またもオリンピック・パラリンピックの秘密主義、上意下達、「民はよらしむべし、知らしむべからず」体質があらわれた。
2016年に45人もの死傷者が出た相模原市にある「やまゆり園」で起きた事件。パラリンピックの聖火リレーの採火式をやまゆり園の跡地で行う、と突然に発表され、遺族が中止をもとめるという事態が起きている。
報道によると「遺族と被害者家族が知らされたのは「4月」に入ってからと説明。神奈川県や大会組織委員会が3月31日に正式発表した後、「全遺族あて」の「3月」付の文書が県から届いた」という。
採火式の理念云々以前に私はその前提がとても気になった。この事件の当事者である遺族に何等の事前説明や合意がないなかで、突然に組織委員会や県から知らされる。3月下旬に報道ですっぱ抜かれてから、遺族は知ったという。しかもその式典の内容も知らされていない、ともいう。私は遺族全体の合意を前提とした事前の話し合いがないことが不思議でしかたない。
どこの組織がこのイベントを言い出したのか、どの組織が企画したのか、誰がその企画を持ち込んだのか、それを承認・採用したのは誰か、責任の所在がはっきりしない。一応は相模原市が遺族の要望の窓口にはなっているが、どういう経過で相模原市が前面に立っているのか、よくわからない。教えてもらいたいと思っている。
上意下達というのは、裏を返せば「誰もが責任を取らない無責任体制」「忖度政治」でもある。
私が受けた印象は、もう一つある。いくらオリンピック・パラリンピックが政治とは切り離して運営していると言い繕っても、実際は、県や市町村に対して影響力を駆使し、その事前の調整や公表までも規制していることが窺える。
安倍晋三の「アンダーコントロール」という嘘で誘致が決まったかのように宣伝され、組織委員会の初代会長が誘致にあたっての賄賂疑惑で辞任し、次の会長も女性差別言動や上意下達・秘密主義で批判を受け辞任、国会議員をやめないまま元担当大臣が三代目会長になるという組織委員会。
エンブレムの盗作事件、開会式典のイベントのゴタゴタ、感染症対策不備での水泳の事前国際大会中止、電通へのイベント・企画などの丸投げ問題、さらに膨大に膨れ上がり、どんぶり勘定の経費など、もはやまともな企画とはとても言えない。
新型コロナウイルスの感染症拡大局面でも、延期となった時の感染者数を大幅に上回っても中止も延期もできず、「特攻精神」を振りかざして強行しようとしているだけである。それに踊らされたくないなどというと、「非国民」のレッテルを貼られそうな昨今である。
ごまめの歯ぎしり、といわれるだろうが、言いたいこと・言うべきことはある。
「祭」というものは上からの指示で盛り上がる、という姿勢そのものが、今の日本の政治状況を物語っている。江戸時代の「民は由らしむべし,知らしむべからず」(『論語』泰伯編)を「法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよい」という意味に解釈した江戸時代の為政者の論理から何も変わっていない。
論語の名誉のためにいうと、「知らしむべからず」この解釈はいろいろあるようだが、ここでは触れない。