第3章「そこにあるのは「美」か、「真理」か」、第4章「教養があってこそ味わえる」、第5章「文字と絵の幸福なコラボレーション」を読み終わった。
「日本の美術はリアリズムを苦手としてきた。平安時代初期までは中国美術をすなおに学んだ時期であり、いわゆる天平彫刻においてリアリズムの技術は完成の域に達したが、それ以降はリアリズムから離陸する方向に進んだように見える。鎌倉彫刻は例外的にリアリズムを目指したが、教養を持たない武士が支持したからであろう。‥強調したいのは、西欧や中国が真を優先していることではなく、日本の絵画は美しく描くことに注力する傾向が強いということだ。あえて「見た目」という言葉を使うが、日本の絵画には見た目の美しさを追い求める例が実に多い。この真より美を優先するということについて改めて考えてみたい。」(第3章)
「教養を持たない武士が支持したから」には同意できないが、他の指摘は頷ける。
「絵と文字を寄り添わせるさまざまな表現には遊びの要素が濃い‥。辻(惟雄)は“遊戯性”を重要なキーワードに挙げている。遊戯性は見る者を威圧する造形とは縁遠く、見る者を楽しませる造形のあり方に深くかかわるが、文字絵や絵文字はその最たるものと言って良い。その流れは現代のグラフィックデザインやマンガにまでつながっており、日本美術の強みともなっている。」(第5章)