Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「人は人を救えない」

2022年09月06日 21時26分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 本日神奈川大学の生協で手に入れたCDは六角精児の「人は人を救えない」。私もたまにはクラシックやジャズ以外にもこのような曲を聴きたくなる。

 何しろ題名がいい。「人が人を救う」なんておこがましいことを言わずに、革命と政治の時代の1960年代から「個」の世界に戻っていこうとした1970年代前半の苦い苦しみの時代を捉えている。
 60年代を潜り抜けて、社会に着地しようにも着地できずにもがいている一群の人々。彼らの憂き草のようにただよわざるを得ない悲しみが、私に伝わってくる。心のどこかでそういう「放浪」に強く惹かれる自分がいて、そんな自分と50年間綱引きを続けてきた今の自分がとても情けなくなる時がある。
 1962年生まれの六角精児という俳優は、そんな時代を敏感に対象化出来ていると感じることもある。
 ほとんどが1970年代前半のフォーク系の曲であるが、1990年代の曲もある。

 収録している曲では、第1曲の「やつらの足音のバラード」(作詞 園山俊二、作曲 かまやつひろし)、第2曲の「告別式」(作詞 山之口獏、作曲 高田渡)、第7曲の「追放の歌」(作詞・作曲 高橋照幸)、第10曲の「その世で一番キレイなもの」(作詞・作曲 早川義夫)、第11曲「風景」(作詞・作曲 中塚正人)、そして最後の第12曲「お前の町へ」(作詞 すとうやすし、作曲 六角精児)の6曲。

 第2曲「告別式」は山之口獏の作詞ということに大変驚いた。ずいぶん昔に山之口獏の詩集を読んだが記憶になかった。だいぶ昔なので無理もないが。

 添付された解説は読み物としても楽しい。歌詞とともに掲げてみた。




再び夏の暑さ

2022年09月06日 18時19分45秒 | 読書

   

 当初の予定をすべて終え、1時間ほど前に帰宅。炎天下、併せて1万余歩も歩いてしまった。膝は今のところは何ともないが、明日以降が心配である。

 ぶり返した夏の暑さ(最高気温31.7℃)の中を神奈川大学の生協まで久しぶりに歩いた。先週注文したときは膝が痛かったので、団地を出たところからタクシーを利用した。本日は杖を突いてではあるが、何事もなく歩くことが出来た。注文していた本はまだ未入荷であったが、CDは入荷していた。

 神奈川大学の本部棟の最上階のラウンジで缶コーヒーを飲みながら一服。ここからはベイブリッジと鶴見つばさ橋がよく見える。公開講座がこのキャンパスであったときにすでに幾度か訪れている。
 本日は大学関係者と一緒にここを久しぶりに訪れた。


現実との乖離

2022年09月06日 09時28分06秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中は昨日の会議の資料の整理とファイリング。午後は、先日申し込んだ神奈川大学の講座の受講料の払い込みと、組合の会館へ出向いて短時間の作業。神奈川大学の生協で取り寄せている本の受領と支払い。夕方は親の通院の付き添い。
 ずいぶんと予定を立ててしまった。本の受け取りとその支払いは明日に持ち越しになるかもしれない。

 机上で予定したことと、実際に出来ることの乖離が大きくなっている。特にここ数年が著しい。コロナ騒動以降の行動制限・自粛期間と重なっている。これは私の歳による体力の低下という原因とコロナ禍というのが、偶然に合致したことのように思ってはいる。しかしコロナ禍が体力の低下を引き起こしたといういい方の方が正しいとも言える。膝痛も行動制限に伴う体重増加が原因と言えるかもしれない。
 コロナ禍が直接の原因ではなくとも、それに結びつけてしまう社会的な風潮や傾向は確かにある。

 年齢によるものか、コロナ禍によるのか、いづれにしても行動範囲が狭まると、目配り・気配り、あるいは思考の奥行きや広がりが狭くなる。これは確実なようだ。心して対処したいものである。