熊本生まれの在日韓国人2世で初の「在日」東大教授とされる政治学者の著者が、自らがたどった思想・思索の来歴を語った本。
「近くて遠いアジア」と題する第1章と「西欧とアジアの二分法を超えて」と題する第2章は、著者の学問的関心、傾倒した思想にかかわる記述が中心となり、社会学ないしは政治哲学の業界での大家の考えや著作の紹介とその批判が続き、門外漢の目には専門用語/業界用語と小難しい「概念」が羅列されたペダンティックな文章と感じられます。「地域主義と『東北アジア共同の家』」と題する第3章は、扱う時代と事実が馴染みやすいものであることもあって比較的読みやすいというか、耳に馴染んだ話が続きますが、「個別的『普遍主義』の可能性」と題する第4章はなぜか江戸時代から明治にかけての国学的な考察に迷い込みまた読みにくくなる印象です。
アジア的な文化・思考の価値をいうこの本で、著者が駐日アメリカ大使館の政務担当者が「干戈を交え、悲惨な戦争で多大な犠牲者を出しても、やがては親密な友好国となれるものなんです」とベトナムや日本の例を挙げてうそぶくのに「国家理性の狡智によって戦争が避けられるとしたら、その乾いたザッハリッヒな(非人格的で即物的な)ロジックを闇雲に否定しようとは思わない」(126~127ページ)と述べ、たとえどんなにそぐわなくても我々は異質なものとも共存しなければならないということを、イギリスの哲学者やドイツの外交官らの言を挙げていう(166~168ページ)著者のスタンスはどう見ればいいのでしょうか。前者に関して「それでも私は、その冷厳なロジックによって切り捨てられていく人々のことを思わざるを得ない。なぜなら、『在日』とは、そうした『国家理性』によって切り捨てられた人々のことを意味しているからだ」としている点に著者のアイデンティティーの一環が感じられますが。
姜尚中 集英社新書 2023年5月22日発行
「近くて遠いアジア」と題する第1章と「西欧とアジアの二分法を超えて」と題する第2章は、著者の学問的関心、傾倒した思想にかかわる記述が中心となり、社会学ないしは政治哲学の業界での大家の考えや著作の紹介とその批判が続き、門外漢の目には専門用語/業界用語と小難しい「概念」が羅列されたペダンティックな文章と感じられます。「地域主義と『東北アジア共同の家』」と題する第3章は、扱う時代と事実が馴染みやすいものであることもあって比較的読みやすいというか、耳に馴染んだ話が続きますが、「個別的『普遍主義』の可能性」と題する第4章はなぜか江戸時代から明治にかけての国学的な考察に迷い込みまた読みにくくなる印象です。
アジア的な文化・思考の価値をいうこの本で、著者が駐日アメリカ大使館の政務担当者が「干戈を交え、悲惨な戦争で多大な犠牲者を出しても、やがては親密な友好国となれるものなんです」とベトナムや日本の例を挙げてうそぶくのに「国家理性の狡智によって戦争が避けられるとしたら、その乾いたザッハリッヒな(非人格的で即物的な)ロジックを闇雲に否定しようとは思わない」(126~127ページ)と述べ、たとえどんなにそぐわなくても我々は異質なものとも共存しなければならないということを、イギリスの哲学者やドイツの外交官らの言を挙げていう(166~168ページ)著者のスタンスはどう見ればいいのでしょうか。前者に関して「それでも私は、その冷厳なロジックによって切り捨てられていく人々のことを思わざるを得ない。なぜなら、『在日』とは、そうした『国家理性』によって切り捨てられた人々のことを意味しているからだ」としている点に著者のアイデンティティーの一環が感じられますが。
姜尚中 集英社新書 2023年5月22日発行
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