Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「日本美術の歴史」から 1

2021年09月07日 12時58分38秒 | 読書

 本日から読み始めたのは、「日本美術の歴史 補訂版」(辻惟雄、東京大学出版会)。表紙はどっきりとする横尾忠則のデザイン。ユニークで人目をひく上にいかにも辻惟雄による「教科書」的であると感心している。
 記載によると、
阿修羅(734年 興福寺)、
弥勒菩薩半跏蔵(7世紀前半、広隆寺)、
吉山明兆「白衣観音図」(15世紀初、東福寺)、
俵屋宗達「風神雷神図屏風」(17世紀前半、建仁寺)、
葛飾北斎「神奈川沖浪裏」(1831年以降)、
岡本太郎「痛ましき腕」(1936年)、
横尾忠則「お堀」(1966年)
が散りばめられている。
 そして目次がとても細かい。13ページにも及ぶ。一気に掲載するのは無理なので、本日は第4章までとした。

 本日読んだのは第1章。
 まずはアート(美術)の定義として、
「アートとは(C.O.Dを踏まえて)“創造的な技と想像力を駆使して「もの」をつくる行為”であり、その結果として生まれた作品ということになる。これにわたしの見解を一つ加えるならば、アートは制作者の意識や意図を超えて存在し、のちの人々の眼によって「発見」され「再生」されるものものである。縄文土器はその良い例にほかならない。」
としている。
 最後に
「美術に心の「癒し」や「慰め」を求めがちな現代人にとって、縄文土器・土偶はそれほど付き合い易い相手ではない。理解を超えた不気味さがわたしたちを戸惑わせる、と同時にそのたくましい生命感がわたしたちの中に眠るなにかをゆさぶる。その矛盾した性格は、人間存在の根底につながるもの‥。」
「縄文文化には、王権が確立されて以降のような中央と地方、中心と周縁の関係がまだなく、美術は各地域で互いの交流を通じ、ほぼ同等に発展した‥。これは縄文美術の大きな特色‥。」
と結論付けている。 



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