Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

地震・台風

2019年07月25日 21時29分06秒 | 天気と自然災害

  本日は日照時間が長かった。しかし蒸し暑く、またしても夕方シャワーを浴びて汗を流した。夏はシャワーがないと汗かきの私はとてもつらい。  朝7時過ぎに、震度2の地震で目が覚め飛び起きた。揺れの具合からは震度3はあったと思った。久しぶりの揺れだったので大きく感じたのであろうか。

 明日の夕方から台風に伴う強い雷雨が予想されている。土曜も日曜も台風の影響で雨のマークがついている。最高気温の予報も30℃を超えている。

 私の親の入院した病院に、明日は妻が行くことになった。必要なものなどを調べて、それをもって明後日は私が顔を出す。二人一緒に顔を出すよりは、交代で訪れた方が様子を見に行く頻度としてはいい方法だということにした。
 私は雨が降る前に、区内の図書館に顔を出すことにした。図書館は久しぶりである。ゴヤの本を読んでいて、スペインの地理と歴史についてちょっとだけ調べものをしておきたい。その足で横浜駅まで歩いてみるのもいい運動になりそうである。


「大暑」の句 3

2019年07月25日 18時45分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★遠くまで海揺れてゐる大暑かな     飯田龍太
★青竹に空ゆすらるゝ大暑かな      飴山 實

 第1句、この句は作者は何処にいるのだろうか。海辺の近くの小高い丘の上か陸地の展望台の上。あるいは船の中で海を見ている視点。海の上を飛ぶカモメの視点。どれもがあっているような気がする。わたしにはこの17音の情報しかない。いろいろと推理してみた。
 私は甲斐の人である飯田龍太だからわざわざ海の上からの視点ではないかと思ってみた。だが、陸地から海の水平線を見ると、そこには安定して揺れがわからない空と海の境界が静かに動かずに横たわっているはずだ。
 遠くを見て揺れを感じるためには、近景に波に揺れる船などが必要になる。すると港で船のマスト越しに遠くの水平線を見ているか、船に乗って揺れを体感しながら水平線を見ているか、どちらかの視点にならざるを得ないと思われる。
 私は小さな漁港の堤防や浜から漁船のマスト越しに遠くの海を見ている情景が似つかわしいと感じた。失礼とは思いつつ、ヨットなどのレジャー船は作者に似つかわしくないと勝手に想像してみた。
 浜の魚を干す匂いや漁港独特の匂いとともに強烈な夏の太陽が頭の中で浮かび上がってくる。船の揺れに弱い私は陸にいながら、もうすでに船のマストの動きとともに景色が上下に揺れてくる。それこそ身を固くして遠景に目を据えてその揺れに耐えている。瞳孔が開いて眩しさに遠近感を喪失して眩暈に耐えている。
 白(船と雲と波先と太陽と突堤)と青(海と空)ばかりの世界である。冷や汗とも、暑さにともなう汗とも区別のつかない汗が背中を流れて行く。

 第2句、竹林の中から空を見上げる視点、竹の先端を中心として竹の幹が放射状に広がる。円の中心には青い夏の空、写真でよく見かける構図である。よくある構図だが、不思議に見飽きない。竹以外の樹木でも絵になる。見飽きないのは、竹や樹木のそれぞれの個性も発揮されるからであろう。
 ことに今年伸びた竹の幹の若々しい輝きが大暑の強い光を反射して生命力の旺盛さをひきたてる。青竹のゆったりとした揺れが夏の強烈な陽射しを思い起こしてくれる。清々しい青竹と、大暑の陽射しが、青竹の幹の揺れによって結び付く不思議な世界である。


ほんの少しの作業だったが‥

2019年07月25日 11時55分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日大量の角2の封筒が配達された。角2というとA4の用紙を織らずに入れられる大きさの封筒である。  極めて安く退職者会の名と組合の住所などを印刷してもらい、そのかわり8000枚まとめて納品してもらった。
 1箱500枚で16箱に分けられており、それを1.8mのロッカーの上や棚に収納したら腰に疲労感。ギックリ腰の前兆ではなく、軽い疲労感程度ですんだのはさいわい。しかし随分と弱くなったと実感。
 土嚢や融雪剤をトラックに積み込んだり、荷下ろしすることに較べると、量も少ないし、短時間で終了する作業だが、やはり8年のブランク大きい。

 ということで今朝は9時過ぎまでベッドの中で無理をせずに休息。その後はベッドの中で読書タイム。

 太陽が雲間から顔を出したり隠れたり、実に忙しい。午後からは雷雨の可能性もあるようだ。梅雨明けはまだ先になりそうだ。たぶん週明けに台風が去ってから、ということなのだろう。