Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「旅芸人の手帖」(宮崎進)から

2020年02月11日 21時07分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 以前にも記載したかもしれないが、再び。
 宮崎進の画文集「旅芸人の手帖」のⅢ「魂の果て 墨東と北国」に次の絵と文章が掲載されている。



 絵の題は「石狩」、1958年の作品。文章は、詩のようで、述懐のようで、生と死を見続けた画家のつぶやきのような文章は私の心をいつもゆさぶる。
 私はどうしても先行世代の戦争体験、戦後体験に引きづられてしまう。どうしてそうなったのかはわからない。生と死をくぐりぬけてきた研ぎ澄まされた刃のような煌めきに惹かれているのだと思うことにしている。

地表に降り注ぐ陽の光と風だけが通り過ぎて行く。
この果てにいったい何があるのだろうか。
なぜだかわからないが、私はただただ渺々(びょうびょう)として
             何ひとつない北国のこの風景が好きだ。
地の果てまで大地が広がり、空がある。
黒い鳥が群れ、小石や枯れ草の続く荒れ地は道もなく、寄り添う家並や、風雪に歪んだ針のような本が、大地に張り付いて生きる人間の営みを思わせた。
すべてを拒み、引き裂くような風景。
この地の果てに何があるのだろうか。
知る由もないが、何かが私を前に押しやる、
そうしないではおれない私があつた。
積丹、石狩、網走、納沙布、竜飛、恐山、尻屋崎と、
その頃、冬が来ると、私はたびたび北国に出かけた。
肌を裂く吹雪の中を、
ある時は、寄る辺ない旅人のようにさまよい歩いた。
流氷の岸辺に、荒野にそよぐ草や木に、飛んでいく鳥にも、
在る物が宿す命の様は、眼に焼き付いてイメージを駆りたてた。

  この本の最期に宮崎進は次のように記している。
「三十歳にも手の届く年に(シベリヤ抑留から)引き揚げてきた私は、何もかも失って呆然として、家族を前にどうすればよいのか、考えあぐねていた。そこには大きく立ちはだかる問題もあったが、その頃の私には何より、いかにして失った時間を取り戻すか、何か描かずにおれない自分があって、自分を託すような主題を求めていたのである。そして何かに憑かれるように冬の裏日本(ママ)、東北、北海道の各地を歩き回った。私が大道芸人やサーカスを描いたのは一九六〇年代から七〇年代にかけてで、その旅の出会いにはじまる。‥世の片隅で、自分のすべてをかけて生きる、いわば農耕社会からはみ出したといわれる彼らの寄る辺ない生き様に、私は私の中の漂泊の思いを重ねようとしていたように思う。」

 おこがましいようだが、私にとってもどこか原点のような文章である。

      


 


「国境」をなくす

2020年02月11日 18時43分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 国境なんて・・

国境なんてないにこしたことはない、なくしたい
国境なんてないほうが「戦」はおきない
人が作った国境なんてものは人の力でなくせる
だれもが心のどこかで思っていた

そんな時代が十数年間続いた ある
〇年〇月〇日の凍てる雪の日の早朝
人間の観念の作り出したものは
簡単にはなくせないものだと
冷たい虹とダイヤモンドダストの咆哮のもと
一瞬で思い知らされた

しかし、それでも
人が作ったものは人の力でなくさなくてはいけない と
あの一瞬から20年経たいまも
黒い汚泥とアスファルトの塵にまみれながら
もがきながら生きている
生き恥とはおもわない
それを願いながら、生死の境を
    なんの躊躇もなく超えるのも悪くない


 この詩のような述懐は、今から30年ほども前に目にした。勤めてから知り合った友人Eがノートに書きなぐって、フイッと生死の境を軽々と超えてしまった。半世紀前の時代の空気をどこかで一緒に吸っていた先輩であった。

 人は理不尽な死を強いられそうになった時、何かの意志で突出して社会と軋轢を生じ押し潰されそうになった時、視界には何が映るのだろうか。どんなことを思うのだろうか。文学や詩ではさまざまに語られている。明るい太陽光であったり、虹であったり、空の蒼や海の青であったりと自然の情景が駆けめぐると表現するものも多い。
 そして生き延びたとしても、その後の生は緊張の糸が切れたように、砂を噛むような日々であったのであろう。
 作者はまさにそのことを書いている。追憶としてその情景が脳裏に残っているのだろう。

 生と死を飛び越える一線をどんなに拡大し続けても、生と死の断層は画然としている。「遷移」というものが想定されない。またそう考えるしかない。
 生と死は、一瞬の相転移であるらしい。水から氷への相転移が常に一瞬であるように。人は多くの場合、この一瞬がある時間の長さを持っているように思いたいのだと思う。そこに「宗教」というものが入り込んで体系化しようとする。信じ込ませようとする。一瞬の相転移が人間の観念によっていつの間にか一挙に「永遠」の長さに転換する。

 そんな「永遠」を拒否をして、人は砂を噛んで生きている。いつ一線を超えてしまうか、自分でもわからないまま、トボトボと歩いている。


「旅芸人の手帖」(宮崎進)

2020年02月11日 13時44分21秒 | 読書

 午前中は、「ハマスホイとデンマーク絵画」展で、ハマスホイ以外の画家の気になった作品、惹かれた作品を図録からスキャナーでパソコンに取り込んでみた。
 さらに図録に掲載している論説「19世紀デンマーク美術――自然の忠実な観察から詩情あふれる象徴主義へ」(ピーダ・ナアゴー=ラースン(デンマーク国立美術館学芸課長))、「ヴィルヘルム・ハマスホイと19世紀末コペンハーゲンの室内画」(萬屋健司(山口県立美術館学芸員))を読んだ。
 論説は、拡大鏡を使って休み休みしてやっと読了。

   

 これよりいつものとおり付近をウォーキング&コーヒータイム。喫茶店では何を読むか、難しい。活字の大きい本は大型本になり、リュックで持ち歩くのはつらい。文庫本では活字が小さくて、最近は持ち歩いてもほとんど読めない。
 喫茶店で拡大鏡を取り出すのは少々恥ずかしい。文庫本でも活字の大きいのはあるが、あまり好みではない時代小説が多い。
 百円ショップで購入した+1.0の老眼鏡では度が強すぎる上に、左右同じ度数なので合わない。かえって目がまわる。
 冊数が半分になった本棚を探して「旅芸人の手帖」(宮崎進)を見つけた。これはいただいた貴重な本。これならば50センチくらいの距離でも十分に読める活字の大きさである。再読であるが、宮崎進の初期の作品を味わいながら充分に楽しめる。