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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

8月が意外と忙しい

2019年07月30日 23時30分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 急に暑くなった7月、体調を維持するのは難しいものがある。私のように日中太陽にいつもあたって汗を大量にかくようにしていても、ビルや地下街などクーラーの効いているところから外に出ると、クラクラとすることがある。クーラーをつけていなくとも家でゴロゴロしていて急に外に出てもやはりクラクラする時もある。  5分も歩いていると何ともなくなるが、危険であると思う。

 明日で7月も終わり、本格的に暑い日々が続く夏。一応明日まではいつものとおり昼間と夜のウォーキングをするが、明後日からは3割ほど減らすことにした。年寄りには危険である。

 さて7月の後半は、親の入院にともなう病院通いであったが、「仕事」の予定はほとんどなかった。精神的にはのんびり出来た。天候不順ながら早目の夏休みだったと思うことにした。  8月第2週からは少しずつ予定が入ってくる。9月9日の退職者会の幹事会までに退職者会ニュースを発行しなくてはいけない。8月いっぱいで校正刷りまで終わらなくてはいけない。

 美術の鑑賞の集いも2ないし3つ予定している。入院した友人のことも心配である。亡くなった友人を偲ぶ集まりもある。白内障のことで市民病院に行くことも考えなくてはいけない。何かいろいろなことがどっと押し寄せてくるような気がしている。

 まずは明日友人に電話をして、8月上旬に会議の予定を一つ確定して参加予定者に連絡することにした。

 


片蔭・炎昼

2019年07月30日 20時49分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★片蔭をうなだれてゆくたのしさあり   西垣 脩
★片蔭の家の奥なる眼に刺さる      西東三鬼
★炎昼いま東京中の一時打つ       加藤楸邨

 片蔭を季語とした句をさらに2句と、俳句ならではの語ではあるが、これも私が気に入っている季語の炎昼。

 第1句、語のつながりが不思議な句である。「うなだれて」というと青息吐息、疲労困憊で夏の暑い日差しのもとを汗を拭いながらようやく歩いているような情景を思い浮かべる。ところが「たのしさあり」と続いてしまう。読んだ人は肩透かしを食らってしまう。
 しかしウォーキングないしジョギングをしていたり、陽射しのもとで元気よく歩いている子どもにとってはひょっとしたら不思議でもなんでもない光景の場合もある。
 さすがに顔を上げで歩くことはないが、暑い日差しのもと地面を見ながら歩いていると、片蔭や電柱の細い影の部分を飛び跳ねるように伝って歩いているときもある。「うなだれる」を「下ばかり見ながら」に変えてみると不思議に何のこだわりもなく意味が通じる。
 言葉とは不思議なものである。いったんその後の働きやイメージにとらえられると抜け出せなくなる。私もウォーキング中にそんな思いをしたことがある。同じイメージを持っていても俳句に定着する優れた感性の人もいるが、何の感興も湧かない私のようなにぶい人間もいる。

 第2句、余りの暑さに日かげを求めて軒を借りてしまったときに、家の人と視線が合ってしまった時の驚きの句であろう。人の家の軒先を無断で借りた、という後ろめたさがあるゆえに、視線が目に刺さるのである。暗闇に潜む目だからこそ鋭い視線なのである。
 二つの句とも、キリコの作品を見るような不思議な句である。背景の人や登場人物が極端に少ないのである。人をあらかじめ排除して、作者が見つめる視線が極端に細く、人間関係が希薄な「語」をわざわざ選んで配置しているような句である。
 人間嫌いの句ともいえる。一人で息をしている雰囲気を漂わせ、一人で気難しい顔をいつもしているが一人のときに顔をほころばせ、いつもは他者を拒否する語感の句である。それでいながら他人の眼を気にする。その視線から過剰な情報を読み取り、ひとりで傷つく。そんな作者を思い描いた。

 第3句、これもどこかシュールで、ひょっとしたらダリの絵に描かれる、ぐにゃりと曲がった時計を思い出した人もいるだろう。不意に襲ってくる未来に対する不安、現在の状況に対する違和、過去の出来事からの逃避、そして世界と自分とが断絶してしまう一瞬というのがある。これは夏の強い陽射しのときにかぎり起きる現象だ。暖かい陽射しに包まれた春や秋、身を引き締めて世界と対峙している冬とは無縁である。
  炎昼という語は、1938年、山口誓子の句集「炎昼」により広まった季語であるとのこと。「万緑」の中村草田男と同じように、俳人にとっては新しい季語の担い手となることは何ともすごいものである。

 


「図書8月号」(岩波書店) その2

2019年07月30日 09時53分23秒 | 読書

★武満徹5「聞かせてよ愛の言葉を」          片山杜秀
「戦争に必要な資源や労働力を‥国家が統制しうるという大枠だけを定め、時局の様相に基づく判断を行政に丸投げした国家総動員法は、まことに悪法であった。しかもそれは狡猾な法でもあった。私の自由は、企業から個人まで、大日本帝国憲法によって、原則としてはあくまで守られるという体裁である。私の自由と公の論理によって強制的に抑制しすぎれば、‥国体の変革に繋がり‥治安維持法に抵触してくる。したがって、学徒の勤労動員も、建前としては国家による強制的命令ではなく、学校に自主的に組織された報国隊という名の団体が、国家に自らの意思で協力するかたちをとった。‥国家はいざというときに曖昧さの森の中に逃走でき、免責されうる。‥いわゆる無責任の構造である。日本ファシズムの恐ろしさはそこにある。」
「西洋的な文化教養は日本精神を害する。西洋のどの国が見方で敵で中立なのかということは、いちいち問われない。‥舶来信仰と西洋崇拝とそれがより行き渡ったのが有閑階級であるということへの不快感と反感。それが民衆レベルでの自主的な検閲の論理というよりも情念であった。20歳になっても例外的に兵役を猶予され高塔教育機関に通い続ける「青白きインテリ」と、その予備軍としての中学校以上の学徒に対する、国民の多数派である小学校での庶民の怨念が総動員を社会で下支えした。‥大学生や専門学校生を軍隊に行かせ、未成年学徒に労働者の苦労を味わわせることに一種の快感があったわけだ。」
 
「日本型ファシズム」の定義として、少し丁寧に引用してみた。70年代をピークに、形の上では「学歴」の差は解消したことになっていたが、現在は所得差が拡大し、所得水準による学歴差が大いに拡大している。もう一度、現代を見つめ直す契機としたい。

★風土記博物誌 神が遺したもの    三浦佑之
「(常陸国風土記那賀郡)今も各地に伝わる大男伝説の一つで、ダイダラ坊、ダイダラボッチなどさまざまな名で呼ばれ、山や池などを作った話が遺る。同様の伝承は播磨国風土記にもあって‥。そのなかで(常陸国風土記の)大櫛の伝承が興味深いのは、そこが、縄文時代の貝塚として現代まで伝えられていることである。‥縄文時代の貝塚は、七世紀の人びとにとってもわれわれと大して変わらず数千年も前の遺物であり、大男のしわざだとかんがえたのはよくわかる。それに対してたかたが二、三百年前のことでもわからなくなってしまうこともある。‥風土記の編纂から二、三百年前のことでも、とうに事実はおぼろになり、神や偉人の事績になてしまう。そう考えると、伝承の深浅を測るのは、なかなかむずかしいものだと思わざるをえない。」

 今月号は16編のうち、9編に目を通した。