窓を閉め切っていると体温と冷蔵庫などの排熱で暑さがつのる。このパソコンやテレビの排熱もしかり。しかし窓を開けると南よりの強い風が湿気と共に流れ込んでくる。
本日の最高気温は日付の変わった0時直後の26.2℃のまま。
昨日に続いて「図書7月号」から。引用のないものは目をとおしただけのもの。読まなかったものは記していない。今月号では16編の内、12編に目を通した。
・英雄の生涯 亀渕 迪
・「ロリータ」の夏 山崎まどか
・それでも希望は持てるのだろか 高橋三千綱
・杏の枝と七夕の夜 斎藤真理子
・見えない政治に抗うために 赤坂憲雄
「この国の政治が、弱き人々への配慮どころか、社会的に強い上層の人々を露わに盛ろうとする場面に次から次へと出喰わして、呆然とさせられました。‥政治にここまで民への気遣いがないことを、いつまで許すのか。われわれは愚民に成り果てたわけではない。あらたな抵抗の作法を、多様なかたちで組織してゆくしかありません。‥それにしてもそうした見えない政治が、水俣で時間をかけて作られたものであることに、迂闊にも気づかすに来たのでした。水俣から福島へ、そしてコロナ禍にあえぐ日本へと、まちがいなく見えない政治は繋がっています。弱き者をたちを棄てる、いたずらに時間をかけて疲弊させ曖昧にする。分断と対立を網の目のように張り巡らす、データを改竄し隠蔽する、被害を最小化し、被害者を不可視化する、そして、ついにだれ一人として責任だけは取らない‥‥。」
・ガラスの剛毅 橋本麻里
「日本でガラス素材自体の生産まで手掛けるようになるのは、飛鳥時代後期(7世紀後半)のこと。‥これほど重く用いられてガラス製品だが、不思議なことに鎌倉、室町時代になると、日本で製造されたガラスの遺品はほとんど見つからなくなる。‥近世日本でつくられたガラスのもっとも古い記録は延宝四(1676)年‥。(切子の)始まりは天保五(1834)年、江戸屈指のガラス問屋だった加賀屋の手代が、ガラス面を切る切子細工を始めたという。」
「(島津斉彬は)薩摩焼と同様、海外との交易品としての可能性に着目。清朝で好まれた色ガラスの研究から、紅ガラスの製造にも成功し、ヨーロッパのカットガラスの技術と合わせた、独自の切子を完成させ‥。‥撮影戦争でガラス工場をはじめとする工場群は壊滅‥。正門戦争の前後までに、薩摩切子の技術は完全に途絶えてしまう。」
「それから110年、薩摩切子復活の話が鹿児島県と島津家で持ち上がったのは1983年‥。」
・悪のテーマパーク 長谷川櫂
「人間はなぜ死後の世界を妄想するのだろうか。死は肉体と精神の消滅に他ならない。ならば魂の不滅はありえず、それにももとづく死後の世界も存在しようがない。にもかかわらず人類は誕生以来、死後の世界を思い描いてきた。」
「心という言葉、体という言葉があるからこそ人間は心と体を分けて認識する。心が体を離れてさまようことも想像できる。現実にはい虚構を生み出す言葉の力によって、人間は心と体を別のものとしてとらえることができる。虚構を生む言葉の力。いや言葉がすでに虚構なのだ。‥人間が死後の世界を妄想するのも、この言葉の虚構の力による‥。」
「地獄図は極楽図よりはるかに迫力がある。蓮の花の上で眠りこける善人より、犯した罪ゆえに責め苦にあえぐ悪人のほうが誰でも身につまされるのだ。‥地獄は人間が犯す多種多様な悪を反映して枝分かれし増殖を重ねて巨大になった。地獄は人間の世界の写しなのだ。‥地獄には罪を犯す人間への脅かしとは別のもう一つの重大な働きがある。それは善と悪の収支均衡を図ること。人間の世界は必ずしも善人が幸福になるとはかぎらない。‥この不条理はこの世だけでは解消できない。善悪の収支不均衡を解消する‥仕掛け、それが地獄なのだ。」