Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「マネの絵画」(ミシェル・フーコー)から 1

2019年07月02日 23時10分33秒 | 読書

 「マネの絵画」(ミシェル・フーコー)を読んでいるのだが、第1部のフーコーの講演自体は短く、かつ読み易い。理解しやすいものであった。  この本の大半はシンポジウム「ミシェル・フーコー、ひとつのまなざし」というフーコーの死後のシンポジウムである。講演からどれだけ豊富なものを読み解くか、ということではそれなりの議論はあるのだろうが、まだそこまでは私は読み込んでいない。講演自体よりもシンポジウムの方が難解な気がしていいる。

 さてフーコーの講演は次の問題意識から始まる。
「〈オブジェとしてのタブロー〉を発明したこと、表象されているもののうちにキャンヴァスの物質性を取り込んだこと。それが、私が思うにマネが絵画にもたらした大きな変化の核心であり、その意味において、マネは印象派を準備することができたものを超えて、クワトロチェント(1400年代、初期ルネサンスから盛期ルネサンス期)以来の西洋絵画において基礎をなしていたもののすべてをひっくり返した‥」
「マネがキャンヴァスという空間を扱うその仕方について。どのように表面、高さ、横幅といったキャンヴァスの物質的特性を用いたのか、‥それが、私の扱う絵の第一のクループ‥。」
「第二のグループにおいて、どのようにマネが照明の問題を扱ったかをお見せしたい‥。タブローの内部から照らし出すような〈表象された光〉ではなく、外部の現実の光をいかにタブローで用いたか‥。」
「第三にタブローに対する鑑賞者の位置をどのように用いたかという問題。‥すなわち〈フォリー・ベルジェールのバー〉です。」

 以上の点について12の作品についてひとつひとつ述べている。
 さらにマネの作品の構図の特性として、垂直の線、水平の線、そして「奥行きがもはや知覚の対象ではなく、人物の空間的配置や隔たりが、絵画の内部においてしか意味を持たず機能しない記号によってのみ表現されるわうな空間」と述べている。

 私はこのフーコーの構図上の指摘はすでに多くの解説で一応は知っているつもりであったが、個々の作品で指摘され、納得できたことも多い。同時にわたしなりにまだ理解できないものもあり、興味深く読んだ。


「ゴヤ」(堀田善衛)を購入

2019年07月02日 21時18分16秒 | 読書

 本日注文していた本が届いた。堀田善衛の「ゴヤⅠ スペイン光と影」、「ゴヤⅡ スペイン沙漠と緑」、「ゴヤⅢ 巨人の影に」、「ゴヤⅣ 運命・黒い絵」の4冊。いづれも集英社文庫。
 これは1973年~1976年9月にかけて、当時の朝日ジャーナルに連載され、単行本として新潮社から刊行されていた。堀田善衛の作品は「広場の孤独」「若き日の詩人たちの肖像」「上海にて」「方丈記私記」「19階日本横丁」「定家明月記私抄」の6作品を読んでいることになっている。
 いづれも文庫本で読み、読み終わった印がついているのだが、いづれも内容については情けないことにほとんど覚えていない。はっきりいって良き読者ではない。

 この「ゴヤ」についてはいつか読みたいと思いながら、これまで手にする機会がなかった。今読んでいる「マネの絵画」(フーコー、ちくま学芸文庫)の次に読もうと思って注文していた。できるだけ早めに読み始めたいと思っている。

 


引続き書類作成

2019年07月02日 20時28分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日に引続き入院手続きや介護保険関係の書類作成などで区役所や病院に出向いた。その合間に病室で看護師や薬剤師などと打合せ。一段落したのはつい先ほど。疲れたので少し早めの晩酌と夕食も終えた。
 しかし区役所へ提出する書類はまだ完成していない。明日もう一度資料を探さなくてはいけないようだ。

 大きな病院というのは、受付や待合室の設えや診療、検査の仕方、病棟の設えや患者の扱い方など大まかには全国的に共通のやり方がある。同時に微妙なところでそれぞれに個性がある。書類一枚にしても、なかなか違いがあって面白い。責任をできるだけ患者と家族にもたせて、病院の責任を回避しようとしているのがあからさまな文書であったり、この意図を隠すようにそれとなく書かせる誓約書など、場数を踏むとそれらの違いが判って、ゆかいな心地でもある。こちらはその意図を充分にわかりつつ、どこかで冷笑するように署名・捺印している。
 この個性ともいうべき文書の違いをニタリと笑いながら目を通すことが、「慣れる」ということであるに違いない。

 さらに、24時間を病院で過ごす身にとってみれば、些細なことがとても大きな違いに思えてしまう。あの病院ではこうだった、この病院ではこうだった、というのが患者にとっては、大切な会話の種である。見舞客にしても同じである。慣れたくはないが、慣れないととても居心地の悪い空間である。