「野哭」におさめられている「野哭抄」(1946.9~1947.12)から。
★何がここにこの孤児を置く秋の風
★日の中に死なざりしかば野分満つ
★死ねば野分生きてゐしかば争へり
★ある夜わか吐く息白く裏切らる
★昆虫のねむり死顔はかくありたし
第2句から第4句までは「述懐(5句)」とある中から3句。
第1句、戦争孤児の悲惨な状況を見て、為すことのできない自身への苛立ちが伝わる。
第2句、戦争末期の東京へのいくたびもの大空襲の中を生き延びた作者である。それらは句集「火の記憶」に求められており、すでにここで取り上げた。
第3句、第4句、この頃加藤楸邨は教員組合の闘争委員として、寝る間もなく活動していた。対政府の場面でもなかなか統制も取れず、そして方針を巡ってさまざまに内部対立を孕みながら活動していたものと思われる。どのような立場だったかは私には今のところわからない。
第5句、人は疲れたり、ホッとしたとき、自然に自分を投影し、そいて一息つく。どのような時代もどのような人も、自然は拠り所になる。特に緊張がつづくとき、また人と人との諍いに翻弄されるとき、それは切実である。ただし「昆虫」は季語ではない。この句は無季の句。「昆虫採集」であれば夏の季語にはなる。
第3句~第5句、わたしの心がよく共鳴する。実感としてとてもよく理解できる。