第5章「聖母像の広がり 植民地・民衆への浸透」を読み終えた。ヨーロッパを離れて、スペイン・ポルトガルのアメリカ大陸、特に植民地化された中南米での「聖母」像の広がりについて記述されている。
「中南米の教会の多くには、空間恐怖症のように内外の壁面を、極彩色のストゥッコ(漆喰装飾)や彩釉タイルで埋め尽くすウルトラ・バロックと呼ばれる様式が見られる。‥スペイン美術の背景にあったイスラムの装飾様式と先住民のインディオの造形性とが、バロックによって統合されている。」(2.中南米の聖母)
「(聖母像は)インカ帝国の最高神であったパチャママのイメージが重なっているといわれている。パチャママは丘や山や川などと同化していると考えられたいたアンデスの地母神である。」(2.中南米の聖母)
「レタブロ(メキシコで民衆用の小型の聖画や奉納画)は稚拙で型にはまった図像が多いとはいえ、現在はメキシコの代表的な民衆芸術として美術館にも飾られるようになった。‥レタブロには聖職者が登場することは稀であり、奉納者と神との直接的な交流が強調されているという。そしてそこに庶民による教会や権威への抵抗が読み取れるという。」(2.中南米の聖母)
「聖母のイメージは複製されることによって世界中に伝播し、社会全体に拡散し、個人レベルに浸透した。信者は単に眺めて祈るだけでなく、献灯や献花、抱擁や接吻によって積極的に像に働きかけ、身に着けることで命を吹き込んで北のである。聖母像の大半はこうした信者との相互作用と交感によって成立しているのだ。美術というより狭い領域を大きく超えた大きな文化であるといってよい。」(4.「美術の時代」の聖母像の普及)