「「海の民」の日本神話」(三浦祐之、新潮選書)の第5章「北へ向かう、北から訪れる 越前・越中・能登」を読み終わった。
「一つの海を挟んで存在する人々の間には、‥ヤマトを介さない独自の交易や流通が古くから行われていたと考えるのが自然なのではないかと思う。旧来の高句麗との独自の関係が、ヤマトの大王によって列島支配が独占されていく段階になると軋轢を生じさせたのである。こうしたあり方は、律令国家が権力を独占し地方を収奪する過程において、陸道によってヤマトへと統一され訓化されていく過程と見合うのであった。それぞれの地域の豪族たちの独自性は、かなりの後の時代まで保持されていた可能性がある‥。」(高句麗使の渡来)。
当然と言えば当然の結語ではあるが、具体的に日本書紀の記述から読み解いたり、釈日本紀のホンダワケ(応仁)から血筋の疑わしいヲホド(継体)の出自を越前の地の豪族との関係から類推・割り出す方法は説得力がある。