★遠くまで海揺れてゐる大暑かな 飯田龍太
★青竹に空ゆすらるゝ大暑かな 飴山 實
第1句、この句は作者は何処にいるのだろうか。海辺の近くの小高い丘の上か陸地の展望台の上。あるいは船の中で海を見ている視点。海の上を飛ぶカモメの視点。どれもがあっているような気がする。わたしにはこの17音の情報しかない。いろいろと推理してみた。
私は甲斐の人である飯田龍太だからわざわざ海の上からの視点ではないかと思ってみた。だが、陸地から海の水平線を見ると、そこには安定して揺れがわからない空と海の境界が静かに動かずに横たわっているはずだ。
遠くを見て揺れを感じるためには、近景に波に揺れる船などが必要になる。すると港で船のマスト越しに遠くの水平線を見ているか、船に乗って揺れを体感しながら水平線を見ているか、どちらかの視点にならざるを得ないと思われる。
私は小さな漁港の堤防や浜から漁船のマスト越しに遠くの海を見ている情景が似つかわしいと感じた。失礼とは思いつつ、ヨットなどのレジャー船は作者に似つかわしくないと勝手に想像してみた。
浜の魚を干す匂いや漁港独特の匂いとともに強烈な夏の太陽が頭の中で浮かび上がってくる。船の揺れに弱い私は陸にいながら、もうすでに船のマストの動きとともに景色が上下に揺れてくる。それこそ身を固くして遠景に目を据えてその揺れに耐えている。瞳孔が開いて眩しさに遠近感を喪失して眩暈に耐えている。
白(船と雲と波先と太陽と突堤)と青(海と空)ばかりの世界である。冷や汗とも、暑さにともなう汗とも区別のつかない汗が背中を流れて行く。
第2句、竹林の中から空を見上げる視点、竹の先端を中心として竹の幹が放射状に広がる。円の中心には青い夏の空、写真でよく見かける構図である。よくある構図だが、不思議に見飽きない。竹以外の樹木でも絵になる。見飽きないのは、竹や樹木のそれぞれの個性も発揮されるからであろう。
ことに今年伸びた竹の幹の若々しい輝きが大暑の強い光を反射して生命力の旺盛さをひきたてる。青竹のゆったりとした揺れが夏の強烈な陽射しを思い起こしてくれる。清々しい青竹と、大暑の陽射しが、青竹の幹の揺れによって結び付く不思議な世界である。