女装用具をみつけられて滝本良子にのしかかられ、どこかで受け入れながら犯された屈辱感を持ち、古川学は浅岡弓子に抑え込まれてやめてと懇願しながらも受け入れているといった、ありがちなマッチョな男女関係をひっくり返したような性描写とそれに対する受容とともにどこかぬぐいきれない屈辱感を残す描写は、私には今ひとつすっきりしない感じがします。そして受動的行動を強いられる男性を女装・化粧という道具で外見を女性化することも。女性が、女性化した男性を相手にでないと能動的に振る舞えないという状況設定が、現在の社会の、能動的な女性の中でさえの思考・行動様式の限界を示しているように見えるのも残念です。あえて女装・化粧といった女性化した外見や性同一性障害・トランスジェンダーといった道具立てを取らなくても、女性が能動的な性関係を、屈辱的とか考えなくても受け入れることは可能じゃないかと、私は思うのですが、やはり私は少数派なんでしょうか。


辻仁成 幻冬舎 2011年2月25日発行
「バァフアウト」2009年11月号~2010年12月号連載
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最高裁の暗闘

2011-03-31 20:55:12 | ノンフィクション
 刑事事件での無期懲役判決や冤罪事件の最高裁での逆転、行政訴訟で行政を数多く負かせた東京地裁藤山コートの判決の東京高裁での逆転と最高裁での再逆転、在外邦人の選挙区での選挙権を認めない公職選挙法を違憲とした判決や婚外子の国籍取得に出生後認知の場合には父母の婚姻を求める国籍法の規定の違憲判決などを素材に、ここ10年大きな変化が見られる最高裁の舞台裏を報じた本。
 判決に表れた少数意見だけではなく、それぞれの裁判官の人生観や生き様、当該事件での思惑や多数派工作などが書き込まれているのが、これまでの日本の裁判ものになかなか見られなかったこの本の特色であり読みどころだと思います。当初の調査官報告書の内容や、それを主任裁判官(その事件の担当裁判官)が書き直しを命じた経過、主任裁判官が他の裁判官を色分けして説得していく過程など、最高裁事務総局の逆鱗に触れたというのもなるほどと思えますが、議論の末に判決が形成される以上判断の別れうる事件ではそういうことは当然にあり得ることで、こういった経過が明らかにされていくことで、むしろ裁判所への信頼感が醸成されると私は思います。
 こういう本が書かれることは、関心が持たれているという意味でも取材に対してオープンな裁判官が増えているという意味でも、最高裁が今ダイナミックな変化を遂げていることを感じさせます。こういう本が次々と書かれることを、そしてこういう本が書かれうる最高裁であり続けることを、私は、一弁護士としても一読者としても望んでいます。
 なお、129ページ後ろから3行目の「訴えは違法ではない」は「訴えは適法ではない」の誤植ですね。意味が逆ですから、2刷りでは直して欲しい。


山口進、宮地ゆう 朝日新書 2011年1月30日発行
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