Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

吉野弘〈消息〉より

2018年10月04日 23時29分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
何もすることがないとき
彼は突堤の先に立っている。
足下にひろがる
深々とした海の色に
身震いして
彼は一散に陸の方へ駆け出す。

何もすることがないとき
彼は いつも
同じ突堤の先に立っていて
青ざめて
陸の方へ走る。

陸の人達の間にまぎれこみ
多忙で取り戻してから
ほっとして彼は呟く。

--何かすることがあるのは有難いことだ。資本
主義的生産様式であれ、社会主義的生産様式であ
れ、その中に、身をゆだねる多忙があるのは救い
だ。多忙は神様だ!
          吉野弘 詩集〈消息〉序詩


 ふと開いてみた吉野弘の詩集の一番最初にこのような詩があった。清岡卓行が「戦後の詩人たちの中でおそらく最も優しい人格。自分にきびしく、他人に寛大な、どこまでも静かに澄みわたろうとする批評。生命へのほのぼのとした向日的な温かさ。そして、けばけばしく過度な表現をいとう、つつましい美しさの趣味。」と評した詩人の最初の出発点の詩である。
 わかりやすい獄が並ぶが、しかし、「陸の方へ駆けだす」「陸の方へ走る」「陸の人達の間にまぎれこ」むとは何か、分からない。難しいことが、隠れている詩でもある。最後の「身をゆだねる多忙」という語句を読んで、何となくわかってしまったような気になるのだが、これは危険である。
 そうではあっても「何もすることがないとき」ほど、その思考とふとした行動、それも何気ない無意識の行動に何か本質的なものが隠されている。それを解くカギは、「紛れ込んだ」「多忙」の中でしか取り戻せない、という。
 しばらくはお付き合いをしてみたくなる魅力がある。



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