Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋の雲と薄

2022年09月21日 22時29分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 16時過ぎに、横浜駅からの帰途、家並みの間から西の空を見た。薄の向こうに幾種類かの秋の雲。気温は涼しかった。
 本日出かけるときには、上は半袖のまま。半袖では少し寒く感じるくらいに気温が低くなった。下は半ズボンではなく、ジーパンに履き替えた。
 体重が増えているはずなので、ジーパンが穿けるか心配であったが、特にきつくはなっていなかった。買い替えなくてはいけないかと妻はやきもきしていた。

 本日は気持ちの良い天気であったが、明日の22日(木)から4日間は雨がちの日が続くという予報である。
 来週は28日をのぞいて毎日出かける予定なので、雨は降ってほしくない。まだまだ杖は手放せない。

★深秋の芒にはしる波の翳       加藤楸邨
★誰彼の声のやさしく花芒       桂信子
★一山の芒残照ゆらしけり       稲畑汀子


「田中正造文集(一)」から

2022年09月21日 21時38分12秒 | 読書



 本日購入した本は、「田中正造文集(一)」&「同(二)」(岩波文庫)。
 先月8月15日の敗戦の日に偶然のように田中正造の「辛酸入佳境 楽亦在其中(辛酸佳境に入る 亦楽しからずや)」の文章を思い出して、このブログに掲載した。その他にもいろいろと田中正造の言葉を覚えようとした50年前のことを思い出して、9月に入ってから神奈川大学の生協にこの2冊の本を注文していた。
 本日ようやく手に入れた。最寄り駅の喫茶店で第1巻に目をとおした。
 じっくり読むというよりも、懐かしい言葉を探すようにパラパラとめくった。

 1901(明治34)年10月議員を辞職し、12月に明治天皇に直訴擦る直前までの手紙や寄稿した文章を読んだ。

 「明治15年集会条例改正の影響」と題した文章には、その影響として、
集会条例改正の結果より出づ、一を「政治家に向かって窘窮迫害する圧政政略」となし、他を「教育方針の姑息抑制主義」となす。」として論を進め、特に教育について「教育の方針に至りては極端なる消極主義を採り、厳密なる規矩を以て制し、準縄を以て御し、政談を聴くべからず某会に賛同すべからず、政論を為すべからず、憐れむべしその教員生徒たるものは、その人間天賦の自由を剝奪せられたるものなり、卑屈無気力の青年‥」と喝破している。
 現在の政治情況、若い人たちの教育状況を見るにつけ、その炯眼に驚く。

 1900(明治33)年2月の第14回議会では、「亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国」の儀につき質問書を提出。
 「一民を殺すは国家を殺すなり 法を蔑(ないがしろ)にするは国家を蔑にすねるなり 皆自ら国を毀(こぼす)すなり 財用を濫(むさぼ)り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、これを奈何(いかん)

 同じ年の11月の書簡には、
道徳の人 善良の人といへども、意趣弱ければ道徳の実を挙ぐるに至らず。善人にても善事を為す能はずして、所謂毒にもならず、薬にもならず、日蔭の紅葉にて畢るのみ。

 1901(明治34)年2月の書簡は、次のように記されている。
“おほ雨にうたれたたかれ行く牛の車のあとやあはれなりける 正造”我々御同前は正直にして、ただ荷物を運ぶ牛の如くです。斯く骨を折りても大雨の日の車のわだちは、忽ち跡形も消失せて、後来に蹟(あと)を止めるほどの功をしはなく、誠に雨の日の車の蹟との如し。憐れなる身の有様なりとの意を申せしものに候。但し天は必ずこの牛に組せる事と存じ奉り候。

 同じ年の9月には「足尾鉱毒問題」とした文章の書き出しでは、
外交の事固(もと)より重し、しかれども内地の紊乱(びんらん)恰(あたか)も無政府より甚だしくして、妄りに外交を云ふ者あらば、これ自ら斃るるの外なきのみ、‥」とある。
 内政で窮地に立つと外国訪問で「円」をばらまいてきたここ十数年の政府のありようはなんら進歩せず、明治の政治と同質のものであった。

 直訴12月10日の直前の7日の手紙にある文章の中に、鉱毒の原野を評して
毒野も、うかと見れば普通の原野なり。涙を以て見れば地獄の餓鬼のみ。気力を以て見れば竹鎗、臆病を以て見れば疾病のみ」とあった。

 2番目の「亡国に至るを・・」は有名、3番目の「意趣弱ければ・・」、4番目の「おほ雨・・」の歌、最後に引用した「毒野も・・」の前半は学生時代に読んだ記憶が微かにある。どのような本で読んだかは記憶にないのだが、50代のころにたくさん廃棄したり、古書店に持ち込んだ中に在ったかもしれない。

 次回は直訴状以降を、一気にではなく折に触れて読んでいきたい。


秋の気配濃厚

2022年09月21日 18時17分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく何日ぶりかで、大雨注意報も解除になった。白い彼岸花も開いた。
 10月上旬並みの24.4℃が今のところ最高気温のようである。
 私のイメージではいかにも秋の空、秋の気配であった。大気がひんやりとして湿度も低く、陽射しは控えめである。そういえば「冷涼」という言葉があった。本日はその始まりのようであった。

 神奈川大学の生協に寄り、注文していた岩波文庫の「田中正造文集」2巻を受け取った。昼食は生協で350円未満の小さなアサリの炊き込み弁当と、60円しなかったペットボトルのお茶を購入。外のテーブルで学生と並んで昼食。少々気恥ずかしいものである。しかし私にとっては、安いに越したことはない。

 コーヒータイムと購入したばかりの文庫本の読書タイムを最寄りの駅の喫茶店で。ついでに横浜駅までバスで出向いて、家電量販店で最新のカメラ事情を探索。
 現在のミラーレスのカメラに少し不具合が出た。レンズを交換すると、時々オートフォーカスが作動しなくなることがある。大きな支障にはなっていないが、実際に動かなくなった場合の本体価格を探ってきた。ずいぶんと大きな出費になることがわかり、怯んでしまった。まだまだ使いこなさないわけにはいかない。