明日は昼間から夕方にかけて所用があり、お出かけ。特に慌ただしい用件ではない。帰り際にはどこかで美味しいコーヒーでも飲みながら1時間ほどはボーッとさせてもらって、18時までには戻る予定。この年度末の時期、のんびり出来るときにしておきたい。
今週末にはいつもの眼科へ。市民病院からの手紙を持って緑内障治療の再開と白内障のその後の経過を見てもらう。その足で眼鏡店に行くことも考えている。
本日は立春。本日から立夏の前日、今年は5月4日までが「春」である。立春はむかしはとても大切な節目として扱われた。一年の生活の起点であった。多くの農事は立春から数えて何日目、ということで記されていた。
古今集などの勅撰和歌集も立春から始まっている。一年の季節も「春夏秋冬」と春から始まる。
春立つや愚の上に叉愚を重ね 小林一茶
新古今和歌集では冒頭の春の歌は印象深い。特に次の歌が気に入っていた。中学生のころに授業で教わった新古今和歌集にすっかり魅入られてしまった。教科書では「虚構の作り事の多い世界」と否定的な取扱いであったが、「精緻な造形」という評価も載っていた。その評がいたく気に入った。
みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり 藤原義経
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水 式子内親王
春といへばかすみにけりなきのふまで浪間にみえし淡路島山 俊恵法師
岩間とぢし氷も今朝は解けそめて苔のした水道もとむらむ 西行法師
本日は休養日兼休肝日のつもりであった。15時まで家でグダグダしながら、若干の作業。18時まで軽いウォーキングとコーヒータイム。しかし19時の夕食時についワインを小さなコップで2杯飲んでしまった。
休肝日という決意をすっかり忘れていた。一口飲んでから気がついたが、一口飲んだら同じ、とばかりにもう1杯飲んで開き直った。
たかがワイン、されどワイン。すぐ忘れる「決意」、すぐに開き直ってなかったことにする「決意」、どこかの国の政治家のようになってしまった。
昨晩のカジノに反対する集会、講演は元私の上司でもある人。上司といっても元局長であり、労働組合の支部役員として相対した人である。
今回の横浜市のカジノを含むIRを事業の進め方と、カジノそのものに強く反対をされていることに、元行政マンとして大きな憤りと危機感を表明していた。事業の決定のあり方、進め方、市民への説明など横浜市のこれまでの行政の進め方から大きく逸脱しているという危機感は、共有できた。またカジノを含むIRを推進しようとする安倍政権への強い批判も披歴された。
「横浜市のカジノ誘致検討を巡る議論には、まちづくりにおける大切な視点が抜けている。それは都市の格だ。品格といってもいい。街の品格を損ねる開発はすべきではない。賭博からの上がりを財政の足しにしようとる考え自体が安易である。」
「カジノを誘致すれば、高めてきた街の値打ちが一気に下がる。子どもたちに大手を振って見せられるようなものだろうか。市外に設置されるのであってもいいとは思わない。」
「インフラやハード系の整備も大体済んでいる。国内全体としては縮小傾向でも、横浜にまたまだ住みたい、働きたいと思ってもらえる仕掛けを考えるべきである。部課長クラスの職員の知恵の出しどころだ。」
「現役時代にさまざまなまちづくりに携わった経験から感じるのは、住民も経済人も、どうしても自分が生きている今に着目しがちだということだ。ММ21地区の開発のように何十年も先を考え、時に「それは違いますよ」と言えるのは市職員であり、言わなければならない時がある。長い目で将来の市民も見据えたまちづくりが求められている。」
さまざまな切り口からの反対論がある。4回の講演会、いづれも勉強になった。もと行政の末端にいた私としては、共感できる部分は多かった。
飛鳥田市政が始めた六大事業がだいたい終了しつつあるが、そこで培われた人材、まちづくりの手法、国との関係、いちばん大切な市民合意の形成などなどは、大事なものでこれを捨ててしまっては、次は始まらない。
本日も22時を過ぎてから帰宅。そのまましばらく寝てしまっていた。とても退職後に静かな生活望んでいた「オジサン」とは違う世界の生活パターンになってしまっている。
だが、反省はしてもこれは変えることのできないパターンでもある。今のような生活もあるが、あわただしく常に何かに追われているような世界。
自分が本当はどちらの生活にあこがれていたのか、いつも自問自答している。そして結論が出ないままに、今の生活に流されている。
それがほとんどの人の「なれの果てなんだよ」と諭してくれる人もいないことはないが、自分の生活パターンや生き様を変えることが出来ない。
生き方については応用力がない。