第3のコーナーは「19世紀末のデンマーク絵画――国際化と室内画の隆盛」となっている。解説では19世紀末になり、王立アカデミーなどの愛国主義的芸術館に対して、自由な作品発表の場が模索され、デンマーク美術は国際化していった。
また、「画家の自宅の室内を主題とする絵画が人気を博した。「幸福な家庭生活」のイメージを通じて「親密さ」がデンマーク絵画の特徴のひとつとなった。しかしその表現は変容していき、1900年代頃には、無人の室内を描いた作品に象徴される、物語性が希薄な室内画が顕著になる。‥画家たちはモティーフの配置や線と面の構成、色彩の調和、繊細の光の描写といった絵画的要素の洗練された統合を追求していった。ハマスホイの室内画は、そのもっとも先鋭な表現である。一方で‥同世代の他の画家たちは、ハマスホイほど禁欲的ではなく、‥広い層に受け入れられた。」と記されている。
このコーナーでは私は3点の作品に惹かれた。
1点目は、ヨハン・ローゼの「夜の波止場 ホールン」(1893、ヒアシェブロングコレクション)。
ホイッスラーの作品の影響、江戸後期の風景を描いた浮世絵、時代は下るが川瀬巴水の版画作品などを思い浮かべた。水面とそこに映る夜の風景を大きく描きき、実に静かなたたずまいである。特に右上に横一直線にならぶ街灯のあかりが美しい。
実際には暗い夜にこんなに細かく水面に影は映らないと思われる。心象風景の要素もあると思われる。
また左側の建物の影が、それよりも右の船や陸地の影よりも大きく、バランスを欠いているが、黒の色の配置のバランスとしてはかえって左右の釣り合いが取れているので、私はあまり違和感を感じなかった。
次はピーダ・イルステズ「アンズダケの下拵えをする若い女性」(1892、デンマーク国立美術館) 。フェルメールの影響が強い作品である。同時に二つのことを感じた。ひとつは光のあたる方向が右から左である。これは解説をしてくれた中村宏美氏からの指摘である。デンマークの絵画は左からの光や視点ではなく右からの光線や視線の向きが多い、ということである。その理由はよくわからない。
二つ目は壁の塗り方の丹念さである。私はいつも背景や壁の塗り方に着目する。当たっている光や表面の微妙な配色などをどれだけ丹念に描こうとしているか、作品が気に入るが否かの判断基準にしている。
この作品は黄色の服と赤みがかった黄色の食材、そして黄色みを使った壁の色、茶色の机という同系色の思い切った配色で冒険をしながら、落ち着いた静かな雰囲気を醸し出すという試みに思えた。
三つ目の作品は、その1でも「海辺の網干し場」を取り上げたヴィゴ・ヨハンスンの「コーヒーを飲みながら」(1884、リーベ美術館)である。
なんとも不思議な二人を描いている。はたして二人はコーヒーを飲みながら本当におしゃべりをしていたのだろうか、と疑いたくなる。視線も交わらず、表情からはまったく別のことを考えているとしか思えす、なんの接点も見いだせない。
コーヒーカップも一つだけのように思える。向かって左の女性が、客である右側の女性にコーヒーを出したところとも思える。到底二人で楽しい会話をしたとは思えない。悩み事の相談なのだろうか。
もともと二人に接点などなく、構図上、二人の人物を配置しただけ、という風にすら見える。しかしそれにしては高価といわれるカメオを二人の間の壁に配置し、高級な部屋のイメージを演出している。ちぐはぐさが私には目立つ。
絵の解説では「落ち着いた色彩と室内に拡がる自然な光が、二人の心安い関係を示唆している」とあるが、私は二人の間の交わらない不協和音が響いているように見える。