年のわりには若く見え年齢と若く見せることばかりに関心を持つ34歳の大沢蜜が、パート先で年増扱いされたことに腹を立ててパートを辞め、夫が高校の後輩の若い女と浮気していることに衝撃を受け、ひたすら若さを保とうとアンチエイジングの施術をしようかと悩み、夫の浮気相手に会いに行き、最後には大学に入り直そうとするというストーリーの小説。
全編を通じて、日本の男は若い女ばかり持ち上げると年齢差別を声高に非難し続けていますが、この主人公にそれを言われても説得力を感じませんし、私は全然共感できませんでした。主人公の夫は妻を愛しておりかなりの理解を示しながら、若く見せることばかりに心を砕き、年のわりに中身のない成長のない妻に物足りなさを感じています。若さの問題ではなく、むしろ年齢相応の中身がないことが問題なのに、問題が起こる度に外見を磨こうという方向にさらに走るわけです。この主人公にとって年齢差別自体が問題なのではなく、自分が差別されるときだけ年齢差別が問題なのです。自分は若く見せることであわよくば差別する側に回りたいわけで、自分より老けて見える同年齢の者に優越感を感じ、年齢を気にしていない自分の母などにはもっと外見に気を遣えと言っています。そして、若い義妹との罵り合いの底意地の悪さ、大人げなさには読んでいて鳥肌が立ちます。パリやニューヨークの男たちは女を年齢ではなく人間性で評価するという話を聞いて羨ましいと言い日本の男を非難していますが、人間としての中身で評価したらこの主人公のような人物こそまるで相手にされないと思うんですが。作者が年齢差別を本当に問題にしたいのならば、キャラ設定を変えた方がいいと思いました。
私は、差別は嫌いですが、この作品で問題にされている言葉レベルでの年齢差別に関して言えば、人種とか性別とか身分とか血筋とかの生まれによる差別に比べれば、深刻さは低いと思います。他の種類の差別と違って、年齢差別を受ける側の人、若い人をうらやむ人は、もれなく平等にそのうらやんでいる年齢の時期を自分も過ごしてきたのですから。自分にもその年齢の時期が平等に現実にあってその時代を過ごしてきたのですから、今の若者がその時期を過ごすのは当然です。そして自分がその年代に何を考え何をしてきたかを考えれば、若者が自分を年寄り扱いするということを声高に非難するのはそれこそ大人げないと、おじさん扱いされる歳・容貌の1人としても、思います。
内舘牧子 幻冬舎 2008年7月25日発行
全編を通じて、日本の男は若い女ばかり持ち上げると年齢差別を声高に非難し続けていますが、この主人公にそれを言われても説得力を感じませんし、私は全然共感できませんでした。主人公の夫は妻を愛しておりかなりの理解を示しながら、若く見せることばかりに心を砕き、年のわりに中身のない成長のない妻に物足りなさを感じています。若さの問題ではなく、むしろ年齢相応の中身がないことが問題なのに、問題が起こる度に外見を磨こうという方向にさらに走るわけです。この主人公にとって年齢差別自体が問題なのではなく、自分が差別されるときだけ年齢差別が問題なのです。自分は若く見せることであわよくば差別する側に回りたいわけで、自分より老けて見える同年齢の者に優越感を感じ、年齢を気にしていない自分の母などにはもっと外見に気を遣えと言っています。そして、若い義妹との罵り合いの底意地の悪さ、大人げなさには読んでいて鳥肌が立ちます。パリやニューヨークの男たちは女を年齢ではなく人間性で評価するという話を聞いて羨ましいと言い日本の男を非難していますが、人間としての中身で評価したらこの主人公のような人物こそまるで相手にされないと思うんですが。作者が年齢差別を本当に問題にしたいのならば、キャラ設定を変えた方がいいと思いました。
私は、差別は嫌いですが、この作品で問題にされている言葉レベルでの年齢差別に関して言えば、人種とか性別とか身分とか血筋とかの生まれによる差別に比べれば、深刻さは低いと思います。他の種類の差別と違って、年齢差別を受ける側の人、若い人をうらやむ人は、もれなく平等にそのうらやんでいる年齢の時期を自分も過ごしてきたのですから。自分にもその年齢の時期が平等に現実にあってその時代を過ごしてきたのですから、今の若者がその時期を過ごすのは当然です。そして自分がその年代に何を考え何をしてきたかを考えれば、若者が自分を年寄り扱いするということを声高に非難するのはそれこそ大人げないと、おじさん扱いされる歳・容貌の1人としても、思います。
内舘牧子 幻冬舎 2008年7月25日発行