Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は膝の休養日

2022年09月27日 22時11分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 久しぶりに二日続けて東京まで出向いた。昨日は竹橋にある国立近代美術館でゲルハルト・リヒター展、本日は国会周辺の集会へ新橋駅から往復歩いた。
 昨日は1万2千歩、本日は1万歩。これ以上歩くのは今の右膝の状態からは無理。膝よりもそのまわりの筋肉がまず強張って痛くなる。それを無理して歩くと膝に痛みが電気のように走るようになる。こうなるともう歩くのが限界の時のようだ。
 こういう状態にならないように、少しずつの回復を測らなくてはいけないのは重々承知をしているが、つい無理をしてしまう。

 本日も風呂の中で揉み解し、たっぷりと湿布薬を塗りこんで、寝ないと膝が危ないことになりそうである。
 明日はさいわいに、予定が入っていない。いくつかのパソコン作業をこなしているうちに、一日が暮れてしまいそう。

 本日もこれにて作業は終了。

 


国会前から帰還

2022年09月27日 20時47分35秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 国会前の集会が終わり、私が役員をしている退職者会の参加者のうち10名ほどで集会後の飲み会を行った。国会前から新橋駅前まで歩いて、6年前までやっていたお魚の美味しい清潔な感じのお店に言ったが、もう閉店して他の店に代替わりしていた。
 やむなくガード下に新しい店を見つけ、19時半まで楽しい時間を過ごした。

 本日の集会には、公式発表で1万3千人。確かに5年前の戦争法以来の多くの参加であったと思う。小室等が登壇し、作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹の「死んだ男の残したものは」を歌った。
 私たちにはとても懐かしい曲である。実に懐かしい。1965年のベトナム戦争に対する反戦歌として、私は森山良子の歌で初めて聴いた記憶がある。中学生の頃に口ずさんでいた歌である。
 第3番までは、男と女と子どもは「他には何も残さなかった」という歌詞であるが、第4番に至って「兵士」は「他には何も残せなかった」というのが、中学生の私の心に響いた記憶がある。
 第5番と第6番は「安易に希望を歌っていないか」という批判が当時あった。今の時代にはこれが無いと通用しない歌なのかと、本日あらためて考えてみたが、何とも結論は出せないと思った。同時に明るい希望を歌っているかに思えて、「他には何も残ってはいない」という繰り返しのフレーズはそれを否定していると考えられる。
 さまざまなことがこの時代以降にあり、すっかり捻じれてしまったオジサン世代の、暗く捻じれに捻じれた感想である。

1.死んだ男の残したものは
 ひとりの妻とひとりの子ども
 他には何も残さなかった
 墓石ひとつ残さなかった
2.死んだ女の残したものは
 しおれた花とひとりの子ども
 他には何も残さなかった
 着もの一枚残さなかった
3.死んだ子どもの残したものは
 ねじれた脚と乾いた涙
 他には何も残さなかった
 思い出ひとつ残さなかった
4.死んだ兵士の残したものは
 こわれた銃とゆがんだ地球
 他には何も残せなかった
 平和ひとつ残せなかった
5.死んだかれらの残したものは
 生きてるわたし生きてるあなた
 他には誰も残っていない
 他には誰も残っていない
6.死んだ歴史の残したものは
 輝く今日とまた来るあした
 他には何も残っていない
 他には何も残っていない

 帰宅したら、妻から「テレビには映っていなかった。どこにいたの」とからかわれた。とりあえず無事に帰宅出来てホッとした。
 右膝はなんとか痛くならずに済んだ。明日は膝を大切にして、あまり出歩かないようにしたい。


ゲルハルト・リヒター展 2

2022年09月27日 10時56分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は間もなく出かけるので、とりあえず昨日訪れたゲルハルト・リヒター展のチラシと、展示目録から解説部分をアップしてみる。作品の感想は明日以降に持ち越しさせて貰うことにした。
 理解できること、理解できないこと、不思議に思うこと、共感できる作品、戸惑う作品、いろいろと並べられて、私の感性と理解力では消化不良はまぬがれない。