あの1月17日の地震のあと、実はこんな交渉も行ったことを記憶している。隠すことではない。多少の記憶違いがあるかもしれないが、大筋は間違いないはずである。私どもの支部の交渉相手は横浜市道路局である。
当時、横浜市長は高秀秀信市長であった。建設省からの天下りと言われたが、建設畑の技術職だっただけに、災害対応は早かったと思う。実は一年前の冬、雪が降った日に土木事務所の作業員が除雪作業をしている姿をたまたま見て、災害時の道路局と土木事務所の職員の役割の重要性について、理解を示していた、と当時の組合の委員長から話があったばかりであった。自治体の市民サービスの第一線をあらためて認識したのであろう。
自覚的に自分の立場を見ようとする姿勢が自治体の首長には必要なことである。逆に私たちも、おもねるということとは違う意味で、人前で誇りをもって仕事に従事するということの大切さを認識した。それが人員確保や予算の確保、働き甲斐にもつながる。
地震から2日ほどして、神戸市に横葉浜市水道局の給水車を十数台派遣することになった。「ついてはその先導と後ろに市内18か所にある土木事務所の無線がついている道路パトロールカー2台を配置したい」との市長の意向が道路局に示された。
当然私どもの組合員も運転手として派遣されるので、道路局より派遣の在り方について協議したいと話があった。翌々日の明け方に出発するということで、具体的な宿泊場所や、処遇、運転時間の制限や一台に配置する運転手の数、超勤時間の取り扱い、事故時の対応、無線機の台数、道路パトロールカーとしての現地での行政支援の内容、パトカーを派遣した土木事務所での道路パトロールのやり方、などを前日の夜までに整理した。
ところが翌日の明け方に出発する夜に、交渉で当局も私の組合も、多数派の組合も触れていなかったことに気が付いて慌てた。
それは当時の道路パトロールカーに搭載されている無線免許は、使用範囲が横浜市内だけに限られていることであった。高速道路を神戸まで先導するとして、渋滞に巻き込まれたり、先頭と最後尾の連絡、あるいは神戸市内での無線を使用すると電波法では違法になる。
また道路パトロールカーは原則として横浜市内の道路管理のための車である。黄と赤の回転灯も道路管理業務のためのもので目的外には使えない。建設省は了解しても、警察はどう判断しているか不明であった。
気が付いてすぐに支部の他の役員と相談の上、道路局に連絡、単組の本部にも連絡、道路局に警察や電波管理局と掛け合って、解決をするよう求めた。
道路局も慌てたようだが、後者は警察も認めてくれるとの報告が数時間後にあった。しかし前者は、なかなか連絡が取れなかったらしい。日付が変わってからようやく特例の取り扱いとなったと、道路局から連絡が入った。出発の数時間前であった。添乗する管理職もやきもきしたであろう。交渉担当もだいぶ苦労したようであった。
市の行う事業はたとえ災害時とはいえ、違法なことを無断ですることはできない。高速道路を走りながら、横浜市内でしか使ってはいけない周波数の無線通信を傍受されて、災害対応ではあっても指摘・摘発されてしまっては、応援にはならない。
災害時、労使交渉なんてやっている暇などない、などというのは間違っている。いろいろな角度から検証して、より安全で有効な方法を模索するために、労使交渉というのは必要なものである。また、現場のことは組合の役員のほうがよく知っている。労働組合との交渉を避けてはいけないし、真剣にこなしたほうがいい方法が見つかるものである。
一週間後に無事全員が戻った。報告会にも参加させてもらった。この派遣はその後の医療チームの派遣、新潟地震への災害派遣、そして東日本大震災での派遣にも生かされた内容であった。たった2日の交渉であったが、交渉担当もよく動いてくれたと思う。道路局も初めてのことであり、本腰を入れて交渉に臨んでいたと実感した2日間であった。