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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

片蔭・炎天

2019年07月29日 23時02分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 30分ほどの夜のウォーキング終了。
 昼間はあまりに暑くて、日かげのある道を思い出しながらウォーキング、というよりもよたよた歩きに近いまま歩いて帰宅した。16時に近かったものの陽射しは衰えることを知らない。
 直射日光を受けるのを避けるためのメッシュの野球帽を被っていると頭が蒸れてしまいかえってよくない。日陰では帽子を手に取り、汗が蒸発するようにして歩き、直射日光のあたるところだけは帽子を被って歩いた。

 片蔭、片かげりは炎天下、建物や塀の陰が道路の片側にくっきりと出来ているさま。俳句特有の語であるが、私は好きな季語である。

★片かげり蝶の出入りの眩しさよ     菅原 涼
★沖縄の片蔭過去をのみて濃し      沢 たか女
★炎天に墓石するどく手を焦がす     庄司たけし

 片蔭は何も沖縄だけが濃いのではない。過去の歴史がその濃さを増す。ものを見る視点によってその像は大きく変わる。それを写し取るのが写生ともいえる。時間の累積は何処でも重みがある。その重みを見つけたい。「過去をのみて」は「過去を飲み込んで」の意と解した。  


「図書8月号」(岩波書店)

2019年07月29日 20時51分03秒 | 読書

 家に戻ったら「図書8月号」(岩波書店)が届いていた。岩波書店の広報誌であるが、読みではあり、勉強にもなっている。いつものように覚書として。

★鯨のしっぽ              司 修
「「言葉は水の中で生まれた」と夢の中の書物に書いてあったのです。私は承服しがたく、書物をめくるのですが、実は、書物に文字がないのです。ただ、言葉らしい響きがあるのです。‥鶴岡政男という画家に誘われて、テープレコーダーを駆使した「音」をコラージュしていました。‥わたしは、スズムシやセミの「声」を、巨大な生きもののごとく、また逆に象や河馬のような大動物の声は昆虫の鳴き声のように、変成させてコラージュしていました。夢に現れた原初の言葉は、鯨の声を聴き続けていた私に入り込んだものと思われます。」

★三島由紀夫を「三島」と呼ぶとき    佐藤秀明
「夏目漱石は1966年、森鴎外は1972年、芥川龍之介は1977年である。何と幸田露伴は1997年。何かというと没後50年の年である。すでに静かに文学史の中に落ち着き、作品は近代古典となっていた。来年2020年は、三島由紀夫の没後50年である。しかし、どうも違う。静けさがない。‥若々しく生きのよい三島の美文に50年の歳月が被さり、枯れず、静けさもなく、えもいわれぬ味わいが出てきた。」
 私はこの文章を読んで驚いた。確かに三島由紀夫が割腹自殺をしたのが1970年、49年前である。そのことと没後50年というのが、とても頭の中で像として結ばれていないのだ。私が夏目漱石をはじめて文庫本で読んだのが1965年だから没後49年で読んだ。その時に50年前の小説として読んだのだが、いま三島由紀夫を読みなおすとしても50年という時間の流れが私の頭の中でうまく処理できない。それは当然にも生きていた夏目漱石を知っていたか、生きていた三島由紀夫を知っていたか、ということだけではない大きな裂け目だと思う。
 その外因のひとつとして1945年の敗戦という大きな時代変革があったことは否めない。だが、もっと大きな裂け目、外在的てはない裂け目があるように直感した。しかしそれが何なのかはまだわからない。しかしこだわって考えてみたい気持ちが強い。
 筆者は岩波文庫からこの度「三島由紀夫紀行文集」「若人よ甦れ・黒蜥蜴 他一編」「三島由紀夫スポーツ論集」を出版した。これも是非目を通したいと思っている。

★丸山真男とボンヘッファー 一つの《架空の対話》  宮田光雄
「時代の政治的風潮に流されることなく、あくまでも《自由な個》として生きながら、日本社会における《未完のデモクラシー》にたいする希望と責任を失わないことを問われているのだ。」
 あまり一般化を急ぐと、個々の立ち位置があいまいなまま、どんな立場の人にも利用される箴言となってしまうのではないか、と私は常に自分に言い聞かせている。アフォリズムが「処世訓」に転化してしまわないことを願いたいものだ。

★土肥原賢二の美女工作         山本武利

★公共図書館という存在 映画「ニューヨーク公共図書館」を観て   松岡享子
「いちばんの驚きは、この巨大な公共図書館がNPО法人であり、民間からの多額の寄付と公費によって運営されてることではないだろうか。幹部職員にとって寄付集めは最大の課題で、寄付の実績が活動の必要性と緊急性を証するものでして、市からの予算を引き出す説得材料に使われているのも驚きであろう。日本では寄付の分だけ公的資金が差し引かれるのが実情だから、寄付文化の社会への浸透度がアメリカとはまったく異なるわが国だとはいえ、これから先は、何事につけ官民協働でなければやっていけないのは明らかなのだから、図書館も「委託」などの姑息な方法で予算をけずることばかり考えず、法人化して発展する道を探った方がいいのではないかと‥」
 
「公共」「寄付」というものが如何に日本では薄っぺらなものとして捉えられ、運用されてきたか、自治体や公共にとっていかに金のかかる「お荷物」として扱われてきたか、考えさせられる文章である。引用の大半は同意である。最後の「法人化して‥」だけはもっと「公共とは何か」「寄付とは何か」を議論をした上で、そして「法人化」とは何かを日本の制度とかの国の制度との比較の上に立って結論を出した方がよりよいものが生まれると思った。
 日本で「法人化」といってしまうと「委託」の果ての「公共性の否定」に繋がる。

★百年たって耳にとどく 鶴見俊輔と金子文子    森 元斎

★それでもなお言葉の力を        藤原辰史
「赤坂憲雄さんの言葉は、民俗学に留まるものではありません。富の不公平な分布、地域の疲弊、一次産業の衰退などの現代社会の病理にも、赤坂さんの言葉はかなりの熱量をもって臨床的に伝わります。‥生活者の言葉と言葉以前のものが絡みあって生み出す渦の中で、もがくように言葉を発しておられるように思います。けれども‥次世代の子どもたちは、祖父母や親たちの世代が残した莫大な借金と自然と人間の破壊のつけを背負い、生きて行かなくてはならない状況です。‥だから赤坂さんに言葉と現実との緊張関係ついて聞いてみたいのです。」

 残りは後日。


「人を偲ぶ」時節

2019年07月29日 17時13分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日も朝から暑い。本日梅雨明け宣言となった。

 暑さが極まると、この列島では人を偲ぶ日々となる。それはお盆という行事に繋がるのだが、「日本」という近代国家が胎動を始めてから一貫して「戦」に駆り立てられ、「近代国家建設」「富国」の名のもとに大きな犠牲を強いられ「命」を差し出させられてきたひとびとの鎮魂の思いでもあったと私は理解している。
 「戦」の死だけでなく、公共事業、鉱工業、後に公害の部類に入れられる「死」、政治的な無策による「餓死」、移民という名の「棄民」等々、国内でも植民地でも無惨な「死」が強いられてきた。
 その行き着いた果ての1945年8月、鎮魂の夏が現在の国家の出発点であった。

★ひろしまや樹齢等しく夏木立      川崎慶子
★人偲ぶとは語ること夏木立       大井雅人

 「ひろしま」は原爆で町が壊滅し、生き残った樹木もほとんどなくなった。戦後の樹木は8月6日以降に芽生えた樹木である。それは一斉に樹木の再生の力で芽吹いたものもあり、人びとが再生の思いを込めて植えたものもあるだろう。
 もしも私があの時代、あの場所に遭遇して生き残ったら同じようにしたのではないか。

 そして亡き人を偲ぶ、とは現在も亡くなった人が自分とどういう関係にあって、自分とどう関わったか、それを確かめることが「偲ぶ」ことであり、「生かす」=「魂を鎮める」こととも理解できる。
 「戦の世」に関わっての「死」は、家族という係累の歴史の中にくり返し思い出し、思い出として「生かし」ていくことが、「戦の世」を繰り返さない方途である。人びとはその行為の意味を深く身に沁みて知っている。
 「国家」の論理を社会の最上位に位置づける人々は、「命」を「国家」の下位に置こうとする。私はこれが間違っていると考える。「命」は「国家」よりも重いのである。「国民の生命」を守るための枠組みのひとつである「現代の国家」がいつの間にか、まるで「神」のように人を支配する。そんな政治にしてはいけない。「戦」を避け続ける政治が現代の世に問われている。