ようやく「マネの絵画」(ミシェル・フーコー、訳:阿部崇、ちくま学芸文庫)を読み終わった。
フーコーの「マネの絵画」という講演は、話し言葉でもあり、私でもそれなりにわかりやすく読めた、と思う。実際は読みこなせていないのかもしれないが、取りあえずは理解できたと思っている。
フーコーという哲学者の著作は初めて目にした。西洋の哲学書にはなかなか縁遠くて、学生時代に初期のマルクスは何とかかなり目を通した。またヘーゲルの「歴史哲学」を少しばかり齧った程度でしかない。
しかしこの書にはこのフーコーの講演が掘り起こされ、刊行されることで開かれたシンポジウムの8氏の発言をまとめた8つの論考がおさめられている。
私にはいづれの論考も、それぞれが自分の言葉で語っていないことに不満を持つと同時に、フーコーや他の哲学者の言葉の片々を集めたような論考にはどうしても違和感を強く持った。フーコーや他の哲学者の言葉や「〇〇一派のように」などとまとめられても、まるで何のことやらさっぱりわからない。分かる方が無理というもの。
読み通すのが苦痛であった。分からない文章というのは、文章の流れで次に出てくるかと想定した言葉と違う言葉が繰り返し登場したり、あるいは他者の言葉を短く唐突に引用してきて、それが理解されているという前提に立って論が一方的に進められるときである。
学術的であっても狭い範囲でしか通用しそうもない論考にずいぶん長く付き合ってしまった、という徒労感とともに、最後のページを綴じた。
予定通り午後遅く近くのスーパーへ買い物に出かけた以外には外に出ることもなく、何となく時間が過ぎた。特に何をするでもなく、私は読書タイム、妻は体調不良で布団の中、食欲もあまりない。過労だとは思うが、明日一日様子を見て、火曜日以降の対応を考えるしかない。
読書はしていたが、読んでいる本が面白味がない。フーコーのマネについての講演は大変興味深く、勉強にもなったが、それを受けたシンポジウムの内容は私の関心からは外れている。次の本に早く移行したいものである。
現在横浜港では花火の打ち上げか行われているが、外に出て見学する気にもならず、私もボーっとしている。活動のエネルギーが湧いてこない。
横浜市域に出ていた大雨注意報も解除になっているが、未だ霧雨のように降っている。テレビのニュースでは来週もずっと曇り空、雨が続くらしい。日照不足・低温の影響がじわじわと出て着そうな気配。今の政治の貧困では自然災害が人災としてさらに増幅すること間違いがない。